「平成狸合戦ぽんぽこ」は1994年に公開された高畑勲監督による劇場用アニメーション作品。キャッチコピーは「タヌキだってがんばってるんだよォ」であった。誰にも理解されないのだが、スタジオジブリの作品で個人的に一番好きな作品である。
小学生の頃に授業の一環として見せられたことがあった。先生の意図としては「自然を大切にしよう!」というメッセージを受け取ってほしかったのだと思うのだが、「平成狸合戦ぽんぽこ」はそんな生易しい作品ではない。
今回はそんな「平成狸合戦ぽんぽこ」のあらすじと見どころポイントをまとめようと思う。ただ、あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください。
「平成狸合戦ぽんぽこ」のあらすじ(ネタバレあり)
簡単なポイントまとめ
「平成狸合戦ぽんぽこ」のあらすじのポイントを短くまとめると以下のようになるだろう:
- 物語は人間による住宅開発等の影響により住処を奪われていく多摩丘陵(たまきゅうりょう)の狸たちの物語として進行する。
- 狸の姿は主に直立二本足歩行で描かれ、極めて人間的な存在として描かれる。
- 狸たちは人間に対抗し、自らの住処を取り戻す戦いを挑む。
- 狸たちの主な武器は「化け学(ばけがく)」つまり「変化術(へんげじゅつ)」であり、熟練者から若手への術の伝達から物語はスタート。それと同時に「化け学」の先進地である四国と佐渡の長老狸の招聘を試みる。
- 若手の育成は順調に進み、人間への決戦の機運が最高潮に高まった頃、四国の長老三人が多摩丘陵に到着。多摩の狸たちに秘術「妖怪大作戦」を授け、本格的な対人間作戦が決行される。
- ところが・・・秘術「妖怪大作戦」は人間たち全く効果がなかったばかりか「ワンダーランド」と呼ばれるテーマパークの宣伝隊であったことにされてしまう。
- 悲嘆に暮れる狸たちは次の3派に分かれる:
- 人間との肉弾戦を目論む強硬派
- 耐え難い現実から目を背けて涅槃へと向かう踊り念仏派
- 「妖怪大作戦」を狸の仕業だと人間に訴えようとする暴露派
- 強硬派は特攻隊さながらの勇姿を見せたが、人間に駆逐され、念仏派は集団で命を絶った。
- 暴露はテレビ局を巻き込んで、その思いを訴えることに成功したが、その影響も微々たるものだった。
- すべての戦いを終え生き延びた狸たちは、その変化術を用いて人間として生きる道を選ぶ。
「平成狸合戦ぽんぽこ」の最も重要かつ切ない点は、彼らの戦いが敗北に終わることは物語のスタートと同時に決まっているという点である。
より極端に言えば「平成狸合戦ぽんぽこ」というタイトルと特報やCMを見た時点で自分たちが「狸が負ける物語」を見ることになることは確定しているのである。
なぜなら、我々は狸に負けていないという現実があるから。
我々はそういった非常に過酷な状況にある狸たちの姿を追うことになるわけで、普通に考えればしんどくて見ていられるものではない。
ところが「平成狸合戦ぽんぽこ」は彼らが真剣に戦いに挑む姿を落語の滑稽噺のような絶妙な笑いとユーモアを交えて描いていく。声優に噺家の名人が何人も起用されているのも大きな必然があったのだろう。あの滑稽さがあるから見ていられる。
個人的には古今亭志ん朝さんの美しい声で実現されたナレーションが非常に印象的である。アニメーションにおいては背景美術がその世界観を作るのに非常に大きな役割を演じているが、この作品ではナレーションも重要な世界観となっているように思える。つまり、稀代の名人 古今亭志ん朝が語っているのだから、俺達は笑ってよいのである。
子供の頃から何度も「平成狸合戦ぽんぽこ」を見ているが、見る度になにか新しいことを考えることができる作品である。そういう作品を子供の頃に見ることができたことは私にとっては大きな幸運であったと言える。私は今でも「一番好きなジブリ作品は?」と聞かれれば「平成狸合戦ぽんぽこ」と答えている。
ということで、ここからは「平成狸合戦ぽんぽこ」のあらすじをもう少し詳しく見ていこう。
化け学の復興
ぽんぽこ三十一年秋、人間の都市開発によって住処を奪われた狸同士が、互いの縄張りをかけて決戦に挑んだ。2つの勢力は鷹ヶ森(たかがもり)と鈴ヶ森(すずがもり)。その戦いは筆舌に尽くしがたいものであった。
決定打にかけるその戦いは膠着状態に陥った。そんな時、火の玉のおろく婆がその戦いの仲裁に入った。おろく婆は狸たちを促し、人間の手によって切り開かれる森の実情を鉄塔の上から観察させた。
