1985年に公開された映画「グーニーズ」(監督:リチャード・ドナー、原案:スティーブン・スピルバーグ)。

マイキーを始めとした主人公たちは、犯罪者のフラッテリー一家に終われながら、危険な洞窟を冒険することになり、子どもたちは何度も命の危機にさらされる。

しかし、この映画における本当の恐怖は、地下の暗闇で発生していたのではなく、むしろ明るい「地上」で発生していた。

普通に考えれば、井戸の場面で地上へ戻るべきだったのだが、マイキーはそれを拒絶する。彼が地上にもどることを拒んだのは、それが大人たちの敗北を、そのまま受け入れることだったからであり、その方が彼にとっては恐怖だった。

そしてこの映画の面白さは、地上で敗れかけた親たち、地下で逃げ惑う子どもたち、そして歴史の闇に消えたウィリーという時代も世代も場所もバラバラだった彼らの孤独な戦いが、財宝を媒介にして繋がり、巨大な現実を打ち破る美しくも泥臭い「共闘」の物語であったからではないだろうか。

今回は、井戸の場面を中心に、この映画に隠された「3つの並列する戦い」を紐解きながら、真の面白さについて考えていきたい。

以下ネタバレについては一切気にしない文章となっているので、未視聴の方は注意してください。

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  • 本当の敵は「大人の敗北」: 井戸の上にあるのは安全ではなく、家を失う現実である。
  • 3つの並列する戦い: 親、子ども、ウィリー。それぞれが孤独に直面していた「居場所を奪う現実」との戦い。
  • マイキーの決断: 井戸で戻らないという選択は、遊びが現実への抵抗に変わる瞬間である。
  • 孤立から共闘へ: 地下で見つけた夢が、時代を超えた連帯を生み、地上の現実を打ち破る。

冒険の始まりと「大人の敗北」という見えない敵

夕暮れ時、海辺に建つ寂れた古い木造家屋を見上げる4人の子供たちの後ろ姿。文字内容:「「地上」という恐怖、「地下」という希望」

「グーニーズ」は、子どもたちが海賊の財宝を探す冒険映画となっている。

しかし、もし彼らが何でもない休日の退屈しのぎに地下へ向かったのなら、ただの楽しい宝探し映画で終わっていた。ここで重要なのは、彼らが「家を失う前日」に地図を見つけたという事実である。

グーンドックスという自分たちの居場所が消えようとしていたわけだが、この冒険は、日常の外へ飛び出すためではなく、むしろ日常を失わないための冒険であった。

一方、大人たちはどうだったか。親たちもまた、映画の枠外でずっと戦っていた。しかし、大人たちが戦っている相手は「契約書」「返済期限」「差し押さえ」という見えにくい敵である。親たちは地上のルールの中で孤軍奮闘し、決定的な敗北(署名)の直前まで追い詰められていた。

地上のルールでは、もう勝つ手段が残っていない。だからこそ、子どもたちの冒険が必要だった。

子どもたちの冒険はある意味で「親を代理する戦い」という意味合いを持っていることがわかる。

映画公開直前のアメリカは、ニ度のオイルショック(1973年と1979年)を背景とした酷いインフレの状態にあった。

1985年の公開当時にはすでのインフレは収まっていたが、物価高の記憶はまだ残っていただろうし、それによるダメージはまだ残っていたと思われる。

この辺の事情については「おまけ」でより詳しく解説している。

映画の構造に隠された「3つの戦い」

夕暮れに地図を見る男女、洞窟を探検する子供たち、月夜の海賊船という3つの場面を上下に組み合わせた構成。文字内容:「交錯する三つの時代」

フラッテリー一家とイギリス海軍〜3つの並列する戦い〜

地下へと潜った子どもたちを執拗に追う「フラッテリー一家」。彼らは単なるコミカルな悪党ではない。

実はこの映画では、3つの異なる戦いが美しいまでに「並列」して描かれている

地上において、親たちは「差し押さえ」という巨大な現実と戦っている。
地下において、子どもたちを追い詰める「フラッテリー一家」は、地下の世界にまで容赦なく侵入してくる「大人の暴力」であり、子どもたちにとっての「差し押さえ(=逃れられない現実の脅威)」そのものである。

そして過去の世界において、片目のウィリーを洞窟の奥深くへと追いやった「イギリス海軍」もまた同じ。ウィリーにとってのイギリス海軍とは、マイキーたちにとってのフラッテリー一家であり、親たちにとっての差し押さえという「圧倒的な現実」に他ならない(もちろん海賊であるウィリーに対して同情の余地はないが):

