「だから殺せなかった」は一本木透の小説であり、2022年にWOWOWでテレビドラマ化された。
今回はドラマ版の「だから殺せなかった」の面白さを語っていこうと思う(原作は読んでいない)。
この作品との出会いは完全に偶然であり、Netflixで配信されていたのをBGM(background movie)として流して自分の作業をしようと思っていたのだが、話が進むにつれて「これはいかん、ちゃんと見よう」という事になり、なすべき仕事が進まないままに全編を見ることとなった。
結果として、これはきちんとブログ記事にしようと思えるような作品となった。一言で感想をまとめると、この記事のタイトルにあるように「面白い」ということになるのだが、そのような表現で終わってはならない作品だと強く感じた。
まずはこの作品のあらすじを振り返ろう。ただ、あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください。
「だから殺せなかった」のあらすじ(ネタバレあり)
発端
物語の主人公は太陽新聞本社勤めの記者一本木透(いっぽんぎとおる)。
彼は二十年前、群馬県庁で発生した汚職事件に関する記事を書いたことで一つの闇を抱えていた。
その汚職事件の中心人物として自らが報じた白石健次郎(群馬県出納長)は自らの婚約者であった白石琴美の父であった。
白石出納長はその報道の後に自殺。琴美も透の前から姿を消してしまった。
一年後、透はようやく琴美の所在を知ることになったが、そのときにはすでに琴美はなくなっていた。
透は当時からの上司であった吉村隆一(よしむらりゅういち)に当時のことを記事にするよう依頼される。透が書いたその文章は「記者の慟哭(きしゃのどうこく)」として太陽新聞紙上に掲載され、多くの反響を呼んだ。
時を同じくして、首都圏で発生していた3件の殺人事件が同一犯の可能性があり、合同特別捜査本部が設置されるというテレビ報道がなされる。
透もその事件の調査に乗り出す。殺害された被害者は、村田正敏45歳(川崎市職員)、本郷正樹29歳(IT関連会社勤務)、小林洋次郎42歳(運送会社勤務)の三人。男性であるという以外の共通点を見出すことができずにいた。
そんな中、太陽新聞社に犯人を名乗る人物から手紙が送られてくる。
犯人からの手紙
その手紙には真犯人しか知り得ない情報が含まれており、本物であると認められるものであった。
手紙の内容は、
- 自らは歴史に名を残すべき凶悪犯であり、自らの言葉は正確に歴史に記録されなければならない。
- 「記者の慟哭」を読み一本木透に興味を持った。
- 太陽新聞を世間から注目を集めるための「リング」として使う。
- 対戦相手として一本木透を指名する。
- 手紙が届いたら一本木透の反論を必ず新聞紙上に載せなければならない。
- さもなくば犠牲者が増える。
- 犯行動機は人間は「ウィルス」であるから。
- 自らは「ワクチン」として殺人を行っている。
というものであった。太陽新聞社は手紙の存在を警察に知らせるとともに、新聞紙上に犯人の手紙の内容と透の反応を乗せることを決める。独自の調査も続行した。
その調査のなかで、被害者たちの家庭は破綻しており、妻や子供に暴力を働いていたことが明らかになる。
そんな折、事件の犯行現場で聞き込みをする透は、大学生の江原陽一郎(えばらよういちろう)を見かける。彼は犯行現場を執拗に写真に収めており、透と目が合うやいなや逃げ出すのだった。
事件との関連を疑った透は陽一郎の自宅を見つけ出し取材に向かうが、本人からの証言を得る前に父親である江原茂に止められてしまった。
江原陽一郎
江原陽一郎は都内の私立大学に通う学生(3年生)。母 江原むつみを半年前に膵臓がんでなくしており、父 茂共々未だにその悲しみの中にいた。
更に陽一郎は、母の日記を読んでしまい、自分と両親に血の繋がりがないことを知ってしまう。