森の実情を知った多摩の狸たちは一致団結し、人間に立ち向かうことを決意する。そのために、廃れていた化け学の復興と、四国と佐渡の長老たちの招聘を計画する。しかし長老たちの招聘は長く苦しい旅になるため、若者の育成にまずは注力することになった。
懸命に若手の育成に励む長老たちだったが、その道は容易いものではなかった。「極端な集中力」を必要とする変化術の習得は、そもそも呑気な狸の本来の性質とは相反していたのだ。
それでもなお、様々な修行と卒業試験を経て、若手狸の中には実戦投入に十分な変化術を習得したものも出てきた。そんな血気盛んな若手狸のひとり鷹ヶ森の権太は、有志を集め、人間殲滅を目的とする最初の作戦を提案する。長老たちは極めて消極的だったが、権太を止めることはできなかった。そんな彼らに折れたおろく婆は「殺されても5日間はキツネの死体に見える」という秘術を授け、権太達を送り出した。
雨の夜に、近くの工事現場を狙った権太の作戦は見事に成功し、多くの人間を死に追いやった。そのニュースを見た狸たちは歓喜した。
しかし権太の作戦も「不幸な事故」として片付けられ、開発を止めることができなかった。そしてそんな権太も「祝勝会」の影で、大怪我を負っていたのだった。
妖怪大作戦の決行
権太の作戦成功を受け、狸たちはそれぞれに対人間戦を開始した。彼らは彼らなりの本気で「開発阻止」を目的に活動していたが、それは権太が最初に取った作戦とは似ても似つかず、ただ人間をばかしているに過ぎなかった。
そんな姿に大怪我で動けない権太は苦虫を噛み潰していたが、実際に開発は着々と進んでいた。その様に住処が奪われ続ける一方で、狸たちの人口増加が深刻な食糧難を発生させていた。化け学の復興作戦遂行中はその身を謹んでいた狸たちだったが、もはや本来の本能に逆らうことができず、子供を作り始めていたのだ。狸たちは人間の住む街、民家から残飯など食料を詰める作戦を決行する。
食料調達は変化狸の仕事であったが、空腹に耐えかねた普通の狸も民家に出没し、罠に引っかかることや交通事故に遭うことが頻発し、状況は切迫していた。この状況に権太は人間たちのとの決戦に打って出るべきと進言する。権太の傷はすでに癒えていた。
そんな時、玉三郎という若い狸が、使いに出ていた四国からようやく待望の長老を連れて帰ってきた。
長老たちは秘術「妖怪大作戦」を多摩の狸たちに用意していた。狸たちはその作戦に命運をかけ、その準備に勤しんだ。変化できるものそうでないものも、すべての狸がその準備段階から作戦に参加した。「妖怪大作戦」は苦汁を飲まされ続けた狸達の前に現れた唯一の希望だった。
ぽんぽこ三十三年春、ついに「妖怪大作戦」決行の日が訪れる。気温十三度、湿度六十五パーセント。絶好の妖怪日和であった。
狸たちの変化術によって街中に妖怪変化が大挙する。人々の目に映るその姿は、紛れもなく現実であった。
その壮絶な作戦の遂行中、四国の長老のひとりである隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)が命を落とす。作戦の中枢にいた刑部狸の死で作戦は中断されるが、狸たちは作戦の成功を確信していた。これで人間は変わるはずだった。
狸達の敗北と最後の決断
狸たちの期待とは裏腹に、妖怪大作戦は全く効果を発揮しなかった。そればかりか、狸達の起こした奇跡妖怪大作戦は「ワンダーランド」というテーマパークの運営者に利用され、その宣伝隊であったことにされてしまった。実際に妖怪大作戦を見た人々はそれを否定したが、状況が改善することはなかった。最後の決戦に敗れた狸たちは涙した。
この敗北を受け、狸たちの統率は完全に崩れた。権太を筆頭とする特攻派、四国の長老太三朗禿狸(ただぶろうはげだぬき)を筆頭とする現実逃避派など、狸たちはそれぞれに終わりの時を迎えようとしていた。そんな中、多摩の長老狸鶴亀和尚がテレビ局に投書を行う。「妖怪大作戦」は自分たちのやったことであること、そして自分たちの住処を奪わないでほしいということを直接訴えようとしたのだ。多くの狸たちが反対したが、この期に及んでは誰も鶴亀和尚を止めることはできず、結局は鶴亀和尚を手伝うことにした。
最初に行動を開始したのは権太ら特攻派だった。権太たちは「環境保護団体」を装い、森に立てこもり警備隊と対決する。
