映画「タイタニック(1997年)」はどこまで史実? 調査記録・史料・研究から徹底検証
映画『タイタニック』は、1912年4月15日に実際に沈没した客船タイタニック号を舞台にした作品である。ジャックとローズの恋愛はフィクションだが、二人の周囲で起きる出来事まで、すべてが創作というわけではない。
氷の情報を受けながら高速航行を続けていたこと。救命艇が全員分なかったこと。その救命艇の一部が、定員に達しないまま船を離れたこと。三等船客の行く手をゲートが阻んだという証言があること。そして、沈没までの混乱の中で実際に拳銃を発砲した士官がいたこと。こうした出来事の中には、1912年に行われた米国上院調査や英国の難破船調査まで遡って確認できるものがある。
一方、映画では複数の証言を一つの場面にまとめたり、誰が行ったのか分からない行動を特定の実在人物に与えたり、現在でも結論が出ていない出来事を一つの答えとして映像化したりもしている。
「映画に出てきたから史実」でないのはもちろんだが、「映画だから創作」と切り捨てればよいわけでもない。
そこで今回は、映画の場面を単純に「本当」「嘘」の二択にはせず、次のような視点から実際の記録と照らし合わせていく。
- 確認できる史実なのか
- 史実をもとにした脚色なのか
- 映画のためのフィクションなのか
- 現在でも答えが分からないことなのか
本記事では、事故そのものについてはTitanic Inquiry Projectで公開されている1912年の米国上院調査と英国難破船調査の最終報告を中心に確認している。人物の最期や事故直後の伝承については、同時代の証言や1912年刊『Thomas Andrews, Shipbuilder』なども参照した。また、沈没後の研究や海底調査についてはNOAAのタイタニック調査資料、宝石の来歴についてはスミソニアン国立自然史博物館のホープ・ダイヤモンド資料、人物・貨物・同時代記事の補足にはEncyclopedia Titanicaなどを利用している。
資料によって証拠の性質は異なるため、本記事では公式調査による認定、当事者の証言、同時代の報道、後年の研究を同列には扱わず、それぞれ何を根拠に確認できるのかが分かるように記述している。
- ジャックとローズは実在したのか?
- 「碧洋のハート」は本当にタイタニックにあったのか?
- タイタニックはどれくらいの時間で沈んだのか?
- タイタニックは氷の存在を知りながら高速で航行していたのか?
- 氷山を発見した見張り員は本当に鐘を3回鳴らしたのか?
- 氷山を発見してから衝突するまで――映画の操船は本当?
- なぜタイタニックは沈んだのか――「5区画浸水」は本当?
- 救命艇は本当に全員分なかったのか
- 三等船客は本当にゲートで閉じ込められたのか
- 士官が拳銃を撃ったのは映画の創作なのか
- イスメイは本当に卑怯に救命艇へ逃げ込んだのか?
- アンドリュースは本当に一等喫煙室で最期を迎えたのか?
- スミス船長は本当に操舵室で死んだのか?
- 老夫婦が一緒に残ったのは本当?――ストラウス夫妻
- グッゲンハイムは本当に正装へ着替えて死を待ったのか?
- 酒を飲んだパン職人ジョーキンは本当に最後まで船尾にいたのか?
- 楽団は本当に沈没するまで演奏していたのか?
- 「黙れ、忙しい!」――カリフォルニアン号の氷警告は本当に無視されたのか?
- 近くにいたカリフォルニアン号は本当に救助できたのか?
- カルパチア号はどのようにタイタニックを救助したのか?
- タイタニックは本当に映画のように真っ二つに折れたのか?
- ジャックとローズが乗った自動車は本当にタイタニックにあったのか?
- 映画『タイタニック』は「実話」なのか?
ジャックとローズは実在したのか?
ジャック・ドーソンとローズ・デウィット・ブケイターは、どちらも実在したタイタニック号の乗客ではない。二人の恋愛物語は、映画のために作られたフィクションである。
ただ、ジャックと同じ「ドーソン」という姓の男性なら、本当にタイタニックに乗っていた。
ジョセフ・ドーソンという23歳の男性で、乗客ではなく、機関部で石炭を扱う「トリマー」として働いていた乗組員である。事故後には遺体も回収され、カナダ・ハリファックスのフェアビュー・ローン墓地に埋葬されている。
そのため映画公開後、「ジャックには実在のモデルがいたのでは?」という話が広まったが、映画のジャック・ドーソンとジョセフ・ドーソンは別人である。
ローズも架空の人物であり、二人の恋愛、カルとの三角関係、そしてダイヤモンド「碧洋のハート」をめぐる物語もフィクションである。
ただし、映画に登場する人物すべてが架空というわけではない。エドワード・スミス船長、トーマス・アンドリュース、J・ブルース・イスメイ、マーガレット・ブラウンなど、二人の周囲には多数の実在人物が登場している。
映画『タイタニック』は、ジャックとローズという架空の二人を、実在した船と人物、そして実際に起きた事故の中へ置くことで物語を作っている。そのため、二人が架空であることを理由に、目の前で起きる出来事までフィクションだと考えることはできない。
「碧洋のハート」は本当にタイタニックにあったのか?
