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シン・ゴジラ】あらすじとその考察-謎の男 牧悟郎を追う!-

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「シン・ゴジラ」は2016年7月29日に公開された庵野秀明監督による劇場作品である。

庵野秀明作品としては「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」と「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の間にあるという絶妙な作品であったが、私にとっては「ゴジラ」かつ「庵野秀明作品」ということで観に行かない理由はなかった。

今回はそんな「シン・ゴジラ」について個人的に考えたことを書いていこうと思う。

特に「私は好きにした、君らも好きにしろ」という「遺書」を残した牧悟郎について考えていこうと思う。

彼は何を好きにし、なにを好きにしろと言っていたのか。

まずは「シン・ゴジラ」のあらすじを振り返ることから始めてみよう。

以下あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください

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シン・ゴジラ」のあらすじ(ネタバレあり)

巨大生物の出現

11月3日8時30分。東京湾で無人のプレジャーボートが発見される。船内の捜索が行われる中、同湾内で水蒸気爆発が発生。アクアラインにも破損が生じ浸水する状況にあった。

政府は海底火山の噴火等の可能性を考え政府発表の準備を進めるが、そんな時、海中から強大な尻尾が姿を現す。水蒸気爆発の原因は自然現象などではなく巨大な生物であった。

内閣官房副長官 矢口蘭堂(やぐちらんどう)はいち早くその可能性を具申していたが、その懸念が的中してしまう。

政府がその捕獲、駆除の方針を決める中、湾内を移動する巨大生物がという京都大田区蒲田に上陸を果たす。

四つん這いの巨大生物は地を這い、周りの家屋を破壊しながら進行。住民も避難を進めるが徐々に人的被害が出始める。

そんな中、自衛隊の「防衛出動」の命令がくだされる。

その決定とほぼ時を同じくして、地を這っていた巨大生物が雄叫びを上げながら二本足であがる。それは単に体を持ち上げたということにとどまらず、まるで「進化」しているようだった。

状態が変化した巨大生物と自衛隊のヘリが対峙する。攻撃の命令がくだされるが、近くで人影を発見されたことによって一時的に中止されてしまう。

そんな時、沈黙していた巨大生物は何故か海に帰っていくのだった。

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ゴジラ

巨大生物の脅威に対応すべく、官邸内に「巨大不明生物特設災害対策本部」(巨災対)」が設置される。

事務局長の矢口を始め、そのスタッフは「霞が関のハグレモノ、学会の異端児」といった一癖も二癖もある面々であった。

そんな中、都内で異常な放射線量が観測される。

異常な数値を示す場所と巨大生物の通ったあとが一致することら、その原因が巨大生物であること、そして巨大生物が体内で核分裂を行うことでエネルギーを得ていることが推察された。

米国もその状況を懸念しており、日本に対応を求めていた。そして、アメリカ大統領の特使であるカヨコ・アン・パタースンが矢口と接触する。

カヨコは牧悟郎(まきごろう)なる人物の捜索を依頼してきた。牧は日本を追われて米国で研究生活を送っていた人物で、数年前から巨大生物の修験を予言してたという。生物学者でありながらエネルギー関連の研究機関に所属していた。

米国は牧が7日前に来日して以降の足取りがつかめていなかった。

矢口は巨大生物に関する情報トレードを条件に牧の捜索を引き受け、11月3日に東京湾で発見されたレジャーボートに乗っていたのが牧悟郎であったことを突き止める。

牧はボートの中に「私は好きにした、君らも好きにしろ」と書かれた遺書めいたメモものを残していた事もわかった。矢口はそのメモを含む遺留品をカヨコに渡すと、牧と巨大生物関するデータを受け取る。

米国エネルギー省(DOE)は「核廃棄物を餌とする水生生物」の存在を認識しており、その調査を民間に委託していた。その調査を請け負った牧は「古代生物が生き残っていた生物の生息域に核廃棄物が投棄され、その状況に対応するために放射線に耐性を持つ生物に急速に変化した」という仮説を立てた。