江原一家は非常に中の良い家族であったが、その美しい過去が全て否定された思いに駆られた陽一郎は、世間で発生している様々な事件に興味を抱くようになった。その事件の被害者に比べれば自分はまだマシだと思うことで自分を保っていたのだ。
そんな陽一郎であったが、透が家に押しかけたことがきっかけとなり、父 茂との対話が実現。父から自らの出生についての説明を受けた陽一郎は、心にあった蟠りから開放されるのだった。
茂によると、群馬県で医師 石橋光男が開業していた産婦人科の玄関に捨てられていたのが陽一郎であった。茂とむすみは子供欲しがっていたのだが、医師の診断の結果子供得られないことがわかっていた。そんな二人のことを知っていたい石橋がその子を二人に託したことが江原一家の始まりであった。ただこの時、石橋は偽の出生証明書を作っており、陽一郎は養子ではなく書類上は実の子として育てられていた。
透は陽一郎本人から一連の事実を聞かされ、事件との関連がないことに納得する。
第4の殺人
連続殺人犯との紙面での対話が続く中、透は読者からの意見を反論として掲載。透との対話を臨んでいた真犯人はそのやり口に不満を漏らし、次なる殺人を予告する。
そして4人目の犠牲者が出てしまう。
これまでその状況を楽しんでいた世間は、太陽新聞と一本木透への非難にかじを切り始める。
透本人も自分の行動に疑問を持ち始めるが、陽一郎から「一本木さんは間違っていない」と直接の声援を受ける。陽一郎は自らの話に真摯に耳を傾けてくれた透にある種の尊敬の念を抱いており、新聞記者になるという夢を抱く程になっていた。
そんな折、ワクチンから新たな殺人予告が太陽新聞社に送られる。
しかも今回は、首都圏全域の家を無作為に選び、太陽新聞社に送られたものと同様の封筒を投函。そのうちの誰かが犠牲者となるというものだった。
犯人が暴走をする中、警察は太陽新聞社に事件に関する記事を載せないように要請する。しかし、取締役の吉村隆一は社長からも直接記事を載せないよう命令を受けるが、独断で記事の掲載を決断。
一面にワクチンの殺害予告が載ったその日、陽一郎の自宅に犯人からの封筒が届く。時を同じくして、一本木透の自宅にも同じ封筒が届いていた。
江原茂の決断
結果として都内で20通の脅迫状が届いたが、5人目の犠牲者が出ることはなかった。
そんな折、茂からの連絡を受け透は陽一郎の自宅を訪れる。そこで茂は以下のことを透に告白する:
- 茂のもとには以前から今回の脅迫状と同じ封筒の脅迫状が届いていた。
- その送り主は陽一郎の実の父親であり、ワクチンと同一人物であると考えられる。
- 実父は偽の出生証明書を作ったことをネタに茂を脅しており、子供を返せと主張している。
- また、警察に通報した場合、陽一郎に危害を加えると主張していた。
- これまで届いた脅迫状は気味が悪かったため燃やしてしまった。
茂は実父の名前も知っていたが、その名はまだ透には教えられないという。その上で茂は、実父との問題を金銭的に解決しようとしていることを告げる。おそらく危険はないと考えてはいたが、もしものときに警察に連絡してもらうために茂は透を自宅に招いたのだった。
そして、陽一郎にも事の真相を伝えてほしいと透に要請する。実父がワクチンと同一人物である事実を除いて。
透はこの事実を上司の吉村隆一に告げるが、警察への通報は待つべきだと主張し、この件に関して独自の調査を進める。
そんな中、4人目の犠牲者の息子が児童養護施設にいることが分かる。理由は父からの虐待であった。
終結宣言
遂に真犯人からの「終結宣言」が太陽新聞社に送られた。その署名には今まで通りの「Vaccine(ワクチン)」と共に毛賀沢達也(けがさわたつや)の名があった。
大学教授である毛賀沢は太陽新聞社の外部論説委員も勤めており、最近では不倫を含む様々なスキャンダルの渦中にいた。