映画の物語を最初から最後までつないでいるもう一つの重要な存在が、ローズの青いダイヤモンド「碧洋のハート(Heart of the Ocean)」である。
海底調査を行うブロック・ロベットが探しているのもこの宝石であり、カルがローズへ贈り、最後には年老いたローズによって海へ投げ込まれる。
「碧洋のハート」という宝石そのものはフィクションであり、タイタニックにその名の巨大な青いダイヤモンドが積まれていたという記録はない。サザビーズも「Heart of the Ocean」を映画に登場する架空の宝石として紹介している。
ただ、その来歴には実在した青い宝石の歴史が取り込まれている。映画の「碧洋のハート」と特によく似ているのが、世界的に有名なホープ・ダイヤモンドである。
映画では、「碧洋のハート」の原石はかつてフランス王ルイ16世が所有していた王冠の青いダイヤモンドで、フランス革命中の1792年に盗まれ、その後ハート形にカットし直されたという設定になっている。
実際のフランス王室にも、「フレンチ・ブルー」あるいは「Blue Diamond of the Crown」と呼ばれる巨大な青いダイヤモンドが存在した。この宝石はルイ14世の時代からフランス王室が所有していたが、フランス革命の混乱の中、1792年に王室の宝石類とともに盗まれて行方不明になった。
そして1812年、ロンドンにそれまで来歴の分からなかった約45.5カラットの青いダイヤモンドが現れる。これが現在のホープ・ダイヤモンドである。
スミソニアン博物館は、ホープ・ダイヤモンドが盗まれたフレンチ・ブルーを再カットしたものだと判断できるだけの証拠があるとしている。現在の重量は45.52カラットである。
- フランス王室に巨大な青いダイヤモンドがあった
- 1792年に盗まれて姿を消した
- その後、別の形へ再カットされた青いダイヤモンドが現れた
映画はこの実話を取り込みながら、「盗まれた宝石が56カラットのハート形ダイヤモンド『碧洋のハート』になった」という架空の来歴を作ったことになる。
本物のホープ・ダイヤモンドがタイタニックに乗っていたわけでもない。ローズと同じく、彼女が身につける巨大な青いダイヤモンドも映画のために作られた存在である。
その一方で、実際のタイタニックには青い宝石のネックレスを持って乗船した女性がいた。
二等船客ケイト・フローレンス・フィリップスは、既婚者だったヘンリー・サミュエル・モーリーと駆け落ちし、新しい生活を始めるためタイタニックへ乗った。二人は「Mr. and Mrs. Marshall」という偽名を使って乗船していた。
英国ウスターシャーの公文書・考古学サービスが紹介している記録によれば、モーリーはフィリップスへ、青いサファイアの周囲をダイヤモンドで飾ったネックレスを贈っていた。そのネックレスは「L’Amour de la Mer(海の愛)」と呼ばれている。
タイタニック沈没時、フィリップスは救命艇に乗って生還したが、モーリーは死亡した。
- 恋人から青い宝石のネックレスを贈られた
- 二人でタイタニックへ乗船した
- 女性は生還し、男性は死亡した
映画のローズと「碧洋のハート」を連想させる話ではあり、RMS Titanic Inc.も、このネックレスを「Heart of the Ocean」の着想源になったと信じられている宝石として紹介している。
ただし、ケイト・フィリップスのネックレスが映画の直接のモデルだったことを証明する一次資料は確認できない。ジェームズ・キャメロン本人がこのネックレスを知ったうえで「碧洋のハート」を作ったと断定することはできないのである。
- 碧洋のハート:架空の宝石
- その来歴:フレンチ・ブルーとホープ・ダイヤモンドの歴史を思わせる
- 実際のタイタニック:青いサファイアのネックレスを持った女性が乗船していた
- 映画の直接のモデルか:確認できない
- Sotheby’s The Everlasting Brilliance of Fancy Colored Diamonds
- Smithsonian National Museum of Natural History History of the Hope Diamond
- Worcestershire Archive & Archaeology Service Henry Morley & Kate Phillips — Titanic Second-Class Passengers
- RMS Titanic Inc. Titanic Love Stories — Kate Phillips and Henry Morley
タイタニックはどれくらいの時間で沈んだのか?
氷山との衝突から完全な沈没までは、およそ2時間40分であった。英国公式調査では、氷山との衝突を4月14日午後11時40分ごろ、沈没を4月15日午前2時20分ごろとしている。
- 氷山との衝突:4月14日午後11時40分ごろ
- 沈没:4月15日午前2時20分ごろ
- 衝突から沈没まで:約2時間40分
巨大な客船が氷山へ接触し、その約2時間40分後には海面から消えていたことになる。ただ、衝突直後から乗客全員が「船が沈む」と理解していたわけではない。
初期には船内の揺れがそれほど大きくなかった場所もあり、巨大な船が本当に沈むとは考えなかった人もいた。この認識の遅れは、後に救命艇が定員未満で離船した問題にも関係してくる。
タイタニックは氷の存在を知りながら高速で航行していたのか?
映画では、タイタニック号が高速で航行する一方、周辺海域に氷が存在することが何度も示されている。実際の船も、氷の存在をまったく知らないまま事故現場へ入ったわけではない。
英国の公式調査では、タイタニック号に氷についての情報が届いていたことが認定されている。その情報を受けたことによる航路変更は行われず、速度を落とす指示も出されなかった。
- 周辺海域の氷に関する情報はタイタニックへ届いていた
- 氷情報を受けたことによる航路変更は行われなかった
- 減速の指示も出されなかった
- 衝突時の速度は約22ノットと認定された
英国調査の最終報告では、「事故の直前および事故時のタイタニックの速度は?」という問いへの回答が「約22ノット」となっている。さらに、「その状況下で、その速度は過大だったか?」という問いには「Yes」と回答している。
したがって、「氷の存在が予想される海域をタイタニック号が高速で航行していた」という部分は、映画がドラマのために作った設定ではない。
ただ、事故原因を「22ノットで走っていたから」の一言だけで説明することはできない。どのような氷情報が届き、それが船内でどう扱われ、どのような見張り体制で航行していたのかまで含めて見る必要がある。
イスメイは本当に船長へ増速を迫ったのか?
映画で悪役に近い役割を与えられている実在人物が、ホワイト・スター・ラインのJ・ブルース・イスメイである。
映画ではイスメイがスミス船長に対し、予定より早くニューヨークへ到着して世間を驚かせようと持ちかける。その結果、タイタニックは氷の危険がある海域でも高速航行を続けたように描かれている。
イスメイがスミス船長へ増速を命じたことは、確定した史実ではない。英国公式調査でも、スミス船長がイスメイの希望や影響を受けて速度を維持したのではないかという疑惑が検討されたが、調査委員会はその説を採用しなかった。
イスメイ自身も、スミス船長へ速度の指示を出していないと証言している。
“I had no conversation with the Captain with regard to speed or any point of navigation whatever.”
「船長とは、速度についても、その他いかなる航海上の事項についても話していません。」
— J・ブルース・イスメイ、英国難破船調査 Q18640
その一方で、主任機関士ジョセフ・ベルと自身の秘書が同席した速度に関する会話があり、その場で航海中のどこかでタイタニックを全速力まで上げることが決まっていた、という質問には「そうだった」と答えている。
“It was.”
「そうでした。」
— J・ブルース・イスメイ、英国難破船調査 Q18648
- 確認できない:イスメイがスミス船長へ危険な増速を命じた
- 確認できる:航海中のどこかで全速運転を行うことについての会話があった
映画は、当時実際に疑われたイスメイの影響と、本人が認めた全速運転に関する会話を、一つの劇的な場面へ集約したと見るのが自然である。
見張り員に双眼鏡がなかったのは本当
見張り員に双眼鏡が用意されていなかったことは、英国公式調査で確認されている。「見張り員に双眼鏡が用意され、使用されていたか」という問いへの回答は「No」である。
ただし、「双眼鏡さえあれば氷山を早く発見でき、事故を防げた」とまで言うことはできない。同じ英国調査は、「このような状況で双眼鏡を使うことは必要、または通常だったか」という問いにも「No」と回答している。
- 史実:見張り員に双眼鏡は用意されていなかった
- 公式調査:当時の状況で双眼鏡使用が必要または通常だったとは認定しなかった
- 断定できない:双眼鏡があれば事故を防げた
「双眼鏡がなかった」という事実だけを根拠に、事故を防げたはずだと結論づけるのは行き過ぎである。
氷山を発見した見張り員は本当に鐘を3回鳴らしたのか?
