映画「タイタニック」は、年老いたローズが84年前の出来事を語り、その話とともに1912年へ戻っていく。

しかしよく考えてみるとあの映画には、ローズが見ていないはずの場面が普通に出てくる。スミス船長とイズメイが話している場面もそうだし、無線室や機関室、氷山を発見する見張り台もそうである。船底へ海水が流れ込んでいくところなど、ローズが知るはずもない。

それを根拠にこの物語について「ジャックはローズおばあちゃんが作った人物なのではないか?」と考える人もいるだろう。

ただ個人的には、「誰かが頭の中でこのタイタニックを作っている」と考えるのなら、私はローズではなく別の人物が気になる。

トレジャーハンターのブロック・ロベットである。

海底から引き上げられたタイタニックの遺物を真剣な表情で見つめるトレジャーハンターの男性

しかも、この場合は「ローズの話の一部が作り話だった」という程度ではない。84年後にロベットの船へやって来るローズおばあちゃんからして、彼の頭の中にしかいなかったのではないか、という話である。

ずいぶん無茶な考察に見えるのだけれども、映画の最初へ戻ってみると、これが意外といい線に見えてくる。

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宝石を見つけられなかったロベットに、ローズが現れる

空の金庫と未使用の葉巻が置かれた調査船の甲板と、奥に残された老女のショールや深海探査機器

ブロック・ロベットがタイタニックへ来た目的は分かりやすい。「碧洋のハート」を探しているのである。

探査機を船内へ入れ、ついにキャルの金庫を見つけたときの彼は大喜びしている。しかも、宝石を発見したときのために葉巻まで取ってある。ところが、いざ金庫を開けてみると肝心のものが入っていない。

ここでロベットは困ったことになる。本人が宝石を手にできなかっただけならまだしも、そのために調査船を出し、潜水艇を使い、大勢の人間が動いている。金庫が空だったあとには出資者から連絡まで入り、まだ可能性はある、自分を信じてくれと説明している。

その一方、テレビの取材では「墓荒らしではないか」と問われ、自分たちには博物館で訓練を受けた専門家がいて、発見した品を適切に保存、記録しているのだと話す。ツタンカーメン王の墓から遺物を回収したことだって墓荒らしとは呼ばれなかった、とまで言っている。

言っていること自体はもっともである。タイタニックから発見されたものを保存することにも、沈没船を調査することにも歴史的な意義はある。

でも、この男、さっきまで金庫を見つけて大騒ぎしていたのである。

しかも葉巻まで用意していた。

ロベットの目的が最初から「歴史的に価値のある資料を後世へ残すこと」だけだったとは、とても思えない。欲しかったのはブルーダイヤモンドだし、それを見つけるために来たのに見つけられなかった。

私は、映画冒頭のロベットにはこの居心地の悪さがあると思う。

目的は果たせなかった。でも、自分がタイタニックへ来たことそのものには、別の意味があったと思いたい。

そこへローズおばあちゃんが現れる。

これがまた、ロベットにとっては出来すぎた人物である。金庫から見つかった絵の女性本人で、碧洋のハートについて知っている。そして彼がこれまで資料やコンピューターの中でしか知らなかったタイタニックについて、「実際にそこにいた人間」の話をしてくれる。

しかもローズの話を最後まで聞いたロベットは、宝石を見つけられなかったことを悔しがってはいない。むしろ、3年間タイタニックのことばかり考えていたのに、自分は本当には分かっていなかったのだと気づいてしまう。

これはロベットにとって、ずいぶん救いのある、そして、都合の良い話ではないだろうか。

何も見つけられなかったわけではない。宝石は出なかったけれど、それより大事なものを知ることができた。だったら自分がここまで来たことも、金庫が空だったことも、全部無駄ではなかったことになる。

