映画「タイタニック」のラスト、年老いたローズは84年間持ち続けていた「碧洋のハート」を海へ投げ捨てる。

何度見ても「いや、それ捨てるのかよ!」と思ってしまうシーンなのだが、では、なぜローズはあの宝石を最後に捨てたのだろうか。

よくある答えとしては「キャルとの決別」だろう。碧洋のハートは婚約者であるキャルから贈られたもので、彼の財力や、ローズを自分のものとして扱おうとする姿勢を象徴するような宝石でもある。そういう過去を最後に海へ葬った、という考え方である。

もちろん、それはそれで間違ってはいないと思う。ただ、それだけなら一つ大きな疑問が残る。

キャルとの決別が目的なら、なぜローズは碧洋のハートを84年間も持っていたのか?

タイタニックを生き延びたローズはキャルのもとへ戻らず、「ローズ・ドーソン」と名乗って全く別の人生を歩んだ。キャルとの決別なら1912年の時点ですでに終わっている。それなのに宝石だけは売りもせず、捨てもせず、家族にも存在を明かさないまま持ち続けた。

ということは、ローズにとって「碧洋のハート」は、いつまでも単なる「キャルからもらった宝石」ではなかったのだと思う。

  • なぜローズは84年間も宝石を持ち続けたのか?
  • なぜジャックの絵が発見された後に手放したのか?
  • なぜその直前に、ブロック・ロベットも葉巻を海へ捨てたのか?

この三つをつなげて考えると、最後の「碧洋のハート」の意味が見えてくるように思う。

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ローズはなぜ84年間「碧洋のハート」を持っていたのか?

ローズの手の中にある「碧洋のハート」と、その周囲に重なるジャックとの思い出や沈没するタイタニック

碧洋のハートをローズに贈ったのはキャルである。しかし、この宝石が物語の中で果たした役割を思い出すと、途中から「キャルの宝石」とだけ呼ぶことが難しくなっている。

キャルはジャックをローズから引き離すため、ラブジョイに命じて碧洋のハートをジャックのポケットへ忍ばせる。それを証拠としてジャックは窃盗犯に仕立てられ、沈没が始まったタイタニックの船内に拘束されてしまう。

ローズは一度は救命艇へ向かう流れに乗りながら、ジャックを見捨てることができず船内へ戻る。そして自分で斧を手にしてジャックを助け出し、そこから二人は浸水する船内を逃げ、最後には沈んでいく船から海へ投げ出される。

つまり、キャルがジャックをはめるために碧洋のハートを使ったことで、ローズは自分の意思でジャックを救いに行くことになった。宝石そのものを用意したのはキャルだが、その宝石にはいつの間にか、ジャックと過ごした最後の夜の記憶まで入り込んでいる

しかも、なんとも皮肉なことに、その宝石だけはタイタニックと一緒に沈まなかった。

救助されたローズがキャルから着せられたコートのポケットに手を入れると、そこには碧洋のハートが残っている。タイタニックは沈み、ジャックも死んだが、ローズの人生を大きく変えたあの夜につながる品だけが手元に残ったのである。

  • もともとは:キャルがローズへ贈った宝石
  • その後:ジャックを陥れるために使われた
  • 結果として:ローズがジャックを救いに戻るきっかけの一つになった
  • 沈没後:あの夜からローズの手元に残った品になった

そう考えると、ローズがあの宝石を84年間捨てなかったことはそれほど不思議ではない。

そして私がこの話で最も重要だと思うのは、ジャックという人物には、それ以外にほとんど何も残っていないということである。

ジャックはタイタニックへ乗る予定すらなかった。出航直前にポーカーで切符を手に入れ、そのまま船へ乗り込み、沈没事故で命を落とした。現代の調査チームがジャック・ドーソンについて調べても、ローズが語るジャックへつながる記録は見つからない。

ローズ自身も、ジャックは今では自分の記憶の中にしか存在しない、という趣旨のことを語っている。ローズの人生を根本から変えた人物なのに、ローズが黙ってしまえば誰もその存在を知らない。彼があの船にいたことも、ローズを助けたことも、二人が恋をしたことも、ローズ以外の世界には何も残っていない。

碧洋のハートはジャックの持ち物ではない。それでもローズにとっては、ジャックが確かに存在していた「あの夜」と現実をつなぐ数少ない物だったのではないだろうか。

ところが84年後、その状況が大きく変わる。

ブロック・ロベットたちは碧洋のハートを探してタイタニックの金庫を引き揚げる。しかし期待していた宝石は入っておらず、代わりに見つかったのが、碧洋のハートだけを身につけた若いローズの絵だった。