映画では、見張り台にいたフレデリック・フリートが氷山を発見すると鐘を3回鳴らし、すぐに電話で船橋へ連絡する。この流れはフリート本人の米国上院調査での証言と一致している。
“I struck three bells first. Then I went straight to the telephone and rang them up on the bridge.”
「まず鐘を3回鳴らしました。それからすぐ電話へ行き、船橋を呼び出しました。」
— フレデリック・フリート、米国上院調査 Q5239
その後、フリートは電話で「正面に氷山」と報告している。
米国上院調査では、3回の鐘について『正面に氷山』を示すと答える一方、続く質問では『船橋に何かがあると知らせるもの』とも説明している。そのため、「鐘3回そのものが正面の氷山だけを意味する」と固定してしまうのは正確ではない。
それでも、氷山を発見して鐘を3回鳴らし、直後に船橋へ電話する映画の手順には、フリート自身の証言という明確な裏付けがある。
氷山を発見してから衝突するまで――映画の操船は本当?
氷山を発見した見張り員が警報を出し、船橋へ連絡する。その直後、マードック一等航海士が操舵命令を出し、機関にも停止・後進の指示を送る。
映画ではほんの数十秒の出来事として描かれているが、この一連の流れには1912年の調査記録で確認できる部分が多い。
英国公式調査の最終報告によれば、氷山を発見した直後に出された操舵命令は「Hard-a-starboard」であった。そして機関には停止、続いて全速後進の指示が出されたとされている。
分かりにくいのが、「Hard-a-starboard」という言葉である。現在見ることができる吹き替えや字幕だとおそらくここは「左舵一杯!」という聞き慣れない言葉で表現されていると思う(少なくともDisney+ではそうだった)。
「Hard-a-starboard」を辞書で調べると、「右に舵を切ること(したがって右に船は曲がる)」と出てくるが、映画本編ではどう見ても左に曲がっている。
実際問題として、starboardは今も昔も「右舷」を意味するし、現代的には右に曲がることを意味するのだが、これは映画の間違いではない。
当時の英国船では、現在のように「船首を右へ向けろ」「左へ向けろ」という意味で操舵命令を出すのではなく、帆船時代から続く「ティラー・オーダー」と呼ばれる方式が使われていた。
ティラーとは舵を動かすための舵柄のことで、舵柄を右へ動かせば、船尾側にある舵そのものは左へ向く。そして船尾が右へ押し出されることで、船首は左へ向く。
そのため当時の「Hard-a-starboard」は、結果として船首を左へ大きく向ける操作になるのである(1933年から英国でも右に向けることを意味している)。
そして、日本語では通常船を左に曲げることを「取舵(とりかじ)」というのだが、なぜかそれを「左舵(ひだりかじ)」という謎表現をしているのだが、それもおそらく、この英語表現の時代的齟齬を意識したものと個人的には推察している(日本語の「取舵」のいみは昔から変わらないけどね)。
英国公式調査の報告書でも、「Hard-a-starboard」の命令が出された後、衝突までにタイタニックの船首は左へ約2ポイント向きを変えたとされている。映画でマードックが命令を出した後、タイタニックが左へ旋回して氷山をかわそうとする描写は、この点では史実と矛盾しない。
操舵手ロバート・ヒッチェンズは英国調査で、「Hard-a-starboard」の命令を受けてすぐに操舵したものの、船が約2ポイント向きを変えたところで氷山へ衝突したと証言している。
“We had the order, ‘Hard-a-starboard,’ and she just swung about two points when she struck.”
「『Hard-a-starboard』の命令を受け、船が約2ポイント旋回したところで衝突しました。」
— ロバート・ヒッチェンズ、英国難破船調査 Q949
英国公式調査は、姉妹船オリンピックで行われた旋回試験などをもとに、氷山が発見されたときの距離をおよそ500ヤードと推定している。約22ノットで進む巨大な船が進行方向を十分に変えるには、あまりにも短い距離だった。
映画では機関室でも急いで後進へ切り替える様子が描かれている。英国公式調査は「停止」「全速後進」の指示が出されたことを認定しているが、衝突までの短時間に機関が完全な全速後進状態へ達していたとまでは確認できない。
- 「Hard-a-starboard」の命令が出された
- 船首は左へ旋回した
- 機関には停止・全速後進の指示が送られた
- 実際の機関が衝突前に完全な全速後進へ達したかは確認できない
映画の衝突直前の場面は、細かな時間配分や機関の状態まで完全な再現とは言えないものの、氷山発見後に行われた基本的な回避行動は英国公式調査の記録に沿っている。
- Titanic Inquiry Project British Wreck Commissioner’s Inquiry — The Collision
- Titanic Inquiry Project British Inquiry — Robert Hichens
- Titanic Inquiry Project British Inquiry — Edward Wilding
- Encyclopedia Titanica Maritime Terminology in 1912
- Titanic Inquiry Project British Inquiry — Joseph G. Boxhall
防水扉は本当に船橋から閉じられたのか?
映画では、衝突直後に船橋から防水扉を閉じる操作が行われる。結果としてボイラー室の人々が大急ぎで部屋からでるスリルのあるシーンが描かれるのだが、
機関室・ボイラー室にある12枚の防水扉が船橋から閉鎖されたことは、英国公式調査で認定されている。「防水扉が閉まらなかったから沈んだ」という事故ではない。
その後の扉の扱いには意外な記録が残っている。英国公式調査の報告書は、いったん閉じられた防水扉について、No.4ボイラー群より前方にあるものを除き再び開けられたという証言があり、その後それらが再び閉められたことを示す証拠はないと整理している。
もっとも、扉には水が到達すれば自動的に閉じる仕組みが備えられていたため、開いた状態のまま水が無制限に後方へ流れ続ける構造ではなかった。
英国公式調査は結果論として、これらの扉が開いたままであれば、タイタニックが沈むまでの時間は多少長くなった可能性があるとも指摘している。
“the life of the ship would have been lengthened somewhat if these doors had been left open”
「これらの扉が開いたままであれば、船が浮いていられる時間はいくらか延びていた可能性が高い。」
— British Wreck Commissioner’s Inquiry, Observations
扉が開いていれば、前方に集中していた水の一部が船尾側へ流れ、そのぶん船首がわずかに高く保たれ、海から船内へ流れ込む水の量も一時的に抑えられた可能性がある。
それでも、扉を開けておけば沈没を防げたわけではない。前方5区画へ入った水の量だけで、すでに船の沈没は避けられない状態になっていた。
- 12枚の防水扉は船橋から閉鎖された
- その後、一部を除いて再び開けられたという証言がある
- 水が到達すれば自動的に閉じる仕組みもあった
- 開いた状態なら沈没までの時間を多少延ばせた可能性がある
- 沈没そのものを防げたわけではない
防水扉は機能したが、氷山による損傷範囲が船の設計上の限界を超えていた。そして沈没が避けられなくなった後だけを見れば、前方へ水を集中させるより、後方にも水を分散させた方が船は少し長く浮いていた可能性があるという、直感とは逆の結果も示されている。
なぜタイタニックは沈んだのか――「5区画浸水」は本当?