そんな物語をロベット自身が作ったのだとしたらどうだろう。

「宝石は見つからなかった。でも、それでよかった」と自分に言うためにローズという人物を作り、そのローズに84年前のタイタニックを語らせた。

私は、そう考えると年老いたローズが妙にロベットと近い存在に見えてくる。

ローズが知らないタイタニックまで、なぜ描かれているのか

年老いたローズが資料や写真を前にタイタニックを見つめる場面と、ローズ自身は知り得ない船内の出来事を示す資料が重なる構図

ここで冒頭の疑問へ戻る。

もし1912年の長い物語が本当に「ローズの記憶そのもの」なら、ローズがいなかった場所まで描かれているのは妙である。例えばイズメイがスミス船長へ速度の話をする場面を彼女は聞いていないし、無線士たちがどんなやり取りをしていたのかも知らない。氷山を見つけた見張り員や、衝突直後の機関室についても同じである。

ちなみに、こうした映画の場面が実際の記録とどこまで一致しているのかについては、別の記事で1912年の調査記録や史料と照らし合わせている

これは映画として見れば別に不思議ではないのだが、これがロベットの頭の中で作られた「タイタニック」なら話は変わる。

なぜなら、そういうことならロベットが知っているからである。

ロベットたちは長い時間をかけてタイタニックを調べている。船の構造を知っているし、どのように浸水して、船体がどう折れ、どう沈んだのかもコンピューターで再現している。映画の序盤では、その映像をローズ本人に見せながら得意そうに説明までしている。

ロベットたちは、タイタニックがどう沈んだかなら知っている。しかし、それを実際に経験した人間にとってどういう出来事だったのかは知らない。

そしてローズの話が始まる。

ロベットが何年もかけて集めた知識の中へ、ジャックとローズという人間を置いてみる。スミス船長もイズメイも機関員も無線士も、彼が知っているタイタニックの中にいる。その中をジャックとローズが走り回り、恋をして、最後にはあの海へ投げ出される。

我々が見ている映画そのものが、ロベットの知っている「タイタニック」に、彼が必要としていたローズの物語を重ねたものだった。

そんなふうに見ることもできる。

そうなると、前の記事で考えたラストの葉巻と碧洋のハートが、また少し変な意味を持ち始める。

映画「タイタニック(1997年)」ローズはなぜ「碧洋のハート」を捨てたのか?ジャックの絵とロベットの葉巻から考察
映画「タイタニック」で、ローズはなぜ84年間持ち続けた「碧洋のハート」を最後に海へ捨てたのか。ジャックが残した絵と、直前に葉巻を捨てたブ...

ローズの話を聞き終えたロベットは、碧洋のハートを発見したときのために取っておいた、まだ吸っていない葉巻を海へ捨てる。そのあとでローズも、本物の碧洋のハートを海へ落とす。

前の記事では、二人が同じ夜に宝石を必要としなくなった、と考えた。ロベットは「見つける必要」がなくなり、ローズは「持っている必要」がなくなる。

ロベットは葉巻を捨てることで、宝石を発見して大成功するはずだった自分に別れを告げる。しかし、肝心の碧洋のハートは最初から彼の手元にはないので、それ自体を捨てることはできない。

そのロベット自身にはできない最後の一手を、ローズが代わりにやっているように見えるのである。

だからこの二人は、映画の中では別々の人物なのに、実のところほとんど一心同体であるようにも見えてくる。ロベットの中で宝探しが終わったから、ローズの手にあった宝石まで必要なくなったということになるのではないだろうか。

そしてここまで考えてくると、ブロック・ロベットという人物についても、実は別の人物が重なっていることが見えてくる。

ブロック・ロベットはジェームズ・キャメロン本人なのではないか?

タイタニックの設計図や深海探査の資料と、空のケースや潜水装備が並ぶ調査室のイメージ

ロベットについて考えていると、どうしてもジェームズ・キャメロン本人のことを考えざるを得なくなってくる。

もちろん、ロベットがキャメロンをモデルにした人物だと映画の中で明言されているわけではない。ただ、キャメロン本人が「タイタニック」を作り始めた理由を読むと、これは偶然なのだろうかと思ってしまうのである。

キャメロンは「タイタニックへ潜りたい」から映画を作った

2004年、キャメロンはWIREDへの寄稿で、こんなことを書いている。

“I made the movie Titanic because I thought I could talk the studio into letting me dive and film the real ship.”