透は茂に連絡するが、茂も数日間毛賀沢とコンタクトが取れていないようだった。茂が透に隠した名はまさしく毛賀沢だった。
「終結宣言」の中には自殺をほのめかす記述もあり、警察は懸命に毛賀沢を追う。
しかし・・・一本木透だけはその状況に違和感を覚えていた。何か一つピースが足りないと。
透は独自の調査を続ける。
透が調査を進める中、毛賀沢の遺体が発見される。
メディアはその死と事件の終結を報道するが、透から事件の記事化を踏みとどまるように要請されていた太陽新聞は一歩遅れを取ることになる。透の上司も社内で際どい状況に立たされる。
その一方、透は遂に事件の真犯人にたどり着く。
いちおうの解決
事件の真犯人は江原茂であった。
茂は幼少期に実の父から深刻な虐待にあっており、児童養護施設で育った。そこで出会ったのが後に妻となる むつみ。
茂ると むつみは懸命に生き、夫婦となった。残念ながら血のつながる子を得ることはできなかったが、陽一郎という子を得て、二人は大切に陽一郎を育てた。
状況を根本的に変えてしまったのはむつみの死。
その死の不条理さに耐えられなかった茂はすべての原因を自らの父に見出す。
父に復讐すべく所在を調べた茂がたどり着いた先にいた父は、自らを虐待した強大な存在ではなく、虚ろとした孤独な老人に成り下がっていた。
そんな虚ろな存在に復讐しても何ら意味のないと自覚した茂。彼の報われない心は、同じ境遇の子どもたちの代理としての復讐に向いた。
そして、陽一郎の実父である毛賀沢にすべての罪を負わせて事件を締めくくることを考えていた。茂にとって毛賀沢は陽一郎を捨てた罪を負った存在であった。そしてそれを実行した。
以上の江原茂の犯行は、一本木透の懸命な調査委によって明るみに出あたのであった。それでもなお茂は、毛賀沢が陽一郎の実父であることは隠し切ってほしいと透に頼むのであった。
だから殺せなかった
一本木透の仕事によって、首都圏で発生した連続殺人は完全な解決をしたかに見えたが、そこには江原茂最後のトリックが隠されていた。
陽一郎の実の父は毛賀沢ではなく一本木透であった。
陽一郎は病院に捨てられた子供ではなく、白石琴美がその医院で出産した子供。しかし、琴美は体調を悪くし死に至ってしまった。その子供を江原夫妻が懸命に育てたのであった。
ただ、茂にとって透は妻子を捨てた忌むべき存在であった。
そしてむつみの死後狂気に走った茂の最後の標的は一本木透。実のところ茂は透の至近距離まで接近していた。
でも、殺せなかった。
それは、自分の身勝手な思い故に、愛する息子の実の親を奪ってはならないという思いからだった。
だから、殺せなかった。
「だから殺せなかった」の感想
基本構造としての同情したくなる殺人
この作品に限らず、多くの物語において「同情したくなる殺人」がその中心となっている。
胸糞悪いだけの殺人なら警察や探偵が一方的な正義の味方となるわけだが、「だから殺せなかった」はそのような話にはなっていない。
今回の同情ポイントは3つ、
- 被害者が子供を虐待するクズであったこと、
- 真犯人である江原茂も虐待の被害者であったこと、
- 血の繋がらない息子の実の父だけは殺めることができなかったこと
になるだろう。この物語の「大落ち」はもちろん3つ目のポイントに集約され、それが我々の胸を打つことにはなっている。
しかし、この「大落ち」を待つまでもなく江原茂と江原むつみの深い愛情に我々は胸を打たれており、いい意味で「大落ち」の衝撃はなくなっている。タイトル回収の爽快感は間違いなくあるが。
その中でこちらに突きつけられる問は「貴方は江原茂の行動をどう考えますか」となるだろう。
これはフィクションであるからこそ意味のある問いなのだが、このような問を考える時私はどうしても実際に起きた事件のことを思い出す。まずはその事件を振り返り、この問いに戻ることにしよう。