氷山との衝突後、映画ではトーマス・アンドリュースが船の状態を確認し、前方の5区画が浸水したことで沈没は避けられないと説明する。この説明は英国公式調査による事故後の分析と一致している。
タイタニック号は、防水隔壁によって船体内部を複数の区画に分けていた。英国調査によれば、前方4区画だけであれば船は浮き続けることができたが、そこに第6ボイラー室が加わり、前方5区画が浸水すると状況が変わる。
船首がさらに深く沈むことで、第6ボイラー室後方の防水隔壁上端を水が越え、第5ボイラー室へ流れ込む。そこが満たされれば、さらに次の区画へ水が進んでいく。
- 前方4区画の浸水:船は浮き続けられる設計だった
- 前方5区画の浸水:船首が深く沈み、隔壁上端を水が越える
- その後:水が後方の区画へ順番に流れ込む
防水区画そのものが後方まで次々と氷山に切り裂かれたのではなく、船首が沈んだことで水が隔壁の上を越え、後方へ移っていった。
さらに英国調査は、衝突後最初の10分間で前方5区画へ入った水の量は、タイタニック号のポンプでは対処できない規模だったとしている。映画でアンドリュースが「もう沈む」と判断する場面の根本にある「5区画への浸水で船は助からない」という説明には、公式調査の裏付けがある。
ポンプを使えば助かった可能性はなかったのか?
船に大量の水が入ったとしても、ポンプで排水すれば助かったのではないかと考えたくなるが、英国公式調査は厳しい結論を出している。
最初の10分間だけでも前方区画への流入量は船の排水能力を大きく超えており、船にあるすべてのポンプを使用できたとしても、タイタニックを救うことはできず、船が浮いていられる時間を目立って延ばすこともできなかったとされている。
衝突後の排水作業を改善すれば助かった、という規模の浸水ではなかった。
救命艇は本当に全員分なかったのか
タイタニックに搭載されていた救命艇類20隻の総定員は1,178人で、事故当日の乗船者2,201人を全員収容することは最初からできなかった。
- 乗客:1,316人
- 乗組員:885人
- 合計:2,201人
- 救命艇:20隻
- 救命艇の総定員:1,178人
しかも英国調査は、少なくとも8隻の救命艇が定員に達しないまま船を離れたと認定している。
空席が残った理由は一つではない。事故直後には危険を十分に理解せず船を離れたがらない人が多く、艇をいったん海面近くまで降ろした後、船体側面の乗降口から追加の人員を乗せる案もあった。また士官たちは、救命艇の強度や実際に何人まで安全に乗せられるのかについて確信を持てていなかった。
- 事故直後には危険を十分に理解せず、船を離れたがらない人が多かった
- 一度艇を降ろした後、船体側面の乗降口から追加の人員を乗せる考えがあった
- 士官たちが救命艇の強度や安全な定員に確信を持てていなかった
救命艇そのものが不足していたうえ、用意されていた収容力さえ十分に使い切れなかったことが被害を大きくした。
では、なぜ救命艇は全員分なかったのか?
タイタニック号には2,201人が乗っていたのに、救命艇の定員は1,178人分しかなかった。「不沈船だと思われていたから救命艇を減らした」と説明されることがあるが、それだけでは実情を説明できない。
大きな要因の一つが、当時の英国の法規である。1894年に定められた救命艇の基準は、船に何人乗るかではなく、基本的には船の総トン数によって必要な救命艇数を決める仕組みになっていた。
しかも、その表は「10,000トン以上」のところで終わっていた。10,000トンの船でも、46,000トンを超えるタイタニックでも、その先にさらに細かな区分が用意されていなかったのである。
タイタニックのような移民船について追加規定を含めて計算すると、法令上要求される容量は約962人分だった。これに対し、実際に備えていたのは1,178人分である。
タイタニックは法定最低を下回っていたのではなく、法律が要求する量より多く救命艇を備えていた。それでも全員分には届かなかった。
- 法令上必要だった容量:約962人分
- 実際に搭載していた容量:1,178人分
- 事故当日の乗船者:2,201人
問題は、船会社が法律を破って救命艇を減らしたことではなく、法律そのものが大型化する客船の乗船人数に追いついていなかったことにある。
この問題は1912年になって突然発覚したわけでもない。英国公式報告を遡ると、1886年の委員会ですでに、当時の法律では大型旅客船の乗員・乗客全員を救えないことが問題にされている。
翌1887年の下院特別委員会でも、大量の木造救命艇を積む実務上の難しさを認めながら、船上の全員の安全をできる限り確保できる救命設備を求める方向が示されていた。
それでも1894年に作られた規則は、船が急速に大型化した後も長く更新されなかった。
当時の安全思想も影響している。大型船は船体が強くなり、防水区画も改善されていた。無線通信も普及し、事故が起きれば周囲の船へ救援を求められる。そのため、小さな救命艇を大量に積むことより、大型船そのものを沈みにくくする方が重要だという考えがあった。
当時の規則には、防水区画が十分優秀であると認められた船について、救命艇・救命筏の要求量を減らせる規定まで存在していた。タイタニックには実際には適用されていないが、仮に適用されれば必要量がさらに少なくなる可能性があった。
1911年には新しい救命艇基準案も作られていた。その案なら、事故当日にタイタニックへ乗っていた2,201人を収容できる規模になったが、それでもタイタニックが法的に乗せることのできた最大人数全員分ではない。
ホワイト・スター・ライン側にも、「船そのものを沈みにくくする」という考え方が見える。同社幹部ハロルド・サンダーソンは、事故以前にはタイタニックのような船で全員を救命艇へ移す必要が生じるとは考えていなかったという趣旨を述べている。
大量の艇を積めば甲板を塞ぎ、かえって安全な運用を妨げるとも考えられていた。また救命艇を、遭難船から救援船や陸へ人を移す「移乗用」の設備として捉えていたことも証言から分かる。
- 巨大客船そのものがすぐには沈まない
- 無線で救援船を呼べる
- 救命艇で遭難船から救援船へ人を移せる
こうした考え方に加え、船の大型化に追いつかなかった古い法規、無線通信への期待、大量の救命艇を運用する難しさが重なった結果、2,201人が乗っている船に1,178人分しか救命艇がない状態が合法的に成立していた。
- 船の大型化に追いつかなかった古い法規
- 船そのものを沈みにくくする設計思想
- 無線通信への期待
- 大量の救命艇を実際に運用する難しさ
- 救命艇を「移乗手段」と考える思想
英国公式調査も、1894年の基準を大型客船が登場する時代まで長く改定しなかったことを正当化していない。1910年には姉妹船オリンピックの救命艇数が英国議会で問題にされ、1911年には商務院自身が規則改定を検討していたが、新しい規則が実施されるより先にタイタニックは処女航海へ出発した。
「女性と子供が先」は本当に徹底されていたのか?