並列する三つの戦い

時代も場所も異なるこの3つの戦いは、すべて「自分の居場所と世界を奪おうとする巨大な現実」との戦いとして、見事に重なり合っているのである。

最大の分岐点「井戸」〜マイキーはなぜ地上へ戻らなかったのか〜

この並列構造を踏まえると、映画中盤で地上と地下をつなぐ「井戸」へたどり着いた場面の意味がより鮮明になる。

地上へ戻れば、洞窟の危険(フラッテリー一家)からは確実に逃れられる。しかし、井戸の上にあるのは安全ではない。親たちがもう受け入れかけている「差し押さえ」という敗北へ戻ることを意味する。

マイキーが井戸で戻らないのは、ただ勇敢だからではない。ここで戻れば、本当にすべてが終わってしまうと認識していたからにほかならない。

この瞬間、彼らの行動は「ワクワクする宝探し」から、「敗れかけている現実に対する反撃」へと明確に変わる。

もちろんこの前から、彼らは差し押さえを逃れるための資金を得るという目的はあったのだが、「冒険に対する単純な興奮」も含まれていただろう。井戸の後、「現実に対する反撃」が純化したということになると思う。

彼らは親たちと同じように巨大な現実に追い詰められながらも、マイキーたちは逃げることなく、地下で戦い続けることを選んだ。それは彼らの親の戦いと同じだった。

夢が現実を打ち破るラストシーン

夕日が差し込む洞窟の中で光り輝く財宝が詰まった宝箱を囲み、海に向かって歓喜する子供たち。文字内容:「「ご都合主義」ではあるけれど・・・」

片目のウィリーが「最初のグーニーズ」である理由

地下の奥深くで、マイキーたちはついに片目のウィリーと対面する。

そこでマイキーはウィリーに

You were the first Goonie.
君が最初のグーニーズだったんだ。

と語りかける。字幕・吹き替えだと「グーニーズの仲間」とか「僕らの仲間」と訳されていると思う。

マイキーのこの言葉はどういう意味だったのか?

イギリス海軍という圧倒的な現実から逃れ、地上の歴史から消えようとも、自分の船、自分の宝、自分の世界を守るために、夢を地下の奥深くに残した者。 ウィリーもまた、自分の場所を守るために決して屈しなかった「グーニーズ」なのである。

だからこそマイキーは、ウィリーをただの海賊としてではなく、同じ戦いをする「仲間」として扱う。ウィリーは死者であるが、その夢や抵抗の意志は死んでいない。井戸で地上へ戻らなかったマイキーたちは、ウィリーの遺志を受け取ることになる。

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孤独な戦いが「共闘」へと変わる奇跡

ラストシーン、子どもたちが地下から持ち帰った財宝によって、ギリギリのところで親たちの署名は止まる。

これは完全なる「ご都合主義」なのだが、重要なのは、地下で見つけた夢の産物が、地上の現実(差し押さえ)を打ち破ったという構造そのものである。

地上で「差し押さえ」と孤独に戦い、敗れかけていた親たち。 地下で「フラッテリー一家」という理不尽な暴力から逃げ惑っていた子どもたち。 そして過去に「イギリス海軍」という圧倒的な力とたった一隻で戦っていたウィリー。

それぞれが誰にも理解されず、自分の居場所を奪おうとする巨大な現実に対して孤独な戦いを強いられていた。しかしこの瞬間、並列して描かれていた3つの戦いは、完全にひとつに繋がり合う

ウィリーが残した夢(財宝)を子どもたちが受け継ぎ、それを地上へ持ち帰ることで、親たちを縛り付けていた現実を打ち砕く最強の武器となった。

「グーニーズ」のラストがカタルシスをもたらすのは、ただ家が守られたからではない。時代も場所もバラバラだった彼らの孤独な戦いが、財宝というバトンを通じて繋がり、時代を超えた巨大な「共闘」として結実するからである。

これは、居場所を奪われそうになった者たちが連帯し、夢の力を借りて現実をねじ伏せる、最も美しくも泥臭い奇跡の物語だったと言えるのではないだろうか。

後述する(あるいは先述した)ように、この映画公開の直前のアメリカは2度のオイルショックを背景とするインフレに苦しんでいた。

この映画は子どもたちが起こした奇跡がその苦境を見度とに打ち破っているわけだが、日本で言うところの「必殺仕事人」とか「水戸黄門」と同じ類の映画だったと見ることができるだろう。