そしてその生物に「Godzilla」と名付けた。それは牧の出身地である大戸島に伝わる海の神「呉爾羅(ゴジラ)」に由来するものであった。

日本政府は謎の巨大生物を「ゴジラ」と呼称すると発表した。

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内閣総殉職

巨災対もカヨコから与えられたデータをもとにゴジラの解析を進める。

カヨコからも牧の残した謎の模様が書かれたシートが提供されるが、その意味するところは全く分からなかった。

日本政府と巨災対がゴジラに対する準備を進める中、相模湾沖にゴジラが再び現れる。

そのゴジラの姿はより大きく、より禍々しいものとなっていた。

今回は直ちに自衛隊が出撃し、ゴジラに対して攻撃を仕掛ける。しかし、その攻撃は全く効果を上げることがなく、ゴジラは東京の中心に向かってひたすらに進み続ける。

状況を静観していたかに見えた米国からもついに「大使館防衛」を名目に空軍機がグアムから日本に向かっているとの連絡がくる。

政府は事後的に「日米安全保障条約」の適用による協力要請を公表。米軍によるゴジラへの軍事攻撃が都内で展開される事となる。

それに伴い、政府首脳らは東京からの避難を開始。

しかし、米軍からの攻撃を受けたゴジラは、強力な放射火炎をよって米軍機を撃墜。加えて霞が関をも焼き尽くした。

ヘリで退避中の総理を含む大臣らも、その放射火炎によって消失するのだった。

その後僅かに移動したゴジラは、東京駅の前で沈黙する。

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ゴジラ殲滅作戦

総理を失った中で、偶然生き残っていた農水大臣 里見祐介(さとみゆうすけ)が総理大臣臨時代理に就任する。

巨災対はすでに、ゴジラが体内に原子炉をもっているという事実をもとに、その冷却機構に攻撃を仕掛ける作戦をすでに考えていた。

はからずも、内閣が全滅したことによってそれを前提とした作戦を実行できる場が出来上がる。

一方米国も、ゴジラの存在が根本的な脅威となり、核兵器の利用を検討した始める。そしてそれを日本政府に押し付ける。

矢口を中心とする巨災対のスタッフは、何としても核兵器の使用を阻止すべく、「矢口プラン」の準備を進める。

ゴジラの生態が明らかになるに連れ、矢口プランの実行には複雑な計算を要することが分かった。

困難な状況ではあったが、世界中の多くの優れた研究者は、「矢口プラン」実現のために自らの研究所が持つスーパーコンピューターを利用することを承諾する。なんの特もなく、リスクしかないのにも関わらず。

矢口は自らが立てた「ゴジラ凍結作戦」を「ヤシオリ作戦」と名付けた。

多くの困難と犠牲を下に、彼の作戦は成功を収めた。

しかし、そこには凍結されたゴジラが残された。

我々は、その存在とどのように生きていくべきだろうか。

シン・ゴジラ」の考察

牧悟郎は結局何を好きにしたのか?

「シン・ゴジラ」という物語に本質的に関与しながらも一度もその姿を見せてくれなかった牧悟郎。彼は遺言のように「私は好きにした、君らも好きにしろ」と書き残した。

ボート内に靴が揃えられていたことから、少なくとも自殺(海に飛び込んだ)ことは確実だろう。

その上で彼の行動のヒントとなるのは、

  • 牧悟郎は日本の学会を追われている
  • 最初期のゴジラの調査研究をDOEに依頼され行っている
  • ゴジラの出現を数年前から予言していた
  • 妻は放射線の影響で亡くなっている
  • その影響で牧は放射性物質を無害化する研究をしていた
  • どうやら日本は彼の妻を見殺しにしたらしい
  • そして放射性物質を生み出し続ける人間そのものを憎んでいた

映画の情報だけでよくわからないのは「日本が見殺しにした」という点だろう。どうやれば日本は牧の妻を見殺しにすることがのだろうか?