救命艇へ女性と子供を優先して乗せる方針には、明確な史料上の根拠がある。二等航海士チャールズ・ライトラーは米国上院調査で、救命艇の準備を始める際、スミス船長に女性と子供を艇へ乗せるか確認し、肯定されたと証言している。
ただし、女性と子供が優先されたからといって、男性が一切乗れなかったわけではない。女性と子供を乗せた後、空席があれば男性を乗せた艇もある一方、ライトラーが担当した左舷側では男性の乗船を厳しく制限した例が多い。
- 女性と子供を優先する方針は存在した
- 女性と子供の後に男性を乗せた艇もあった
- ライトラーが担当した左舷側では男性を厳しく制限した例が多い
- 艇・士官・場所によって実際の運用には違いがあった
映画ではこの違いが比較的分かりやすく描かれているが、「マードック側では男性を乗せ、ライトラー側では必ず拒否した」という完全な二分法にすると、実際の運用より単純になりすぎる。
三等船客は本当にゲートで閉じ込められたのか
映画『タイタニック』の中でも、特に強烈な印象を残すのが、三等船客たちがゲートに阻まれ、上のデッキへ逃げられない場面である。
映画の場面すべてを史実とすることはできないが、三等船客が施錠されたゲートに阻まれたという直接証言は残っている。
三等船客ダニエル・バックリーは、米国上院調査で宣誓したうえで、三等船客たちが上へ向かおうとした際のゲートについて具体的に証言している。
バックリーによれば、そのゲートは最初から施錠されていたわけではない。ところが、彼が船員だったと思う人物がやって来て、ゲートに鍵を掛けたという。
“It was not locked … but the sailor, or whoever he was, locked it.”
「私たちが上がろうとしたときには施錠されていませんでした。しかし、その船員――あるいは誰であれ――が鍵を掛けました。」
— ダニエル・バックリー、米国上院調査 Q14971
その後、別の三等船客が錠を壊し、乗客たちは上へ出た。
「三等船客が施錠されたゲートに阻まれた」という出来事そのものには、生存者による直接証言がある。ただし、会社や乗組員が三等船客を見殺しにする目的で組織的に閉じ込めたことまで、この証言から導くことはできない。
バックリー自身、錠が壊された後には上へ出られたと証言している。また英国公式調査は、三等船客を意図的に引き止めたり、ボートデッキへ到達した三等船客を救命艇から差別的に排除したりしたことを裏付ける証拠はないと結論づけている。
- 確認できる:三等船客と他区域を隔てるゲートがあった
- 直接証言がある:船員らしき人物が一つのゲートを施錠した
- 直接証言がある:別の乗客がその錠を壊した
- 確認できない:三等船客を見殺しにするための組織的な閉じ込め命令
一方、三等船客が非常に不利な状況に置かれていたことは数字にも表れている。英国調査に提出された集計では、三等船客706人のうち生存したのは178人で、生存率は25.21%だった。
組織的な閉じ込めがあったかどうかという疑問とは別に、三等船客の生存率が著しく低かったこと自体は動かない。
士官が拳銃を撃ったのは映画の創作なのか
タイタニック号で士官が拳銃を発砲したこと自体には、本人による宣誓証言がある。五等航海士ハロルド・ロウは、米国上院調査で自分が撃ったことを明言している。
“I heard them, and I fired them.”
「銃声を聞きました。そして、撃ったのは私です。」
— ハロルド・ロウ、米国上院調査 Q6751
ロウによれば、14号艇を船体側面から降ろしている途中、これ以上人が飛び乗れば艇そのものが危険になると考え、牽制のために発砲したという。本人の記憶ではおそらく3発で、人を傷つける意図はなく、誰にも命中していないと繰り返し証言している。
映画では、一等航海士ウィリアム・マードックがカルから金を受け取り、その後、混乱の中で乗客を射殺し、直後に自分の頭を撃って自殺する。
この一連の出来事をマードックの最期として裏付ける証拠はない。沈没直前に士官が乗客を撃ち、その後自殺したという事故直後の証言や伝聞は存在するものの、人数、場所、時刻などが一致せず、その士官をマードックと確実に特定することもできない。
さらに二等航海士ライトラーは英国調査で、自分が水中へ入るほぼその瞬間まで、マードックが右舷前方で折畳艇を降ろすための索具を扱っていたと証言している。
“Mr. Murdoch I saw practically at the actual moment that I went under water.”
「マードック氏は、私自身が水中へ入るまさにその瞬間近くまで見ていました。」
— チャールズ・ライトラー、英国難破船調査 Q14767
- 史実:ロウ五等航海士は実際に拳銃を発砲した
- 証言・伝聞あり:士官による射殺や自殺の話は事故直後から存在する
- 確定できない:その人物がマードックだった
- 確定できない:映画のようにマードックが乗客を射殺して自殺した
ライトラーの証言もマードックの最終数秒を証明するものではないため、自殺を完全に否定する材料にはならない。それでも、映画の一連の場面を確定した史実として扱うことはできない。
この描写は映画公開後にも問題になった。マードックの故郷であるスコットランドのダルビーティでは、実在した人物を殺人者かつ自殺者として描いたことに強い反発が起こり、遺族や地元住民から映画会社側へ抗議が寄せられた。
1998年4月には、20世紀フォックスの幹部スコット・ニーソンがダルビーティを訪れ、映画の描写について遺憾の意を示し、マードックを記念する基金に5,000ポンドを寄付している。
この5,000ポンドは訴訟の和解金ではない。遺族との裁判上の和解で支払われたものではなく、映画の描写への抗議を受けて映画会社側が行った対応である。
ジェームズ・キャメロン自身も後年、実在する特定の人物にこの行動を割り当てたことについて、判断を誤ったという趣旨の発言をしている。
映画のマードックは、「士官による発砲」という実際の出来事と、事故直後から存在した射殺・自殺説を一人の実在人物へ集約したキャラクター描写になっている。
ロウ五等航海士は本当に沈没地点へ戻ったのか?