エンディングは「ご都合主義」だが、それが必要な苦しい現実があったということになると思う。

おまけ:立ち退きの原因と映画公開直前までアメリカを襲った酷いインフレ

インフレを報じる新聞や住宅ローンの請求書、計算機が置かれた机と夕暮れのガソリンスタンド。文字内容:「親が戦った「見えざる敵」」

グーンドックスの住人は何故立ち退きを余儀なくされたのか

映画の舞台となった「グーンドックス」の住人は立ち退きを迫られており、本編はその期限の前日というギリギリな状態で始まる。

しかし、本編中ではその経緯があまり良くわからない。ラストシーンを見ると何と50軒もの立ち退きがあったことになっている。

これを考えるためにヒントになるのが小説版の「グーニーズ」である。これはアメリカで1985年1月1日に発行(日本語翻訳は同年10月10日)されたもので、ほんの僅かに映画では描かれていないディティールが描写されている。そこでの描写をまとめると、

  1. 春頃に、グーンドックスの大部分の土地と家はヒルサイド・カントリークラブが所有していることがわかる。
  2. ゴルフコース拡張のため住人に立ち退きを迫る。
  3. どたんばになって裁判所から、住民には「先買権」があるとい判断が下り、資金さえあれば土地と家屋を買取ることができことになる。
  4. しかし、そんな資金はないので立ち退きを余儀なくされる

これである程度説明されている気がするのだが、少々違和感がある。この流れを直接的に捉えると、マイキーたちの家は「借家」だったことになる。にも関わらず、所有者がカントリークラブであったことを知らないというのはおかしい。

となると、以下のような流れだったと考えれば整合性が取れると思われる:

  1. マイキーの親たちは、銀行などで住宅ローンを組んで家(と土地)を購入。
  2. しかし、70年代のオイルショックを背景とするインフレ、高金利、不況で返済が苦しくなっていた(この時代のインフレについては後述する)。
  3. そこで銀行などの貸付側は回収が難しい債権や土地を処分したがる。
  4. かねてより「グーンドックス」の土地を狙っていたカントリークラブ側がそれらの不良債権を買い取る。
  5. その結果、カントリークラブ側が土地・家屋・担保権を実質的に握る。
  6. 住民には買い取り権や居住権が残るが、それを行使する金がなく、映画本編にいたる。

銀行などが差し押さえしたものを買い取るという手もあると思うが、銀行がいつ差し押さえするか分からないし、不良債権の状態で購入したほうが安くつくと考えたのだろう。また、この過程で、マイキー達以外の住人ですでに差し押さえなどが終わっている土地はカントリークラブが所有することになるので、小説版の「大部分を所有」とも矛盾しない。

現在に日本においては「サービサー法」があり、不良債権の売買ができるのは国の許可を受けた債権回収会社となっているが、アメリカにおいては当時から不良債権の売買までなら、当時から比較的自由に行なた。もちろんその後の回収や差し押さえには規制がかかることになる。

しかし、カントリークラブ側は何故こうまでして新しいコースを作りたかったのか?

上で考えたことは状況を説明はするが、あまりにもめんどくさい。もはや執念と呼べるものも感じる。

一つの理由としては、80年代中頃にはアメリカで2000万人だったゴルフ人口ーは徐々に増え続け2000年には3000万人まで増えていたということがある(参照:National Golf Foundation「Golf Participation in America, 2010-2020」)。つまり、極めて成長過程にあったゴルフ産業の波に乗りたかったと考えられる。

そしてもう一つは、主人公たちが街を去り、ゴルフコースが拡張されると、不動産価格が上昇するということである。

「The Journal of Real Estate Finance and Economics」に掲載された論文「Golf courses and residential house prices: An empirical examination」によると、ゴルフコースがあると住宅価格が7.6%上昇する。

したがって、カントリークラブ側としては、商売としてのゴルフもさることながら、近くに住む会員の不動産価値を上げることに目的があったと考えるのが自然だろう。

彼らの目には、マイキーたちの親、自分たちの資産価格を既存する邪魔者だった。だからこそ、面倒な手続きを踏んででも、あの場所を追い出したかったのである。

まあ、資本主義社会で生きるとはこういう現実と戦うということなので「しょうがない」という結論にはなるのだが。

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映画公開直前までにアメリカを襲っていた酷いインフレ

映画の中では詳しく説明されないが、主人公の親たちは親たちで、非常に苦しい経済状況のなかで戦っていたことが推定される。

この親たちの苦しさを考えるうえで、1980年代前半のアメリカの社会状況は無視できない。

「グーニーズ」が公開されたのは1985年だが、映画は公開日に突然生まれるものではないので、企画、脚本、撮影には、その少し前の時代の空気が入り込むと思われる。つまり、この映画の背景を考えるなら、1985年だけではなく、1970年代末から1980年代前半にかけてのアメリカを見ることに意味があるだろう。