これを考えるには牧の年齢(世代)が重要になると思われる。カヨコ・アン・パタースンから矢口が受け取った書類を見ると「1962」「1959」「1957」という数字を確認することができる。1962の下には、

Teito University
Department of Integrative Biology, Graduate School
Faculty of Molecular Cell Biology

とあるので、おそらく博士学位を取得した年号である。1957年に学部を卒業、1959年に修士課程を終了しているということになる。

順当に行くと牧は1962年で27歳か28歳であることが分かるので、彼の生まれは1935年くらいということになる。

彼の妻も同世代だったと仮定すると、彼の妻は広島、長崎で被爆している可能性があり、おそらく、牧の妻は原爆症の認定からあぶれた人物であると推定される。

そりゃあ怒るよな。


参考


そのような中、彼は日本や人類への憎悪を抱えながら、それでもなお無毒化の研究を進めたことになる。

なんとアンビバレントなことだろうか。

妻亡き後、彼の研究はどう考えても妻以外の人類のためにしかならないのだが、牧はその人類そのものに憎悪をつのらせていた。

彼にできたことはすべてをその人類に託すことだった。彼にはもう何も決められなかったのである。

つまり、彼がしでかしたことは、DOEが補足していた突然変異した海生生物をゴジラに進化させること、ということになるだろう。

ただ、その具体的な方法についてはほとんど分からない。

「シン・ゴジラ」はできる限りSF的に物語が作られており、ゴジラという状況やその対応に対してなんとか理屈を作ろうとしている。

ところが肝心の「ゴジラ出現」あるいは「ゴジラ発生」に関してはいまいち分からない。

逆に考えると、そのような具体的な方法論は始めから設定されていないと考えられる。

つまり、牧の行動やゴジラの出現は、どちらかと言うとファンタジーに属するものであり、情念とか霊的なものとして理解すべきなのだろう。

となると答えはそんなに多くはなくて、牧は海生生物と融合してゴジラになった、または、その海生生物とは無関係にゴジラになった。

融合すると考えたほうがある程度物語の流れに沿うことになるが、どうやってその生物を東京湾に誘導したのかという疑問が残る。

となると、牧悟郎は海に身を投げ、放射性物質に対する憎悪の象徴としてのゴジラになった、ということになるのではないだろうか。

なんともアンビバレントな思いをその内部に抱えた牧は、自らは破壊衝動の象徴としてのゴジラとなり、その対策を残すことによってギリギリのフェアな勝負をしようとしたのだろう。

ただ、すべてのスタート地点を日本にしたあたりに、彼の祖国に対する絶望が見て取れる。それでもなおフェアな戦いをしようとした牧博士には、ある種の敬意を覚える。

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「機動警察パトレイバー the Movie」の帆場暎一

「シン・ゴジラ」を見ていると、どうしても思い出してしまうのが押井守であった。登場人物の台詞回や、作品がもつ全体的な雰囲気が極めて「押井的」と感じられる場面が多々あった。

その中で最たるものが結局は牧悟郎だろう。

重要なポイントは「ゴジラ」の英語名「Godzilla」の「God」をつけたのが牧本人であったこと。つまり、「ゴジラ」とは「神」である。そして、牧悟郎は自決することでゴジラとなり、それと同時に神となった

押井作品でこれとほぼ同じことをしでかした人物がいる。「機動警察パトレイバー the Movie」に登場した帆場暎一(ほばえいいち)その人である。

帆場暎一は物語のスタートと共に自殺し、彼が新開発のOSのウィルスを仕込み、都内のレイバーが暴走させ東京を破壊する計画を立てた。

彼の自決は自らの計画を完璧なものとする目的もあったが、同時に、ウィルスとして復活し自らが神として東京を破壊するという目的もあったと考えられる。

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2つの映画は、その物語がもつ基本構造が極めて酷似している。牧悟郎にしても帆場暎一にしても、根本的にはた迷惑であることも類似しているね。