日本語訳:
「私は、スタジオを説得すれば本物の船へ潜って撮影させてもらえると思ったから、映画『タイタニック』を作った。」

出典:James Cameron「The Drive to Discover」(WIRED, 2004)

さらにキャメロンは同じ文章で、当時の自分にとって映画を作ること自体は「secondary」、つまり二次的なものだったと書いている。もともと沈没船に潜ることが好きで、タイタニックはその究極だった。本物へ潜るために映画を企画し、実際に1995年にはロシアのミール潜水艇を使って12回もタイタニックへ潜っている。

映画を作りたかったからタイタニックへ潜った、という順番ではないのである。

タイタニックへ潜りたかった。だから映画を作ろうとした。

2003年のGuardianのインタビューでは、さらに身も蓋もない言い方をしている。

“I was trying to figure out a way to dive the Titanic wreck”

日本語訳:
「私は、どうすればタイタニックの残骸へ潜れるのか、その方法を考えていた。」

出典:James Cameron interview(The Guardian, 2003)

キャメロンはこのあと、自分が使える手段は、大手スタジオに「映画を作るから探検の費用を出してくれ」と持ちかけることだった、と話している。

ロベットが欲しいのは碧洋のハートで、キャメロンが欲しかったのは本物のタイタニックを見ることなので、もちろん目的は違う。それでも、タイタニックという途方もない沈没船に惹かれ、最新の機械を持ち込み、深海へ潜り、そこにあるものを自分の目で見ようとしているところはよく似ている。

映画冒頭のロベットは、タイタニックの歴史的な意味を理解することよりも、まず宝探しに夢中になっている。そのロベットと同じように、キャメロンの出発点にも「本物のタイタニックへ潜ってみたい」という探検家としての強烈な好奇心があった。

本物のタイタニックを見て、キャメロンは変わった

ただ、私がロベットをキャメロン本人のように感じるのは、それだけではない。

実際にタイタニックへ潜ったあと、キャメロン自身の中でその意味が変わっているのである。

1998年のWIREDには、最初の数回の潜航を終えたキャメロンが船室へ戻り、その日見たものを思い返して泣き始めたときの話が載っている。

“That’s the moment my technical guard got let down and I got kind of overwhelmed by it.”

日本語訳:
「あの瞬間、技術者として身を守っていたガードが外れて、私はそれに圧倒されてしまった。」

出典:Lunch on the Deck of the Titanic」(WIRED, 1998)

キャメロンは何も知らないまま海底へ行ったわけではない。すでに映画の構成案(トリートメント)を書き、タイタニックで誰が何をして、どこに救命ボートがあり、どこでどんな出来事があったのかまで調べていた。それでも実物の船を目の前にすると、それまでとは違ってしまった。

同じ記事の中で、キャメロンはこうも話している。

“I realized I was approaching it wrong”

日本語訳:
「私は、自分の向き合い方が間違っていたことに気づいた。」

出典:Lunch on the Deck of the Titanic」(WIRED, 1998)

そして、重要なのは映像を撮ることだけではなく、船そのものや、そこで起きたこと、そこにいた人々に何が起きたのか、その感情的な意味を捉えることなのだと思うようになった、と続けている。

これを読むと、映画の最後のロベットを思い出してしまう。

ロベットもタイタニックについては詳しい。船内の構造を知っているし、沈没の過程をコンピューター映像で説明することもできる。それでもローズの話を最後まで聞いたあと、自分は3年間タイタニックのことばかり考えていたのに、本当には分かっていなかったのだと気づく。