この時期のアメリカでは、物価が大きく上がっていた。背景には、いくつかの要因が重なっている。

ひとつは、1970年代に続いたインフレを、金融政策が十分に抑えきれなかったことである。Federal Reserve Historyは、この時期の大インフレ(Great Inflation)について、FRB(連邦準備制度理事会)が過剰な貨幣供給を許したことも重要な原因だったと整理している(参照:Federal Reserve History「The Great Inflation」)。

そして重要なのが、石油価格の急上昇である。1973年と1979年の石油危機によって、ガソリン代や暖房費だけでなく、物を運ぶ費用、工場を動かす費用、生活全体に関わるコストが上がった。BLS(米国労働統計局)の長期CPI分析(長期消費者物価指数分析)でも、1968年から1983年は持続的なインフレ期として扱われ、短期的な物価変動はエネルギー、とくにガソリン価格に大きく動かされたと説明されている(参照:BLS「One hundred years of price change」)。

さらに、インフレが長く続くと、人々は「これからも物価は上がる」と考えるようになる。企業は先に価格を上げ、労働者は賃上げを求め、貸し手は将来返ってくるお金の価値が下がることを見込んで高い金利を求める。こうして、インフレは一時的な値上がりではなく、社会全体の前提になっていく。

実際、アメリカの消費者物価上昇率は、1978年に7.6%、1979年に11.3%、1980年に13.5%、1981年に10.3%を記録している(参照:Federal Reserve Bank of Minneapolis「Consumer Price Index, 1913-」)。

13.5%のインフレとは、去年100ドルで買えていた生活用品のまとまりが、今年は113.5ドル出さなければ買えないということである。

しかも、それが一年だけで終わったわけではない。食費、ガソリン代、光熱費、保険料、修繕費などが数年かけて上がっていけば、普通に働いている家庭でも、少しずつ余裕はなくなっていく。

そして、このインフレを抑えるために、アメリカの中央銀行であるFRBは強い金融引き締めを行った。物価上昇を止めるために、世の中の金利を高くする方向へ動いたのである。

その結果、この時代は金利も非常に高かった。Freddie Macの30年固定住宅ローン金利を見ると、1981年10月には18%台に達している。映画公開時の1985年にはピークを過ぎていたが、それでも6月時点で12%台の水準だった(参照:FRED「30-Year Fixed Rate Mortgage Average in the United States」)。

もちろん、マイキーたちの親はこの金利上昇以前にから固定金利の住宅ローンを組んでいたと思われるので、金利上昇によって既存の返済額が突然跳ね上がったわけではないと考えるのが自然である。

しかし、物価上昇で生活費が重くなり、家計が苦しくなった家庭が、滞納分を整理したり、追加でお金を借りたり、家を担保にして資金を用意したりする場合、高金利は大きな負担になる。

そうした流れの中で、普通に働く家庭であっても、少しずつ逃げ場を失っていくことは十分にあり得る。

実際、住宅ローンの差し押さえ率も1980年代に入って上昇している。FDIC(連邦預金保険公社)のワーキングペーパーによると、通常住宅ローンの差し押さえ率は1980年の0.31%から、1985年には0.68%へ上がっている(参照:FDIC Working Paper「The Rising Long-Term Trend of Single-Family Mortgage Foreclosure Rates」)。

この数字は、1985年のアメリカで家が次々に奪われていた、ということを意味しないのだが、家を失うリスクが1980年代に入って高まっていたことは分かる。少なくとも、「グーニーズ」の立ち退き設定は、完全な作り話として片付けるには、当時の生活不安と近い場所にある。

さらに、1981年から1982年にかけて、アメリカは深い景気後退も経験している。Federal Reserve Historyによれば、この不況はインフレを抑えるための強い金融引き締めと結びついており、1982年末には失業率がほぼ11%に達した(参照:Federal Reserve History「Recession of 1981–82」)。

つまり、「グーニーズ」が作られる少し前のアメリカでは、物価が上がり、金利が上がり、景気も悪化した時期があった。

その状況は、映画公開時の1985年には少し落ち着き始めていたのだが、普通の家庭の家計には、その余波が残っていたと考えられる。あるいは、寧ろ蓄えがなくなり、現実の問題が健在化していたかもしれない。

このような背景を考えると、地上にいた親たちも苛烈な戦いをしていたことがわかる。しかも、最初にできる戦いは支出の削減しかない。大人だけならどうとでもなるが、子供がいる場合何でもかんでも削るというわけにはいかない。

映画のラスト、財宝によって状況が逆転するという「ご都合主義」の痛快さが見て取れるのではないだろうか。

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