【オズの魔法使い】あらすじ(ネタバレ)と考察-「言葉の魔法」がもたらす「救済」と「呪い」-
「オズの魔法使い(The Wizard of Oz)」は1939年に公開されたミュージカル・ファンタジー映画である。原作はライマン・フランク・ボームによる1900年の児童文学「オズの魔法使い(The Wonderful Wizard of Oz)」。本作は竜巻で不思議な国に飛ばされた少女ドロシーが、それぞれに欠落を抱えた仲間たちと出会い、願いを叶えるためにエメラルドの都を目指す姿を通して人間的な成長を描く冒険譚となっている。
子供の頃に見たときには、美しいファンタジーというよりは少々「不気味な映画」と感じられたような気がする。それでもブリキの木こりがロボットぽかったことが一番の魅力に感じられていたと思う(木こりの姿も十分不気味ではあったとおもう)。
そんな「オズの魔法使い」だが、本記事では、そのあらすじを振り返りつつ、物語のラストの展開について「詐欺師による救済」「言葉の持つ残酷な魔法」といったポイントで解説・考察を行う。。先ずは、この映画の基本情報を振り返っていこう。
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「オズの魔法使い」の基本情報
作品概要
| 公開日 | 1939年8月25日(日本では1954年12月22日) |
|---|---|
| 監督 | ヴィクター・フレミング |
| 音楽 | ハーバート・ストサート(スコア) ハロルド・アーレン(歌曲) |
| 原作 | ライマン・フランク・ボーム「オズの魔法使い」 |
| 制作 | メトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) |
| 上映時間 | 102分 |
主要な登場人物(キャスト)一覧
| 登場人物 | 俳優 | 人物概要 |
|---|---|---|
| ドロシー | ジュディ・ガーランド | カンザスの農家で暮らす少女。竜巻でオズの国へ飛ばされ、家に帰る方法を探す。 |
| 案山子(ハンク) | レイ・ボルジャー | 頭の中がワラでできており「知性(脳)」を求めている。カンザスでは農場の下働きハンク。 |
| ブリキの木こり(ヒッコリー) | ジャック・ヘイリー | 職人に心を入れ忘れられ、「心」を求めている。カンザスでは農場の下働きヒッコリー。 |
| ライオン(ジーク) | バート・ラー | 百獣の王でありながら非常に臆病で、「勇気」を求めている。カンザスでは農場の下働きジーク。 |
| オズの魔法使い(占い師) | フランク・モーガン | エメラルドの都を統治する偉大で恐ろしい魔法使い。カンザスではペテン師まがいの水晶占いの男。 |
| 西の悪い魔女(ガルチおばさん) | マーガレット・ハミルトン | ドロシーの持つルビーの靴を狙う恐ろしい魔女。カンザスでは犬のトトを処分しようとする大地主のガルチ。 |
| 北の良い魔女グリンダ | ビリー・バーク | オズの国に迷い込んだドロシーを導き、助言を与える美しい魔女。 |
人物相関図
「オズの魔法使い」のあらすじ(ネタバレなし)
主人公はカンザスの農家で暮らす少女ドロシー。彼女はエムおばさんやヘンリーおじさん、そして3人の下働きたちとともに暮らしているが、多忙な大人たちからはいつも子供扱いされ、自分の悩みをまともに聞いてもらえないことに不満を抱えていた。
ある日、近所に住む大地主のガルチおばさんが「犬のトトに足を噛まれた」と激怒し、保安官の許可証を盾にトトを処分しようと乗り込んでくる。ドロシーは必死に抵抗するが、大人たちは「法律には逆らえない」と冷酷な現実を突きつけ、愛犬をあっさりと引き渡してしまうのだった。
幸いにもトトはガルチの隙を突いて自力で逃げ帰ってきたが、大人たちに絶望したドロシーは、二度と同じ悲劇が起きないよう「心配のいらない場所」を求めてトトと共に家出を決行する。
しかし、道中で出会った怪しげな占い師の男に「おばさんが君を心配して泣いている」と諭され、ドロシーは急いで農場へと引き返す。だが、ちょうどその時、巨大な竜巻が農場を直撃する。家族はすでに地下シェルターに避難して鍵がかけられており、逃げ遅れたドロシーは家の中に取り残されたまま、竜巻の圧倒的な力で家ごと空高く巻き上げられてしまうのだった。