もしかしたら「シン・ゴジラ」はその作品全体を通じて押井守にオマージュを捧げたものだったのかもしれない。


ここまでの話で牧悟郎についての話は終わるが、もう少しだけ他のことについても考えてみよう。

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カヨコ・アン・パタースンの謎

「シン・ゴジラ」を語る上で決して無視できないのが石原さとみが演じたカヨコ・アン・パタースンだろう。

彼女は所謂日系アメリカ人(祖母が日本人)であるのだが、映画を見た人は皆思っただろう。日系アメリカ人をキャスティングできなかったのかと。

ただ、ここではできる限りあのキャスティングを肯定的に捉えることを考えてみたい。

ポイントはなんだろうか?

ポイント1:我々の感じた違和感

最初に注目すべきなのは、我々が感じた違和感そのものだろう。

つまり、カヨコはあの映画の中で「異物」として存在しているということになる。

ではどのような「異物」なのだろうか。

思えばカヨコは極めて献身的に日本のために動いてくれた。確かに日本は祖母の祖国である。でも祖母の祖国であって彼女の祖国ではない。カヨコの祖国はアメリカである。

にも関わらずあんだけ頑張ってくれたのは、カヨコの存在はあの映画にとっての重要な「嘘」だったからだろう。

現代日本でゴジラが暴れる以上、米国とのパイプ役はどうしても必要になる。しかしその存在は単なるパイプではなく、酷く日本に肩入れしてくれる必要がある。

現実問題としてそんな都合の良い人物などいないだろう。

しかし、「シン・ゴジラ」という物語を推進するためには必要である。

そんな都合の良い「嘘」としての存在であるカヨコは「嘘」であることが分かるようになる必要がある。

それがあのキャスティングを生んだ理由と考えることができるのではないだろうか。

ポイント2:日系アメリカ人が演じていたら?

カヨコを考えるうえでもう1つ重要なのは「もし日系アメリカ人が演じていたらどうなっていたか」と考えることだろう。

私の予想では「シン・ゴジラ」は1時間伸びることになる

日系アメリカ人だけではなく「~アメリカ人」という存在にとってそのアイデンティティは極めてセンシティブで深刻な問題である。そしてそれはアメリカに限ったことではない。

そんな「日系アメリカ人」が日本のために奔走する状況を描くためには、その人のバックグランドをきちんと描かなくては物語に説得力がなくなってしまう。

しかしそれをやると映画はとんでもなく長くなる。もしかしたら1時間では済まなくなる。

私は映画が好きだし、しかもそれが庵野秀明作品となれば5時間の映画でも見る。しかし、そうでもない人は絶対見ないだろうし、そもそもそんな映画を配給してくれる人がいないだろう。

となると、アメリカとのパイプ役をしてくれる人を本物の日系アメリカ人に頼むわけにはいかない。その存在は酷く「シン・ゴジラ」にとって都合の良いものだから。

以上のように考えると、カヨコを日本人が演じることには強い必然性があったし、その中で石原さとみさんは懸命にその役を演じきってくれたと言えるのではないだろうか。

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なぜ我々はゴジラを倒せないか

「シン・ゴジラ」はそのラストで決定的な形ではゴジラを倒すことはできなかった。

ただそれは「シン・ゴジラ」に限ったことではなく、多くのゴジラ作品のラストはそうなっている。散々暴れた挙げ句にゴジラが殺されるということはまずない。

映画「シン・ゴジラ」で、なぜゴジラを殺せなかったのか?シン・ゴジラ」は2016年に公開された庵野秀明総監督、樋口真嗣監督の劇場作品である。庵野秀明監督によるゴジラの新作制作が明らかになった...

我々は何故、ゴジラを倒すことができないのだろうか。

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Sifr(シフル)
北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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