映画でロウ五等航海士が複数の救命艇をまとめ、乗客を移し替えてから生存者を捜しに戻る流れには、本人の証言による裏付けがある。
ロウは英国調査で、自分の指揮下にあった複数の救命艇を結び合わせ、そのうえで乗客を他の艇へ移し、自分の艇を乗組員だけの状態にしてから漂流者のいる沈没地点へ戻ったと証言している。
- 指揮下の複数の救命艇を結び合わせる
- 乗客を他の艇へ移す
- 自艇を乗組員だけの状態にする
- 沈没地点へ戻って生存者を捜す
ただし、沈没直後にそのまま大勢の漂流者の中へ入ったわけではない。艇へ人が殺到すれば転覆する危険があると考え、人数が減るまで待ってから戻っている。
“I had to wait until I could be of some use. It was no good going back there to be swamped.”
「役に立てる状態になるまで待たなければなりませんでした。戻って艇まで水をかぶって使えなくなっては意味がありませんでした。」
— ハロルド・ロウ、英国難破船調査 Q15994
映画で描かれる「戻った救命艇」だけでなく、その前に艇を結び、乗客を移し、戻る準備を整えるところまで本人の証言と対応している。ただし、映画内の時間経過や救助人数まで同じだったわけではない。
モリー・ブラウンは「戻りなさい」と船員に立ち向かったのか?
映画では、マーガレット・“モリー”・ブラウンが6号艇で漂流者を助けに戻るべきだと主張し、操舵手ロバート・ヒッチェンズと対立する。
6号艇に乗っていた一等船客アーサー・ピューチェンは、タイタニックが沈んだ後、海上から聞こえてきた声について具体的な証言を残している。
“We could not distinguish the exact cry for assistance; moaning and crying; frightful.”
「助けを求める正確な言葉までは聞き分けられませんでした。うめき声と泣き声――恐ろしいものでした。」
— アーサー・ピューチェン、米国上院調査 Q5547
その声はしばらく続き、次第に弱くなっていったとも証言している。
“gradually getting fainter, fainter.”
「それはだんだん、弱く、さらに弱くなっていきました。」
— アーサー・ピューチェン、米国上院調査 Q5547
ピューチェンによれば、夫をタイタニックに残していた艇内の女性たちは、その声に強い衝撃を受けていた。そして、その叫び声が続いている最中、艇内の女性たちの一部がヒッチェンズに戻るよう求めたとも証言している。
“Yes; some of the women did.”
「はい。何人かの女性がそうしました。」
— アーサー・ピューチェン、米国上院調査 Q5549
暗い海から叫び声が聞こえ、艇内の女性たちの一部が戻るよう求めたという映画の場面には、直接対応する証言がある。
一方、ヒッチェンズ自身は、そのように女性たちから戻るよう求められた記憶はないと述べている。
- ピューチェン:女性たちの一部が戻るよう求めたと証言
- ヒッチェンズ:そのような要求を記憶していない
- 確認できない:映画と同じ台詞をモリー・ブラウン本人が言った
- 確認できない:ブラウンが艇の指揮を奪った
6号艇の中で帰還をめぐる対立があったという証言は残っているが、当事者同士の記憶は一致していない。また、映画と同じ台詞をモリー・ブラウンが口にしたことや、彼女が艇の指揮を奪ったことまで裏付ける一次資料は確認できない。
イスメイは本当に卑怯に救命艇へ逃げ込んだのか?
イスメイについて最も有名なのが、船会社の責任者でありながら自分だけ救命艇に乗って生き残ったという話である。映画でも、周囲に誰もいなくなった一瞬を見て折畳艇へ入り、後ろめたそうに船から離れていく。
イスメイが折畳艇Cに乗って生還したことは史実だが、その前後の行動は映画から受ける印象とは異なる。
複数の証言によれば、イスメイは救命艇の作業を手伝い、女性を艇へ乗せようとしていた。本人の証言では、折畳艇Cへ女性と子供を乗せ、甲板にいた人々が乗った後、艇が降ろされ始めたところで自分も乗ったという。
本人による説明だけでなく、英国公式調査も他の証言を検討したうえで、当時の状況でイスメイが艇へ乗ったことを非難しなかった。
- イスメイは折畳艇Cで生還した
- 救命艇作業を手伝っていたという証言がある
- 英国公式調査は、当時の状況での乗艇を非難しなかった
- 公式調査の認定とは別に、道義的な評価はあり得る
少なくとも、「女性や子供を押しのけて誰よりも先に逃げた」という人物像は一次資料とは合わない。船会社のトップが生き残ったことをどう評価するかは別として、映画の印象だけで当時の行動を決めつけることはできない。
アンドリュースは本当に一等喫煙室で最期を迎えたのか?
タイタニックの設計に深く関わったトーマス・アンドリュースも実在人物である。映画では、沈没が避けられないことを誰よりも早く理解したアンドリュースが、最後には一等喫煙室で絵を見つめながら一人静かに死を待つ。
アンドリュースが一等喫煙室にいたという記録はあるが、そこが彼の最期の場所だったとは確認できない。
事故と同じ1912年に出版されたシャン・ブロックの『Thomas Andrews, Shipbuilder』には、客室係ジョン・スチュワートがアンドリュースを一等喫煙室で一人見たという記述がある。映画の場面は、この有名な記述を直接映像化したものと考えられる。
ところが同じ本には、喫煙室の記述より後にもアンドリュースが働き続けたとする別の目撃談が紹介されている。
- 史料にある:アンドリュースが一等喫煙室にいたという目撃談
- 同じ史料にある:その後にもアンドリュースを見たという別の話
- 確定できない:喫煙室が彼の最後の場所だった
- 確定できない:喫煙室にいた正確な時刻
映画は史料に残る喫煙室での目撃談を選び、それをアンドリュースの最期として描いた。実際に最後の瞬間までどこにいて、どのように亡くなったのかは分かっていない。
スミス船長は本当に操舵室で死んだのか?
映画では、船首が水没していく中、エドワード・スミス船長が操舵室へ入り、外を見つめる。やがて窓が水圧で破壊され、船長はその中で命を落とす。
スミス船長が実際にどこで、どのように死亡したのかは確定していない。
無線通信士ハロルド・ブライドは米国上院調査で、船が沈む数分前にスミス船長を最後に見たと証言している。ブライドの証言では、船長は船橋付近から海へ入ったように見えたという。
“The last I saw of the captain he went overboard from the bridge, sir.”