果たして、彼女はどこへ辿り着き、どのようにして故郷へ帰る道を見つけるのだろうか。
「オズの魔法使い」の結末までの詳細あらすじ(ネタバレあり)
(※警告:ここから先は、映画の冒頭から結末までを含む詳細なネタバレが記載されているため、未視聴の方はご注意ください。)
起:カンザスからの逃亡とオズの国への飛来
主人公はカンザスの農家で暮らす少女ドロシーである。彼女はエムおばさん、ヘンリーおじさん、そして下働きをするハンク、ヒッコリー、ジークとともに暮らしている。
ある日、ドロシーは逃げるように農場に帰ってくる。近くに住む大地主のガルチおばさんが、ドロシーのペットの犬であるトトを叩いたのだった。ドロシーとトトが家の近くを通りかかるたびにトトが庭に入り込み、ネコを追い回していたことに腹を立てたようだった。ドロシーの言い分としては「追いついたことはない」だった。
その事実を相談するが、エムおばさんもヘンリーおじさんも孵卵器の修理で忙しく取り合ってくれない。下働きの人たちも忙しく取り合ってくれなかった上に、ハンクには「家の前を通らなければ良い。頭の中はわらなのか」と言われる始末だった。ジークも「ガルチに怯えてるのかい?俺なら勇気のあるところを見せてやる」と調子のいいことを言うばかりだった。
半ばあきらめ模様のドロシーが、豚の柵の上を戯れに歩いているとつまずいて豚の中に落ちてしまう。ジークはすかさず助け出したのだが、腰を抜かしてしまった。ハンクには「勇気を豚にかじられたのか」とからかわれてしまった。そこにエムおばさんが現れ、あそんでないで働けと促される。「孵卵器を壊したのはお前だろ」と言われたヒッコリーは「そうだが、いつか私の銅像が立ちますよ」と言い張って仕事に向かうのだった。
再びエムおばさんにトトの話をするのだが、つまらないことを大げさに心配してないで、「心配のいらない場所」を探しなさいと言われるのだった。そこへ、「足を犬に噛まれたから犬を処分する」と保安官からの許可書を見せ、犬を連れて帰って処分すると主張する。ドロシーは「おまえは魔女だ」と罵り抵抗するのだが、エムおばさんもヘンリーおじさんも「法律には逆らえない」とガルチの言い分を飲むのだった。
バスケットに入れられたトトは自転車に乗るガルチに運ばれていったのだが、ガルチの隙をみて逃げ出しドロシーのもとに戻ってきた。そして、再び同じ状況になることを恐れたドロシーは、トトとともに「家出」をするのだった。
しかし、道すがら出会った謎の男の水晶占いによって叔母がひどく心配していることを知ったドロシーは家に帰ることを決める。ちょうどその時に、竜巻が農場に襲いかかる。ドロシーが農場に戻ったところにはみんな地下に逃げ込んでおり扉があかなかった。仕方がなく、家の中に避難したドロシーだったが、竜巻の力で家ごと飛ばされてしまうのだった。
承:欠落を抱えた仲間たちとの出会い
しばらくすると、ドロシーとトトは家ごと、とてもカラフルで不可思議な世界にたどり着く。するとそこに、ドレスを着て大きなティアラを乗せたこれまた不可思議な女性が現れ「あなたは良い魔女?悪い魔女?」と質問をしてくる。
「マンチキン」なる存在から「新しい魔女が東の魔女を下敷きにした」と連絡を受けたその人は様子を確認しに来たらしい。ドロシーが「乗ってきた」家を見てみると、確かに誰かが下敷きになっており、ゼブラ柄の靴下とルビーの靴だけが見えていた。それがまさに東の「悪い」魔女だった。
ドロシーは自分は魔女ではない「魔女は醜いおばさん(ガルチ)」と答えた。すると周りから不思議な「歓声」があがる。ドロシーに話しかけていた人物によるとその声の主は「マンチキン」であり、美しい自分も魔女であるから声を上げたのだという。ドロシーに話しかけていた人物は、北の魔女グリンダであった。
名前だけが出ていた存在「マンチキン」は、ドロシーがたどり着いた街に住む小さな人たちだった。そして「悪い魔女」を偶然にも倒したドロシーはその街の英雄であった。街の人々(マンチキン)は喜びのパレードを繰り広げるのだった。
そこに突如、東の魔女の姉である西の魔女が現れる。その魔女は何故かガルチのような容貌だった。その西の魔女は、妹の死に怒りを覚えているようでありながら、東の魔女が履いていたルビーの靴に興味があるようだった。北の魔女の咄嗟の判断でその靴をドロシーに履かせたことで、西の魔女は次の機会を伺うと宣言し姿を消すのだった。わざわざドロシーの犬への敵意を表明しながら。