そして、あの絵を描いたのはジャックである。

碧洋のハートがどれほどジャックとの思い出に満ちた品になっていたとしても、その出自はキャルにある。しかし絵は違う。ジャックがローズを見て、その手で描いたものだ。

84年間ローズの記憶の中にしかいなかったジャックから、ジャック自身が残した唯一無二のものが海底から戻ってきた。

私はこの事実が、最後にローズが宝石を手放す上で非常に重要だったと思う。

ただ、これだけで「絵が見つかったから宝石が不要になった」としてしまうと、映画の残りの部分をうまく説明できない。

絵が見つかったあと、ローズはわざわざロベットたちの船へ行き、自分がタイタニックで経験したことを語っているからである。そして、その物語の中心には当然ジャックがいる。

それまでジャックのことを知っていたのはローズだけだった。しかしローズが話し終えたあとには、ロベットたちもジャックを知っている。公的な記録が見つかったわけではないが、少なくともローズ一人の中にしかなかったジャックの物語は、他人の中にも残ることになった。

そして映画は、その話が本当にロベットへ届いたことを、かなり面白い方法で見せている。

ロベットが葉巻を捨てたあと、ローズは宝石を捨てる

海へ落ちていくロベットの葉巻とローズの「碧洋のハート」を、二人の手元から同時に捉えた場面

ローズが碧洋のハートを海へ落とす少し前、ブロック・ロベットも海へ何かを捨てている。

葉巻である。

しかも、あれはただの葉巻ではない。碧洋のハートを見つけたときに吸うため、ロベットが取っておいた特別な一本である。要するに「ついに碧洋のハートを見つけた俺」を祝うための葉巻だった。

ところがローズの話をすべて聞いたあと、ロベットは宝石をまだ見つけてもいないのに、その葉巻を海へ投げ捨てる。

長年追い続けてきた碧洋のハートは相変わらず行方不明なのだから、宝探しだけを考えれば葉巻を捨てる理由などない。それでも捨てたということは、ロベットの中で「碧洋のハートを見つける」という目的そのものが以前とは違うものになったということだろう。

それまで彼にとってタイタニックは、莫大な価値を持つ宝石が眠っている場所だった。しかしローズの話を聞き、そこで実際に何があったのかを知ったことで、その見方が変わった。

海底には宝石があるかもしれない。しかし、そこに沈んでいるのは宝石だけではない。人が生き、人が死に、ローズとジャックのような物語があった。

ロベットはそれを知ったことで、「宝石を発見した自分」を祝うための葉巻を捨てたのだと思う。

そしてその直後、ローズが、ロベットが人生をかけて探していた本物の碧洋のハートを海へ落とす。

  • ロベット:碧洋のハートは「見つけるべき財宝」だった
  • ローズ:碧洋のハートは「ジャックとの夜につながる思い出の品」だった

二人が同じ宝石に求めていたものは全く違う。それなのにローズが物語を語り終えたあと、二人はほとんど同じタイミングで、その宝石を必要としなくなっている。

ロベットは、宝石を見つけることへの執着を手放し、その象徴だった葉巻を海へ投げる。ローズもまた、ジャックとの記憶を背負わせて84年間持ち続けてきた宝石を手放す。

ロベットが葉巻を捨て、そのあとローズが宝石を捨てる。この二つの行為は対になっているのだと思う。

そして、この順番には意味がある。

ジャックが描いた絵が発見されただけなら、ローズ個人の中で何かが完結しただけである。しかしローズはジャックの話をロベットたちに語り、その話を聞いたロベット自身が変わった。

葉巻を捨てるという行動によって、ローズは自分の物語が少なくとも一人の人間にきちんと届いたことを知ることができた。

そう考えると、ローズが碧洋のハートを手放すためには、二つのことが必要だったのではないだろうか。

  • ジャック自身が残した絵が見つかったこと
  • ジャックの物語がローズ以外の誰かに届いたこと

これなら、なぜローズが84年間も宝石を持っていたのか、そしてなぜ「あの日」に突然手放したのかの両方を説明できる。

ジャックの絵が戻ってきた。そしてジャックのことを知る人もできた。もう、碧洋のハートだけにジャックとの思い出を背負わせ続ける必要はない。

そういうことだったのではないかと思う。

そして、ローズが宝石を落とした場所も重要である。ゴミ箱に捨てたわけではないし、売ったわけでも、子供や孫に渡したわけでもない。タイタニックが眠っている海へ落とした。