キャメロンも似たところから始まっている。本物のタイタニックへ潜りたい、誰も見たことのないものを見たい、その映像を撮りたい。ところが、本当にそこまで行ってしまうと、目の前にあるものは「すごい沈没船」だけではなくなる。

そこでは実際に多くの人が亡くなっている。

ロベットが捨てた葉巻は、キャメロンの「浮ついた心」

だから私は、ロベットが最後に捨てる葉巻が気になるのである。

あれは碧洋のハートを見つけたときに吸うため、ずっと取っておいた葉巻だった。宝石を見つけて、「ついにやったぞ」と盛り上がるためのものだったわけである。

だったら、あの葉巻にはキャメロン自身の「浮ついた心」も入っているのではないだろうか。

本物のタイタニックへ潜りたい。誰も撮ったことのない映像を撮りたい。新しい深海撮影の技術を試したい。別に、それ自体が悪いとは思わない。むしろキャメロンの場合、そんな好奇心がなければ本当にタイタニックへ12回も潜るようなことはしなかっただろう。

ただ、実物を見てしまった。

そして本人が「technical guard」が外れたと言うほど、そこで起きたことに圧倒されてしまった。

そうなれば、「すごい沈没船だ」「面白いものが撮れる」という気持ちだけでは映画を作れなくなる。自分が夢中になって潜っている場所で実際に人が死んだということが、重くのしかかってくる。

ロベットが最後に葉巻を捨てるのは、タイタニックという巨大な沈没船に盛り上がっていたジェームズ・キャメロンが、自分の中にあったその気持ちを捨てる場面でもあるように私には見える。

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ローズはキャメロン自身が必要とした人物でもあった?

そして、そのあとにローズが碧洋のハートを捨てる。

前の記事では、ロベットが宝石を「探す必要」を失い、ローズも宝石を「持っている必要」を失ったと考えた。しかし今回の考察では、この二人はもっと近い。

宝石を見つけられなかったロベットに、「それでもあなたがタイタニックへ来たことには意味があった」と思わせてくれるのがローズである。

そのロベットがキャメロン自身の分身なら、ローズはキャメロンに対しても同じことをしているように見える。

本物のタイタニックへ潜りたいというところから始めたとしても、それだけで終わったわけではない。この船で何が起きたのか、そこで人がどう生き、どう死んだのかを映画にしたことには別の意味があった。

ローズは、それをロベットに教える人物であると同時に、キャメロン自身に教えるための人物でもあったのではないだろうか。

そう思うと、ローズがロベットにとってあまりにも都合の良い人物であることも、かえって面白くなる。

ローズはロベットが存在してほしかった人物であり、そのロベットがキャメロンの分身なら、キャメロン自身が存在してほしかった人物でもある。

そうすると、最初に書いた「映画本編そのものがロベットの想像だった」という無茶な話にも戻ってくる。

ローズおばあちゃんが84年前を思い出していたのではなく、宝石を見つけられなかったロベットが、自分がタイタニックへ来た意味を見つけるためにローズを作った。

そして、そのロベット自身が、本物のタイタニックへ潜りたいという気持ちから「タイタニック」を始めたジェームズ・キャメロンだった。

もちろん、「実はローズは存在しなかった」という隠し設定がある、と言いたいわけではない。そんな種明かしは映画のどこにもない。

ただ、キャメロン本人が語っている映画制作の出発点と、実際にタイタニックへ潜ったあとの変化を知ってしまうと、私はロベットを単なる現代パートのトレジャーハンターとして見られなくなってしまう。

碧洋のハートを探しに来たロベットは、最後にはそれを必要としなくなり、取っておいた葉巻を海へ捨てる。そのあと、彼のために現れたようなローズが、本物の碧洋のハートまで海へ捨ててしまう。

映画の外では、本物の沈没船へ潜りたいという気持ちから始めたジェームズ・キャメロンが、最後にはジャックとローズという人間の物語を作っている。

あの葉巻を海へ捨てているのは、やはりブロック・ロベットだけではなかったのではないだろうか。