マリアンネ・バハマイヤー事件
ここで私が振り返りたいのは、1981年ドイツ リューベック地方裁判所でマリアンネ・バハマイヤー(wiki)が起こした事件。
この事件を一言で述べるならば、娘(当時7歳)を強姦された挙げ句に殺害された母親が裁判所で犯人を銃殺した事件、となる。
細かくはWikipediaのマリアンネ・バハマイヤーのページを見ていただければと思うが、フィクションではなく実際に起こった事件であるのに、何やら同情的になってしまうのではないだろうか。
事件の犯人が性犯罪の常習犯であったことを思うといよいよマリアンネのやったことに拍手を送りたくなってしまう。
実際にはマリアンネ自身の過去や、必ずしも「良い母」ではなかったと思われる事実が明らかとなり世間の見方は分散したようだが、子供に熱湯を浴びせ、壁に叩きつけ、蹴りを食らわす親が存在していることを考えれば、まさしく親の誉れであろう。
ただ、彼女の行動に拍手を送るとして、法治国家に生きている我々はそんな自分の思いをどのように扱うべきなのか。彼女の行動はやってはならないことであるということは、すべての人が了解しているはずである。
このアンビバレントな内面の真実をどうしたものか?
発生してしまったこと、そして、自分がどう生きるかということ
さて、それが実際に発生した事件であったとしても、フィクションであったとしても、我々にとって重要なポイントはそれはすでに発生してしまった事実ということだろう。
つまり、過去に発生してしまった事実についてどう考えるかということと、これから自分がどう生きるかは別の問題として取り扱うべきである、ということを言いたいのである。
ここで「だから殺せなかった」本編に戻ろう。
我々が江原茂の犯行に拍手を送ってしまうことは全く持って肯定されるべきことである。それは特にフィクションの持っている特性にもよる。というのも、江原茂によって殺された人物が児童虐待を行っていたことはフィクションの中において事実である。
そのフィクション的事実を前提に彼は、死すべきクズを殺したのである。
ただ、だからといって自分自身がどう生きるかは別となる。
現代社会の根本原則は「復習の禁止」である。少なくとも私的復讐は禁止されているのだが、刑事事件に被害者が関与できない以上、「復讐の禁止」が原則であることは間違いない。
結局我々にできることは、このようなフィクションや発生してしまった事実に称賛を送り、自らは別の人生を送ることしかないのだと思う。
クズは死ぬべきだが殺してはならない。結局それが我々がたどり着ける最高到達点だろう。殺しちゃだめなんですよ。
我々が親に望む全て-だから殺せなかった-
ここまでは、江原茂の犯した殺人をどのように考えるかという問について考えてきたが、やはり「だから殺せなかった」に戻るべきだろう。
この作品は「殺人事件」が描かれた物語ではあるが、結局何を言いたかったのだろうか?
それは「だから殺せなかった」というタイトルと江原茂の告白に見出すのが自然と思われる。
つまり「こうであってほしい理想の親」こそがこの作品で描きたかったものだろう。
少なくともそれを描いてしまっていたと私は思う。
そして、それがそうであったとして、物語を消費することの本質は「作者の意図」や「描かれてしまったもの」を分析することではない。結局自分がその物語を見て、どのように生きたいと思ったのかということに尽きる。
私は江原茂の行動を称賛し、あんな親になりたいと願いながら決して人を殺さない、そんな人でありたいと思うことしかできない。
だが「決して人を殺さない」なんて、結局私に子供がいないからそのように思えるのかもしれない。
そんな、半端者の文章でございました。
この記事を書いた人
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