あとに続くを信じ特攻をしかけた権太だったが、人間たちとの肉弾戦に狸が勝てるはずもなかった。
権太が若き血潮を燃やしていた同じ頃、鶴亀和尚もその思いの丈を人間にぶつけていた。
権太と鶴亀和尚の最後の戦いの傍らで、絶望した変化できない普通の狸は禿狸に先導され、大きな宝船をこしらえていた。その船は彼らを極楽浄土へ導く宝船。船にのって線路へ急ぐ並の狸たち。彼らの最後の戦いは集団自殺であった。その屍に人間は何を思っただろうか。
戦いに敗れ、残った変化狸たちは最後の決断をする。彼らは人間として生きる道を選んだのだ。占いを営むもの、不動産業で成功し野山を切り開くもの、それぞれが様々人に変化しその生命をつないでいた。もしかしたら我々の隣にも、変化した狸がいるのかもしれない。
我々人間に彼らの戦いは見えない、しかし姿を消した狸たちは自ら姿を消したのではなく、その生命を人間によってうばわれたのである。せめて我々はそのことに自覚的に生きるべきである。
以上が個人的にまとめてみた「平成狸合戦ぽんぽこ」のあらすじである。続いては本作品の考察ポイントについて。
「平成狸合戦ぽんぽこ」の考察ポイント
おろく婆ちゃんの叱責の意味
「平成狸合戦ぽんぽこ」とう物語の本質的なスタート地点にして、多摩の狸を対人間の闘争に導いたのは、おろく婆ちゃんの「こんなことをしている場合ではない!」という叱責であった。もちろんおろく婆ちゃんの言う通りであり、あのまま狸同士で戦っていたら知らないうちに居場所を追われていただろう(戦っても結果は変わらなかったが)。
このおろく婆ちゃんの叱責は、私の目にはどうしても宮崎駿と鈴木敏夫にも向けられているように思われるのだ。そもそも「平成狸合戦ぽんぽこ」という企画は杉浦茂の「八百八狸」を映画化してほしいという依頼に始まっている。しかし結果的に高畑勲はそれを突っぱねて、我々が知る「平成狸合戦ぽんぽこ」を制作している。早い話が「八百八狸なんか作ってる場合じゃないぞ」と2人を叱責しているように見えるのだ。しかし、なぜ「八百八狸」ではだめだったのだろうか?そこの事について以下の記事にまとめている。
上の記事では「おろく婆ちゃんが授けた秘術の謎」についても書いている。興味のある人はご一読ください。
妖怪大作戦の謎
対人間戦を戦う多摩の狸たちの最終兵器として登場したのが「妖怪大作戦」だった。しかし「平成狸合戦ぽんぽこ」を見た人ならみんなが思ったことが「それじゃだめだよ」だったに違いない。しかし、それで終わってしまうと「平成狸合戦ぽんぽこ」は楽しめない。
なぜ狸たちは妖怪大作戦を結構したのか、あるいは、高畑勲は狸たちに妖怪大作戦を決行させたのか?この辺のことを考えてみると「平成狸合戦ぽんぽこ」の面白さが深まると思われる。この件に関する私の見解は以下の記事にまとめてある。皆さんはどう思いますか?
なぜ声優は噺家だったのか?
「平成狸合戦ぽんぽこ」の重要な特徴の1つは、声優に噺家が起用されている点である。その理由はもちろん「この物語は落語ですよ、笑っていいですよ」ということに違いない。実際狸たちのコミカルな空回り話にもなっている。しかし我々が考えるべきは、なぜそのようにしたかである。そのことについては以下の記事にまとめている。
「平成狸合戦ぽんぽこ」の面白ポイントは他にも沢山あるのだろうが、今の所私が気づいているのはこんなところである。少なくとも「狸がかわいそう!」とか「人間って酷い!」という話ではないことは確かだと思う。
「もののけ姫」そして「紅の豚」
「平成狸合戦ぽんぽこ」の主人公は正吉であり、その姿勢と権太との相克が物語の主軸になってはいるのだが、宮崎作品である「もののけ姫」や「紅の豚」との類似性を考えてみると、サブキャラクターであった鶴亀和尚やぽん吉という存在のもつ重要性が見えてくる。
なぜ鶴亀和尚という存在が必要だったのか、なぜラストを締めたのがぽん吉だったのか。その辺のことを以下の記事にまとめた:
最初の記事では鶴亀和尚と「もののけ姫」のモロの君、2つ目の記事ではぽん吉と「紅の豚」のポルコ・ロッソを比較している。
随分と突飛な比較であるが、なにか新しい視点を与えてくれるものであるとは思う。もちろん異論は認める。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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