「私が最後に船長を見たとき、船長は船橋から海へ入っていきました。」
— ハロルド・ブライド、米国上院調査 Q2783
続く証言では、これは沈没のおよそ5分前だったとブライドは見積もっている。
少なくとも、船長が操舵室に残ったまま水に飲まれて死亡したことを裏付ける確実な証拠はない。ほかにもさまざまな最期の証言が残っているものの、内容は一致していない。
映画は、「船と運命を共にする船長」という象徴的な最期を一つの映像として選んだことになる。
老夫婦が一緒に残ったのは本当?――ストラウス夫妻
映画では、タイタニックが沈み始める中、年老いた夫婦がベッドの上で抱き合い、迫ってくる水を待つ場面がある。この夫婦のモデルは、イジドー・ストラウスと妻アイダ・ストラウスである。
アイダが夫を残して自分だけ救命艇へ乗ることを拒んだことには、明確な証言がある。一等客室係アルフレッド・クロフォードは英国調査で、アイダに救命艇へ乗るよう求めたものの、彼女が夫を残して行くことを拒否したと証言している。
一方、二人が映画のように客室のベッドへ戻り、そこで抱き合いながら浸水を待ったことを示す証拠は確認できない。
- 史実:アイダは夫を残して救命艇へ乗ることを拒否した
- 確認できない:二人が客室のベッドへ戻った
- 映画:実際の夫婦の選択を象徴的な最期として映像化した
映画は、実際にあった夫婦の選択をもとに、二人の死を象徴する場面を作ったと考えるのが適切である。
グッゲンハイムは本当に正装へ着替えて死を待ったのか?
映画では、一等船客ベンジャミン・グッゲンハイムが「紳士らしく」死を迎えるため正装に着替え、従者とともに船内に残る。この人物は実在しており、正装へ着替えたという話にも事故直後から存在する史料上の根拠がある。
米国上院調査で、一等客室係ヘンリー・エッチズは、グッゲンハイムの客室へ行き、救命胴衣を着けさせ、さらに服を着るよう促したことを証言している。その後、グッゲンハイムが部屋を出てきたことも証言している。
「最上の服に着替えた」「紳士らしく沈む」といった有名な言葉は、事故から数日後の新聞記事でも伝えられている。
- 宣誓証言:グッゲンハイムが服を整えたことを裏付ける内容がある
- 事故直後の新聞:「紳士らしく」死を迎えるという有名な話が伝えられた
- 注意:新聞記事の台詞を宣誓証言と同じ確度では扱えない
正装して最期を迎えようとしたという話は、後世になって突然作られたものではない。ただし、映画で知られる台詞を本人がそのまま発したことまで、宣誓証言で確認できるわけではない。
酒を飲んだパン職人ジョーキンは本当に最後まで船尾にいたのか?
映画の終盤、ジャックとローズが船尾の手すりにつかまっていると、その近くに白い服を着た男性が現れる。男は懐から酒を取り出して飲み、沈んでいく船の最後尾まで残る。
これはタイタニックの主任パン職人チャールズ・ジョーキンという実在人物で、映画に描かれるいくつかの行動は本人の英国調査での証言と対応している。
ジョーキンは、沈没の途中で自室へ戻り、酒を少量飲んだことを認めている。
“I went down to my room and had a drop of liqueur that I had down there.”
「自室へ下りて、そこに置いてあったリキュールを少し飲みました。」
— チャールズ・ジョーキン、英国難破船調査 Q6020
映画で酒を飲む姿が描かれるのは、単なるキャラクター付けではなく、本人の証言を踏まえたものである。
さらに、甲板にあったデッキチェアを大量に海へ投げ込んだとも証言しており、本人の説明では50脚ほどだった。沈没の最終段階では船尾へ移動し、手すりの外側にいたとも述べている。
- 沈没途中に酒を少量飲んだ
- デッキチェアを約50脚海へ投げ込んだと証言した
- 沈没の最終段階まで船尾付近にいた
- 海へ入りながら生還した
その後、長時間水中にいたにもかかわらず生還したことから、「酒を飲んでいたから低体温症にならず助かった」という話も広まっている。
しかし、酒を飲んだことは本人証言で確認できても、酒が生存を可能にしたとする医学的な根拠にはならない。公式調査から分かるのは、彼が酒を飲み、船尾の外側まで残り、海へ入り、それでも生存したというところまでである。
楽団は本当に沈没するまで演奏していたのか?
沈没中に楽団が演奏していたこと自体には、複数の早期証言がある。そのため、乗客を落ち着かせるために沈没中も音楽が鳴っていたという映画の描写には史料上の根拠がある。
問題になるのは最後の曲である。映画では「主よ、御許に近づかん」が演奏されるが、事故直後から異なる証言も存在する。
- ハロルド・ブライド:「Autumn」だったと伝えられた
- ほかの生存者:「主よ、御許に近づかん」を聞いたという証言がある
- アーチボルド・グレイシー:楽団は聞いたが、讃美歌だったとは考えていなかった
楽団が演奏していたことには強い裏付けがある一方、最後に演奏された曲は現在でも確定していない。
映画が採用した「主よ、御許に近づかん」も事故直後から存在する伝承の一つであり、作品のために新しく作られた話ではない。
「黙れ、忙しい!」――カリフォルニアン号の氷警告は本当に無視されたのか?
タイタニック事故について調べると、カリフォルニアン号から氷の警告を受けた無線士が「Shut up」と返したという話が出てくる。このやり取り自体は、カリフォルニアン号の無線士シリル・エヴァンズの米国上院調査での証言で確認できる。
カリフォルニアン号は氷に囲まれたため、その夜航行を停止していた。エヴァンズはタイタニックへ、自船が停止して氷に囲まれていることを知らせようとした。
ところが、その通信はタイタニックの無線士がケープ・レース局と大量の旅客電報をやり取りしているところへ、非常に強い信号で割り込む形になった。
“Say, old man, we are stopped and surrounded by ice.”
「おい、こちらは停止していて、氷に囲まれている。」
“Shut up, shut up, I am busy; I am working Cape Race.”
「黙れ、黙れ。こっちは忙しい。ケープ・レースと通信中だ。」
— シリル・エヴァンズ、米国上院調査
現代の感覚では、氷の警告に対して「黙れ」と返した無責任なやり取りに見えるが、船長から船長へ届ける正式な警告を船橋が受け取り、それを拒絶した場面ではない。無線士同士の通信であり、タイタニック側はケープ・レースとの旅客通信中だった。
- カリフォルニアン号は氷のため停止していた
- その情報を無線士エヴァンズがタイタニックへ送った
- タイタニック側はケープ・レースとの旅客通信中だった
- 「Shut up」という返答自体は証言で確認できる
- 船橋が正式な氷警告を受けて意図的に拒否した場面ではない
さらにタイタニックは、それ以前にも複数の船から氷情報を受信している。中には船長や士官へ届けられたものもあれば、届けられなかったものもあるため、「最後の警告にShut upと返したから沈んだ」という一つの通信だけで事故を説明することはできない。
近くにいたカリフォルニアン号は本当に救助できたのか?
タイタニック事故の中でも議論が続くのが、カリフォルニアン号の存在である。同船は氷のため航行を停止しており、タイタニックが沈没していた時間帯にも比較的近い海域にいた。
カリフォルニアン号の乗組員は夜空へ上がるロケットを目撃していたが、直ちに救援へ向かわなかった。
1912年の英国公式調査は、最初のロケットを見た時点でカリフォルニアン号が救援を試みていれば、タイタニックへ到達できたと認定している。
そのため、「近くに船がいたのに来なかった」という話には英国公式調査の明確な根拠がある。
ただし、具体的に何分で到着できたのか、何人を救えたのかまで公式調査の結論から断定することはできない。タイタニックとカリフォルニアン号の正確な位置関係については、その後も議論が続いている。
カルパチア号はどのようにタイタニックを救助したのか?
