前回は「序盤のおろく婆ちゃんの言動」について書いたが、今回は妖怪大作戦について書こうと思う。
「ぽんぽこ」を見たことのある人なら誰で思ったことの一つに「妖怪大作戦じゃだめだよ」があると思う。刑部狸の急逝により妖怪大作戦は途中で終わってしまったが、本来どのように終わるはずだったのだろうか?まあ、完全なのもとしてやりきったとしても結果は変わらなかっただろう。
しかもあの使えない四国の長老共は「これで事態は好転する」と大喜びであった。
どうも妖怪大作戦の周辺の狸の空回りっぷりに、ともすれば不満を持ってしまうのだが、そうなってはいけない。そうなってしまうということは「平成狸合戦ぽんぽこ」の基本的な見方を間違っているように思われる。まずはそこから。
「平成狸合戦ぽんぽこ」の妖怪大作戦は喜劇の象徴
「平成狸合戦ぽんぽこ」は笑って良い物語
「平成狸合戦ぽんぽこ」という作品は「人間対狸の戦い」を描いているので、我々はどうしても真面目に、姿勢を正して見てしまう。「嗚呼、人間はなんて残酷で愚かなんだ、狸たちはなんて可愛そうなんだ」というやつですね。もちろんそれでも良いのだけれど、私の幼少期の記憶としてはそのように見ていなかったし、私の父もそのようには見ておらず、落語的な面白さを素直に享受していたと思う(この辺のことは「平成狸合戦ポンポコの思い出」に書いた)。
つまり、本来「平成狸合戦ぽんぽこ」は見ながら笑ってよい喜劇となっている。わざわざ声優、ナレーションに噺家を起用したのも、そこまでやらないと喜劇として分かってもらえないと思ったからかもしれない(また、所謂漫才師やコント師を起用すると露骨すぎると考えたかもしれない)。先述したとおり、モチーフは「人間対狸」という苛烈なものなのでね。
さて、この喜劇性の何が重要なのかといえば「喜劇は悲劇、悲劇は喜劇」という言葉に集約されるだろう。
「平成狸合戦ぽんぽこ」は、狸たちの物語としてはどう考えても悲劇である。彼らは必死に対人間戦を繰り広げている。ところがどれほど本人たちが深刻な状態におり、彼らなりに必死に動いていたとしても、傍から見ると結構空回っているものである。だから「悲劇は喜劇」として描くことが可能なのだ。それをある意味で露骨にやっているのが「平成狸合戦ぽんぽこ」ということになるだろう。
喜劇のハイライトとしての妖怪大作戦
思えば妖怪大作戦ははじめからコミカルに描かれていた。例えば、あの使えない四国の長老達は以下のような姿で「多摩」にやってくる。
彼らなりにおめかしをして「東京」に来たのだろう。だが、映像表現的には、上のシーンが来た瞬間に「だめだ」という事になっている。こんな奴らにまかせていてもだめに決まっている。
結果は我らの知るように、こんな使えない長老のいうことを聞いたところで、状況は何も改善しなかった。ただ大事なことは、四国の長老を招聘した連中も本気だったし、長老達も本気だったということである。
そういう狸たちの空回りとしての喜劇のハイライトが妖怪大作戦だったのだろう。最後の最後で壮大にから回った訳である。
実際この後物語は急展開を見せ、特攻や自決を通じて狸たちがバッタバッタと死んでいく。流石にあれを笑えるやつはいないだろう(別に笑っていいけど)。
このように「狸たちの空回り」の象徴が「妖怪大作戦」なのだけれども、それだけでは終われない。
妖怪大作戦といえば有名なのが、宮崎作品のキャラクターが密かに登場しているという事実だが、何故そんな事になったのだろうか。
アニメーションそのものとしての妖怪大作戦
妖怪大作戦に出てくる宮崎作品のキャラクター
妖怪大作戦の中で宮崎作品のキャラクターが登場するのは以下の3シーンである。
一枚目では「魔女の宅急便」のキキが左から右へ、二枚目では「紅の豚」のポルコロッソが右から左へ、三枚目では「となりのトトロ」のトトロが右から左、「思い出ぽろぽろ」のタエ子が左から右に移動している。
妖怪大作戦にこのようなシーンがあるのはある意味でのファンサービスだったのかもしれないが、これはもちろん「高畑監督による宮崎作品評」となっている。妖怪大作戦の進行方向とタエ子の進行方向が同じなのは「我々が作るべきアニメーションとはこの方向だ!」という思いがあるからだろう。
「ぽんぽこの面白さ①」でも書いたが、高畑監督が、宮崎監督や鈴木敏夫さんの当初の提案だった「八百八狸」の映画化を断ったのもこういった思いがあったに違いない。
で、ここからなのだが、妖怪大作戦の中にアニメのキャラクターがいるのだから、妖怪大作戦とは高畑監督にとってのアニメーションそのものだったのではないだろうか。
狸たちはアニメーター
作品中変化術は「自然界最高の驚異」と表現されている。しかし、「驚異」といえばアニメの原画、動画を描いているアニメーターたちの仕事だって我々からすれば「驚異」である。我々はアニメーションという表現になれすぎて、絵が「自然に」動くことになんの驚きもしなくなってしまっているが、本来驚くべきものである。