北の魔女は早く「オズ(ドロシーが迷い込んだ世界)」を出たほうがいいと告げるのだが、ドロシーにはその方法が分からない。そこで北の魔女は「偉大なるオズの魔法使い」ならきっと帰る方法を知っていると、その魔法使いのいるエメラルドの都にいくことを進言する。ただ、その都への行き方については「黄色いレンガの道を進め」と言うばかりで、「ルビーの靴を脱ぐと西の魔女に襲われるから脱いではいけない」とどうもぼんやりしたことを告げるばかりだった。
「黄色いレンガの道を進め」という言葉を信じて進んだが、その「黄色いレンガの道」が3方向に分かれる分岐点に差し掛かってしまう。困るドロシーだが、そこには何故かハンクに似た案山子がおり、ドロシーに話しかけてきた。その案山子は頭の中がワラでできており「頭が悪い」ことに悩んでいた。ドロシーがオズの魔法使いに会いに行くことを知った案山子は、魔法使いに「脳」をもらうために、ドロシーについていくことにした。
ドロシーと案山子が黄色の道を進んでいると、ヒッコリーによく似た「ブリキでできた木こり」に出くわす。錆びついて話すこともできなかったその木こりに油をさしてあげたところ、彼は「心がない」ことに悩んでいた。彼を作った職人が心を入れ忘れたらしい。ドロシーは自分に同行して魔法使いに心を貰えばいいと提案するが、木こりはそんなことは叶いはしないと後ろ向きだった。
そこに、西の魔女が現れ3人に脅しをかけて旅を邪魔しようとする。魔法の火の玉を放って攻撃を加えてくるのだが、西の魔女はとりあえずその脅しだけで姿を消してくれた。案山子とブリキの木こりはそんな西の魔女に怒りを覚え、たとえ「脳」や「心」がもらえなかったとしても、ドロシーに同行することを決めるのだった。
3人が森に差し掛かると、ジークによく似たライオンが襲いかかってきた。最初こそ威勢の良かったライオンだが、ドロシーの不意のビンタで心が折れてしまい、弱々しい姿を見せる。実のところ彼はとても臆病で、最初に見せた威勢の良い姿もそれを隠すためのものだった。ドロシーはオズの魔法使いに「勇気」を貰いに行くことを提案し、ライオンもドロシーの優しさに打たれて同行することを決める。
転:エメラルドの都と魔女の城への潜入
ドロシーたちはついにオズの魔法使いがいるエメラルドの都が見えるところまでたどり着いた。大喜びで走り出す一行だったが、そこにあるケシの花畑に西の魔女が仕掛けた魔法にかかってしまい、ドロシー、トト、ライオンが眠りに落ちてしまう。
魔法にかからなかった案山子とブリキの木こりが助けてを叫ぶと北の魔女が雪を降らせ、その降下でドロシー、トト、ライオンは目を覚ますことが出来た。
ドロシーたちがエメラルドの都にたどり着くと、西の魔女が空に「ドロシーを渡せ」と黒い文字を浮かび上がらせる。都の人々はその状況に怯えだして、偉大な魔法使いに対処を求めるのだが、偉大なる魔法使いには誰も会うことが出来ない決まりになっているため、なしのつぶてであった。
偉大なる魔法使いはドロシーたちとの謁見も拒絶したが、これではカンザスに帰れないと泣き崩れるドロシーに心を打たれた使いの者のはからいで、謁見を実現させる。偉大なる魔法使いは威厳と威圧に満ちた存在で、西の魔女のホウキを取ってくることが出来たら願いを叶えるという。ドロシーたちは願いを叶えるために、西の魔女の居城に向かうのだった。
城に近づくドロシーたちに、西の魔女は部下である翼の生えたサルの兵士を送り込み、ドロシーとトトを拉致することに成功する。トトは魔女の隙を見て逃げ出したが、ドロシーは逃げることが出来なかった。そればかりか、魔法で守られたルビーの靴を手に入れるために命を奪われることになる。
一方のトトは、案山子、ブリキの木こり、ライオンを西の魔女の居城に案内し、ドロシーの救出を図る。トトと3人はうまく城に潜入し、ドロシーとの接触に成功するが、魔女に見つかり兵士たち取り囲まれ絶体絶命の状況に追い込まれる。
魔女によって案山子に火がつけられてしまうのだが、ドロシーはその火を消すために近くにあったバケツの水を案山子にかけようとする。その水が西の魔女にもかかってしまうのだが、魔女は水に弱かったようで、みるみるうちに溶けていってしまった。すると、西の魔女がいなくなったことを城の兵士たちも喜んだ。彼らも自ら進んで西の魔女に従っていたのではなかった。
