「シン・ゴジラ」は2016年に公開された庵野秀明総監督、樋口真嗣監督の劇場作品である。庵野秀明監督によるゴジラの新作制作が明らかになった当時は、エヴァンゲリオンの新作(シン・エヴァンゲリオン)を待ちに待っていたところだったので、僅かながっかり感があったものの、「庵野秀明がゴジラをやる」という事実のほうがよっぽど魅力的であった。
一度公開されると、私の周りでも多くの人が劇場に足を運び、知っている場所の話や電車の話、そしてテレビ東京の話やらで盛り上がることができたことをよく覚えている。
さて、今回は「シン・ゴジラ」でゴジラを殺せなかった理由を考えたいのだが、まずは「なぜゴジラは日本に来るのか問題」を考ようと思う。
【シン・ゴジラ】なぜゴジラは日本に来るのか?
ゴジラを語る上で重要なことの1つが「ゴジラはなぜ日本に来るのか問題」である。もちろん日本の映画だから日本に来るのだけれど、それ以外にも重要な視点がある。
つまり、「そもそも疑問の持ち方を間違っている」ということである。ゴジラが日本に来るという現象は、台風や地震が発生するのに近い。「なぜ台風が日本に来るのか」という疑問はあまり正当ではなくて、「台風が来る場所に我々が住んでいて、そこをたまたま日本と呼んでいる」という構造が正しいと思う。地震についても同様である。
基本的にゴジラについても「日本にゴジラが来る」のではなく「ゴジラが来るところに我々が暮らしていて、そこを日本と呼んでいる」が基本的には正しい姿勢だと思われる。
【シン・ゴジラ】どうしようもないものの象徴
つまり、ゴジラというのはでかい生物というよりは、台風や地震といった「どうしようもなく降り掛かってくる災いの象徴」である。これは宮崎監督作品「もののけ姫」の序盤に登場するタタリ神も同じ構造を持っている。「なぜあの村にやってきたのか」とか「なぜアシタカが呪われたのか」と考えても仕方がなくて「なぜか襲われ、なぜか呪われる」のである。
そして、我々は今なお台風や地震を制御できないので「しずまりたまえ~しずまりたまえ~」と祈り、災いが過ぎ去るのを待つしかない。
初代ゴジラでは人間が通常作り得る兵器は全く刃が立たず、天才芹沢博士の開発した「オキシジェンデストロイヤ」という「人間の能力を越えたもの」が必要であった。また、初代ゴジラは水爆実験の結果生まれた怪物なのだから、本来上陸すべきはアメリカである。しかし、ゴジラはそのような「理屈」が通る存在ではなく「不条理に」日本にやってくる。
そういう意味では「どうしようもないものの象徴」であると同時に「不条理の象徴」と言えるかもしれない(こう考えるとやはりタタリ神はゴジラであると思われる)。
ようやく「シン・ゴジラ」の話に戻るが、一応「シン・ゴジラ」の場合はゴジラが日本に来た理由が存在している。早い話が「牧悟郎博士が日本に復讐するためゴジラに変身して襲ってきた」ということになる。
まあ、「変身」は言いすぎかもしれないが「核廃棄物をにさらされた事によって巨大化したゴジラを自分の研究成果を用いることによって進化させた」ということは確かだろうと思うし、個人的には本当に「変身」したのだと思う(この辺が「好きにした」内容だと思う)。
そんでもって、理由があるのだから不条理ではないことになるかと言うと全く逆で、ゴジラによって被害にあった人々にとっては「いい迷惑」であるし、なくなった人にとっては不条理そのものである。
したがって、これまで述べてきたような理由によって、我々はゴジラを殺せないということになる。個人的な見解では、国連軍による核攻撃を下としてもゴジラは殺せなかったと思う。しかしながら、シン・ゴジラはここまでに述べてきた問題以外の意味合いを含んでいるように思われる。だって、総監督はあの庵野秀明なのだから。
【シン・ゴジラ】その存在が象徴するもの
さて、ゴジラを殺せなかった理由を考えるなら「もし殺せたらどういう話になったか」を考えるのも良いと思う。「シン・ゴジラ」は東日本大震災以後の作品であるので、様々な点で影響を受けており、基本的には最後のゴジラの姿は原発の象徴ではあるということでよいと思う。
したがって、2016年の段階で「犠牲を払いつつもゴジラを見事に蹴散らす」作品を創るということは「みんなで頑張れば原発問題だってなんとかなるよ!」という全く無責任で荒唐無稽に物語になっただろう。
したがって、「シン・ゴジラ」のラストは「我々はゴジラという問題を抱えながら、それでもなお生きていく」という最後しかなかったと思う。
またそう考えると、「シン・ゴジラ」においてゴジラが象徴しているものは、原発という具体的な問題以上の抽象度を持っていると思われる。つまり、ゴジラは「現状で解決不可能な問題の象徴」となっている。これはTVシリーズの「エヴァンゲリオン」や「もののけ姫」で描かれていたテーマでもあった。
まとめると、映画「シン・ゴジラ」でゴジラを殺せなかった理由は「現代を生きる我々は、みんなで力を合わせて戦ったとしても解決不可能な問題を抱えている」からである。荒唐無稽なエンディングを提供するのもよいかもしれないが、2016年にそれを行うのは、やはり不可能であったと私は思う。
おまけ:ラストシーンのゴジラのしっぽ
「シン・ゴジラ」といえば、どうしても気になるのが「ラストのしっぽ」である。なんかエイリアンっぽい奴らがしっぽの先から大量に生まれているように見えるが、あのシーンで終わられると、初見の我々としては「あれ何だったんだよ!」と気になって眠れない夜を過ごすことになる。
しかし悩む必要はない。ちゃんと本編で説明がある。しかもセリフで説明してくれている。本編1時間17分辺りから始める「巨災対」の面々の会話:
「各所で起きている事象と筑波からの各種データを合わせて検証したゴジラの無生殖による個体増殖の可能性です。世界中ねずみ算式に個体が増殖すると予想しています。」
「進化的見地から、小型化だけでなく、有翼化し、大陸感を飛翔する可能性すらある!」
つまり、あと一歩遅れていたらゴジラは小型化し、有翼化し、勝手に増殖して、世界中に飛散したということである。
最後のしっぽのシーンは「ギリギリセーフだったよ」ということを表しているわけであるし、逆に言うとこれ以上問題を放っておけないよとも言ってる訳である。結局、わかりやすいエンタメとして「いや~面白かったね~」と満面の笑みで映画館を出られるような作品にはなっていないということである。
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