そして、「狸たちの空回りの象徴」である妖怪大作戦も多くのアニメーターの汗と涙の結晶である。しかし我々はそんなことを全く気にせずにアニメを消費してしまう。妖怪大作戦発動中、屋台で飲んでるおっちゃんたちが「神経が、そうめえるんだね」と妖怪に対する見解を述べているが、それはアニメを見ている我々の無責任な発言の象徴であって「ぼうっと見てるんじゃない!お前らが見ているものは神経のせいで見えている幻ではなくアニメーター達の汗と涙の結晶だ!」という高畑監督のお叱りの言葉だったようにも思われる。
また、妖怪大作戦終了後に子どもたちが「すごく面白かったね」というのだが、その後に子どもの母親が「UFOも信じたくなっちゃった」と発言する。これは狸が必死の訓練の末に起こした奇跡をオカルトと同一視した発言である。したがって構造上は屋台のおっさんの発言と同じで、アニメーションというものが実現するまでにアニメーターがどれほどの努力を積み重ねているかを全く考えもしない我々アニメの視聴者、消費者の冷めた態度の象徴のように思われる。
妖怪大作戦後の狸たちの嘆きも、「命を削って作ってるのに、なんで分かってくれないんだ!」アニメーションの作りて達の嘆であると同時に「もっとちゃんと見ろよ!ぼうっとしてるんじゃねえよ!」という怒りの言葉にも思われる。妖怪大作戦の後、鶴亀和尚が「あれは私達がやったんだ!」と叫ぶのも、作りての叫びのように見える。
アニメーションというものは自動的に出来上がるものでも、簡単に出来上がるものであもない。監督、アニメーターを始め多くの人々の汗と涙の結晶である。しかし、我々が省みるのは監督名と、たかだか主人公キャラクターの声優くらいだろう。それ以外の人々が「俺たちがやったんだ!」と叫びたくなったって、無理もない話であるし、私達はそういうことにも思いを馳せるべきだろう。
返す返すも「平成狸合戦ぽんぽこ」は「高畑監督に叱られる物語」なのだろう。それでもなおこの作品を好きでいられるのは「確かにその通りですね」と思うからである。もっと真面目に見ないとね(その上でフィクションに囚われないようにもしなくてはならない)。消費者も楽ではない。
さて、このように考えてくるとエンドロールもなかなか感慨深いものとなる。
思い出しておくれ素敵なその名を
「平成狸合戦ぽんぽこ」のエンディングテーマは上々颱風の「いつでも誰かが」である。「ぽんぽこの思い出」でも書いたのだが、私が子供の頃に映画館で見た時に最初に思ったことは「夜逃げ屋本舗のやつだ!」であった。
しかし今見ると全く感想は異なる。エンディングの「いつでも誰かが」の歌詞は「いつでも誰かがきっとそばにいる、思い出しておくれ素敵なその名を」である。
ここでいう「素敵なその名」はエンドロールに流れるすべての人達だろう。妖怪大作戦を通じて我々は高畑監督に叱られるのだけれど、エンドロールに至って「せめて名前くらいは思い出せるようにしてくれよ」と言われたのだ。
ただ、流石にあまりにも多くの人々が関わりすぎていて「素敵なその名」を思い出すのは流石に無理である。それでもなお、我々が見ているアニメーション、映画の制作に携わった人々の汗と涙を、せめてエンドロールが流れている時に、思いを馳せても良いかもしれない。
以上のように「平成狸合戦ぽんぽこ」は狸の変化術を通じて「アニメーションやアニメーションを作ること」を表現した作品という側面があるように思われる。こういうことも、「平成狸合戦ぽんぽこ」の面白さの一つだろう。
おまけ:こちらを見つめる狸と少年
物語の終盤に「気晴らし」と称して狸達が昔の世界を人々に見せつけた後、たまらず飛び出したぽん吉達を見つけた少年が我々に向かって「狸ってほんとに化けるのかな?」と問いかけるシーンがある。「平成狸合戦ぽんぽこ」という作品の中でも印象的なシーンである。
あのシーンは何故存在するのだろうか?そんなこと高畑監督に聞かなくてはわからないのだが、見ている人々を一瞬現実に返す効果があることは間違いないだろう。
「平成狸合戦ぽんぽこ」は「ファンタジー批判」とも称される作品である。アニメーションという虚構を作ることの原罪について誰よりも自覚的だったのが高畑監督だったのかもしれない。したがって作品の何処かに「映画を見ている人々を現実に戻す装置」が必要だったのではないだろうか。
その一方で、忘れてはならないのが映画が始まった瞬間に登場した「普通の狸」がこちらを見るシーンである。我々はあの狸の目線に引き込まれて「アニメの世界」あるいは「ファンタジー世界」に入り込むことになっている。つまり、入り口と出口をきちんと同じものにしているのである。
こういったうまさも、「平成狸合戦ぽんぽこ」の面白さだと思う。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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