結:ペテン師の正体と真の帰還
そしてドロシーたちは西の魔女のホウキを持って再びエメラルドの都を訪れる。偉大なる魔法使いは約束を守ったはずのドロシーたちの願いをすぐには叶えず翌日再び来いと主張する。それにドロシー達が不満をぶつけている最中、トトがその場所の一角にあったカーテンで仕切られた場所に気が付き、そのカーテンを開けてしまう。
そこには拡声器などの機器を駆使しておそろしい偉大なる魔法使いを演じているおじさんがいた。しかも、魔法も使えないという。その姿はドロシーに水晶占いをした男にどこか似ていた。
「偉大なる魔法使い」は魔法の力で彼らの願いを叶えることは出来なかったが、そのかわりに、案山子には「TH.D(Doctor of Thinkology, 思考学博士)の名誉学位の証書」、ライオンには魔女を倒した功績に「十字勲章(勇気の証)」、ブリキの木こりには感謝の印に「ハート型の時計」を与えた。それは単なる証(あかし)に過ぎなかったのだが、彼らは自ら求めたものが自分の中にあることを実感していた。
そしてドロシーについては、気球に乗って一緒にカンザスに帰るという。その男は、カンザスの西部生で、サーカスの気球乗りのスターだったのだが、成層圏飛行のショーの最中に地上に降りるはずだった気球が降りずに、風に煽られてエメラルドの都についたという。その時から何故か「偉大な魔法使い」と呼ばれるようになった。
「偉大な魔法使い」は案山子、ブリキの木こり、そしてライオンに都の統治を託して、ドロシーと共に気球で空高く舞い上がろうとしたのが・・・アクシデントからドロシーは置いてけぼりとなってしまう。
カンザスに帰れないと再び絶望するドロシーのもとに北の魔女が現れる。北の魔女が言うには、ドロシーは元々カンザスに帰る力を持っていたのだが、それに自分で気づくことが必要だった。彼女は一連の出来ことで学んだことを「心から願う何かを探すときは、身近なところを探すべき。見えなくても、実はもっているものだから」とこたえた。
北の魔女はそれに気づいた今、ルビーの靴の力でいつでも帰れるという。ドロシーは北の魔女に促されるまま、ルビーの靴のかかとを3回鳴らし「やっぱり家が一番(There is no place like home)」と唱え続けた。
気がつくとドロシーは家のベッドで横になっていた。そこには、頭を打って気を失っていたドロシーを心配する農場の人々や水晶占いをした男の姿もあった。そして「やっぱり家が一番」と、自らが暮らす状況への深い愛情にドロシーは気がつくのだった。
「オズの魔法使い」の解説・考察
- 「他者の言葉」によってしか己を肯定できない人間の弱さ
案山子たちは過酷な経験を通して力を発揮していたにもかかわらず、自らそれに気づくことはできなかった。彼らは魔法使いという「外部の権威からの言葉」に依存して、初めて自己価値を認識した。 - 「言葉の魔法」を最も巧みに操る詐欺師の存在
言葉には人を自立へと導く確かな力がある。しかし、その魔法を最も強力かつ意図的に使いこなすのは善人ではなく、人心を操る「ペテン師」であるという強烈な皮肉が描かれている。 - 「家が一番」という呪いと、言葉の使い手の見極め
物語を美しく締めくくる「家が一番」という言葉すらも、異物を排除するための方便や特定の価値観への誘導になり得る。言葉は強力な魔法だからこそ、「誰がそれを使っているのか」を冷徹に見極める必要がある。
すべては「内」にあり、そして「外」に依存する-言葉の魔法のもつ美しさ-
本作の結末において、案山子にとっての「知性」、ブリキの木こりにとっての「心」、ライオンにとっての「勇気」は、すでに彼らの中にあったものだという感動的な物語性が提示されている。
彼らは西の魔女を倒すという過酷な経験を通して、その力をすでに発揮していた。しかし、彼らは自らの英雄的行動とそれにもと続く経験をもってしても、自分自身の価値に気づくことができなかったのである。
そもそも「自分の価値」とはなにかということを考えてみると、それは多かれ少なかれ「他者からの評価」ということになってしまうだろう。「他者」というものを必要としない状況が理想的ではあると思うが、現実問題としては「他者」が必要となる。