タイタニックからの救難信号を受け、実際に生存者を救ったのがキュナード・ラインのカルパチア号である。
英国公式報告によれば、カルパチア号のアーサー・ロストロン船長はタイタニックの救難通信を知ると、直ちに船を転回させ、救援へ向かった。カルパチア号は可能な限りの速度を出し、報告上は最高約17.5ノットでタイタニックの位置へ向かっている。
- 救援航行:最高約17.5ノット
- 現場で停止:午前4時5分ごろ
- 最初の救命艇を収容:午前4時10分ごろ
- 英国最終報告上の救助人数:712人
海域には氷があり、カルパチア号は夜明け前に氷山を避けながら進み、午前4時5分ごろ停止した。その約5分後には最初の救命艇を収容している。
タイタニックが沈んだのは午前2時20分ごろだったため、生存者たちは船が消えた後も寒い海上で長い時間待たなければならなかった。救命艇は広い範囲へ散らばっており、カルパチア号による救助は朝まで続いた。
英国最終報告では、カルパチア号が収容した人数を712人としている。生存者総数には公式資料間でも若干の差があるため、数字を示す際には出典と一緒に扱うのが安全である。
タイタニックは本当に映画のように真っ二つに折れたのか?
映画『タイタニック』のクライマックスでは、船首が水中へ沈み込むにつれて船尾が大きく持ち上がり、船体中央部が耐えきれなくなって二つに折れる。その後、船尾は一度海面へ落ち、再びほぼ垂直に立ち上がって沈んでいく。
タイタニックの船体が沈没時に分離したこと自体は、現在では海底の残骸によって確認されている。船首部と船尾部は別々に存在しているため、映画の「途中で二つに分かれる」という大筋は正しい。
議論があるのは、どの角度まで船尾が持ち上がった時点で重大な構造破壊が始まったのかである。
1997年の映画では、船尾が非常に高く持ち上がった状態で船体が折れる。ところが、その後の海底調査や構造解析では、映画より低い角度で破断が始まった可能性を示すモデルが提示されている。
およそ11~15度程度という比較的低い角度で重大な構造破壊が始まったとする研究もある。
- 映画:船尾が非常に高く上がってから大きく破断する
- 後年のモデル:より低い角度から重大な構造破壊が始まった可能性
- 確定:船体そのものは二つに分離した
- 未確定:破断開始時の正確な角度
また、船体は一瞬できれいに二分されたのではなく、船底側や上部構造を含めて複雑に破壊されながら分離したと考えられている。
破断時の正確な角度を一つの数字に固定することはできない。復元モデルによって結果に違いがあるためである。
事故直後の証言にも、映画のような高角度の沈没像とは異なるものがある。主任パン職人ジョーキンは、船尾がほぼ垂直に立ったという説明を英国調査で否定している。
一人の証言だけで角度を決めることはできないが、映画公開後の研究だけでなく、1912年の時点から高角度の沈没像と一致しない証言が存在していたことは分かる。
その一方で、ナショナルジオグラフィックで2027年に放送されたドキュメンタリー「タイタニック号:最後の謎に迫る」において、ジェームズ・キャメロン監督は実際に映画のようにタイタニックが沈没するかどうかを実験しており、そこでは、
- 船尾が垂直に沈んでいく状態は再現できたが、
- 一度水平に戻って、その後垂直に沈んでいくことはない
と結論付けられており、ジェームズ・キャメロン映画の表現は半分あっており、半分はまちがっていたと語っている。
しかしこれも、実験のような沈没がありえるという可能性の証明にすぎず、実際にはどうだったかを証明するものにはなっていない。
ジャックとローズが乗った自動車は本当にタイタニックにあったのか?
映画では、ジャックとローズが貨物区画へ逃げ込み、積まれていたルノーの自動車の中で二人きりになる。
二人がその車内にいたという出来事はフィクションだが、タイタニックが自動車を貨物として運んでいたこと自体は創作ではない。
貨物記録には、一等船客ウィリアム・E・カーターの所有物として自動車1台が記録されており、25馬力のルノーだったとされている。
- 実在:タイタニックには自動車が貨物として積まれていた
- 所有者:ウィリアム・E・カーター
- 車:25馬力のルノーとされる
- フィクション:ジャックとローズがその車内に入る出来事
映画は1912年らしい車を適当に置いたのではなく、実際の積荷を物語へ利用している。ただし、映画に登場する車両の位置や貨物区画の構造まで、実際の積載状況そのままだと考えることはできない。
映画『タイタニック』は「実話」なのか?
ここまで見てくると、映画『タイタニック』を単純に「実話」か「フィクション」かのどちらかへ分類すること自体が難しいことが分かる。
ジャックとローズの恋愛はフィクションだが、その二人が歩き回る船は実在し、周囲には多数の実在人物がいる。
- 氷の警告
- 22ノット前後の航行
- 双眼鏡の不在
- 氷山発見時の鐘
- 衝突回避命令
- 防水扉の閉鎖
- 5区画への浸水
- 救命艇不足
- 定員未満で離れた救命艇
- 三等船客を阻んだゲートについての証言
- 士官による拳銃の発砲
- カルパチア号による救助
こうした出来事の多くは、1912年の調査資料まで遡って確認できる。
その一方で、実在人物の最期には答えの出ていないものが多い。
- マードックが乗客を射殺して自殺したのか
- アンドリュースが喫煙室で最期を迎えたのか
- スミス船長が操舵室で死んだのか
- 楽団の最後の曲は本当に「主よ、御許に近づかん」だったのか
証言が食い違っている出来事もあれば、映画が複数ある証言の一つを選び、それを映像として固定した場面もある。さらに1997年以降の研究によって、映画公開当時の沈没復元そのものが修正されてきた部分も存在する。
- この場面は、どの史料をもとに作られたのか?
- 映画は、複数ある証言のうちどれを選んだのか?
- どこから映画の脚色が始まっているのか?
こうした視点で見ていくと、映画の見え方は大きく変わる。
『タイタニック』は史実をそのまま再現したドキュメンタリーではない。しかし、1912年の沈没事故を背景として借りただけの恋愛映画でもない。
大量の史実、証言、伝承、そして映画製作当時の沈没研究を一つの作品へ組み込み、その中をジャックとローズという架空の二人に歩かせた映画である。
史実とフィクションの境目を調べていくと、映画の中だけでは見えなかった、より複雑なタイタニック号沈没事故の姿が見えてくる。
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