その決定的な「他者」として機能したのが「偉大なる魔法使い」だった。
案山子、ブリキの木こり、ライオンが彼からもらった物理的なものは確かに「ガラクタ」だった。しかし、それを渡すときにかけた言葉こそが最大の魔法となっていたのある。彼には神秘的な魔法の力はなかったが、その言葉の力によって彼らに自分の勝ちを認識させたのである。
「オズの魔法使い」という映画のメッセージ性を考えるとき、「言葉には魔法の力がある」という側面は重要であろうと思われる。
我々には神秘的な魔法の力はないが、「魔法としての言葉」をもっている。だからこそ、誰かに対してその魔法の力を使うことをためらっては行けない。そんな物語だったのではないだろうか。
しかしその一方で、その「言葉の魔法」の力を使って案山子たちにその価値を認識させたのが単なる「ペテン師のおっさん」だったことには皮肉が効いていると言わざるを得ないだろう。
詐欺師が操る「言葉の魔力」という皮肉と、それでもなお描かれる言葉の大切さ
上で述べたようにこの作品は「言葉の魔法」の素晴らしさが描かれてはいるのだが、それを「ペテン師のおっさん」に言わせることで、そのの恐ろしさをも克明に描いていると言えるのではないだろうか(あのおっさんはサーカス団員ではあったが、本編での描写はどう見ても「ペテン師」であった)。
言葉には、人々を前向きにし、自立へと導く魔法の力がある。だが、その魔法の力を最も強力かつ意図的に利用しているのは、善意の存在などではなく、他ならぬ「詐欺師・ペテン師」であるという、この世の悲しさと危うさが表現されているのではないだろうか。
人間は、権威の皮を被った心地よい嘘にすがりつかなければ、自分自身を肯定することすらできないことがある。我々はこの美しいファンタジーを通して、そんな人間の根源的な弱さと愚かさ(人間の業)を突きつけられているということになるだろう。
そして、北の魔女に促された物語のラストでドロシーが口にした魔法の言葉「やっぱり家が一番(There is no place like home)」も、この視点に立つと薄ら寒いものを感じてしまう。
どう考えたって、必ずしも「家が一番」とは限らない。「ここではない何処か」を目指した彼女の旅が、あの魔法の世界を新天地として終わったって何もおかしなことはない。あの「やっぱり家が一番(There is no place like home)」という言葉は、ドロシーを異物として魔法の世界から追い出す方便にも見えてしまうし、我々映画を見ているひとにそのような価値観に先導するものにも見える(流石にうがった見方すぎるけどね)。
とはいうものの、映画のラストはドロシーが農場の人々から優しい言葉をかけられて終わっている。それもやはり「言葉の魔法」である。どれほどドロシーを大切に思っていてもそれを言葉にしなければ子供であるドロシーには伝わらないのである。
以上のことをまとめるならば、この作品のメッセージ性は、「言葉は魔法」だが、だからこそその言葉を誰が使っているかを見極める必要がある。その上で、せめて相手に対する肯定的な思いはきちんと言葉にしなくてはならない。そうしなければせかっくの「言葉の魔法」がその力を発揮することが出来なくなってしまう、ということになると思う。
以上が私が「オズの魔法使い」について考えたことでございます。メッセージ性という方向で記事を書きましたが、「セピア色からカラーに変わる驚き」とか、何故か心に残り続ける「ゼブラの靴下とルビーの靴」、そして「必要以上に不気味な城の兵士たち」という映像的なおもしさがこの映画の基本的な魅力であるとは思います。
本作に登場する「西の悪い魔女」と「北の良い魔女」の知られざる学生時代を描いた前日譚「ウィキッド ふたりの魔女」については、以下の記事で考察・解説しています。
また、この「オズの魔法使い」のもつ「ご都合主義」に見える展開は「ウィキッドシリーズ」で見事に補完されています。「マレフィセント」のような「公式二次創作」ですが、うまいこと全ての現象に理由と意味をつけています。
このように、今なお関連作品が作られ続ける「オズの魔法使い」ですが、皆さんにとってはどのような物語だったでしょうか。
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