映画の冒頭では、海底からジャックの絵が引き揚げられる。そして最後には、ローズの手から碧洋のハートが同じ海へ戻っていく。

海からジャックが残したものが戻ってきて、その代わりのように、ローズが84年間持っていたものが海へ帰っていく。

そう見ると、ローズは碧洋のハートを「捨てた」というより、長い間自分が預かっていたものをタイタニックへ返したという方が近いのかもしれない。

そしてロベットの立場で考えると、このラストはなんとも意地が悪い。

人生をかけて探していた宝石は実は目と鼻の先にあった。しかも、自分がようやく宝石への執着を捨てた直後に、その本物まで海へポチャンと落とされている。

もし知ったらたまったものではない。

しかし、映画としてはこれでよいのだろう。宝石を欲しがっていた頃のロベットなら、碧洋のハートを目の前にすれば飛びついたはずである。しかしローズの話を聞き終えたロベットは、もう同じ人間ではない。

彼がタイタニックから最後に得たものは、何億ドルもの宝石ではなく、そこに生きていた人の物語だった。

ローズも同じである。84年間大切にしていたものは、莫大な価値を持つ青いダイヤモンドそのものではない。ジャックが確かに存在し、自分とあの時間を過ごしたという記憶だった。

映画の最後、ローズのベッドの横には、その後の人生を示す写真が並んでいる。そして若いローズはタイタニックの大階段へ戻り、ジャックのもとへ向かう。

そこに碧洋のハートはない。

もう必要ないのだから。

ローズが84年間本当に持ち続けていたものは宝石ではなく、ジャックとの思い出だった。最後に宝石だけを海へ戻すことで、それがよく分かるようになっているのだと思う。


さて、ここまでで、ローズが宝石を捨てた理由の考察は終了なのだが、ここからは少しおちゃらけたことを考えてみよう。

多くの人にとって「宝石うったえばいいじゃ~ん」という思考があのラストで行われたと思うのだが、はてさて、そんなこと可能だったのだろうか?

おまけ:ところでローズは「碧洋のハート」を売れたのか?

ところで、碧洋のハートについてもう一つ気になることがある。ローズはあの宝石を売ることはできなかったのだろうか。

ローズは84年間も碧洋のハートを持っていた。それなら人生のどこかでお金に困ったとき、「これ売ればいいじゃん」という話にはならなかったのだろうか。

何しろ、とんでもない価値のある宝石である。ローズがその後どのような経済状況だったのかは分からないが、普通に考えればこれほど心強い隠し財産もない。

ただ、実際に売ろうとすると結構面倒なことになりそうである。

  • 所有権:婚約者キャルから贈られた宝石を、本当に自由に処分できたのか?
  • 保険:タイタニックとともに失われた宝石として保険処理されていなかったのか?
  • 来歴:84年間行方不明だった宝石を、ローズはどう説明して売るのか?

最初に気になるのが所有権である。

碧洋のハートをローズに渡したのはキャルなので、単純に考えればプレゼントとしてローズのものになっている。ただ、二人は婚約中であり、宝石もその婚約や将来の結婚と強く結びついた品である。

そうなると、「一度渡したんだから完全にローズのもの」で話が終わるのか、それとも破談になった以上キャル側に返すべきものだったのか、少々怪しくなってくる。

もちろん映画はそんな法律問題まで描いていないので、ここでどちらが正しいと決めることはできない。ただ、「キャルからもらったんだから自由に売っていい」で済むとは限らないだろう。

もう一つ面倒なのが、キャル側では碧洋のハートがどう処理されていたのかという問題である。

ローズが宝石の存在に気づいたのは救助されたあとで、そのまま「ローズ・ドーソン」と名乗り、キャルの前から姿を消している。キャルから見れば、碧洋のハートはタイタニックと一緒に沈んだと考えていてもおかしくない。

そうなると「保険はどうなった?」という話も出てくる。これほど高額な宝石である。もし保険が掛けられていて、沈没による紛失として保険金まで支払われていたら、何十年もあとに本物が突然出てきたところで、これまた話はややこしくなる。

もっとも、このあたりは映画では何も語られていないので完全に想像の話である。でも、そういう想像を始めると結構楽しい。

そして私が一番困ると思うのは、法律よりもっと単純なことである。

どうやって売るのだろうか。

碧洋のハートほどの宝石を、近所の買取店に持っていって「これお願いします」と査定してもらうわけにもいかない。長年行方不明だった伝説級の巨大ブルーダイヤを老婦人が突然持ってきたら、まず間違いなく聞かれるだろう。

「これ、どこで手に入れたんですか?」

ローズが正直に答えるなら、「1912年にタイタニックから持ってきて、それから84年間ずっと持っていました」となる。

たぶん次に聞かれるのは値段ではない。

「あなた誰なんですか?」

である。

そこでローズは、自分がかつてローズ・デウィット・ブケイターという名前でタイタニックに乗り、沈没後にはローズ・ドーソンと名乗り、それから別の人生を歩んできたことまで説明しなければならなくなる。

なぜタイタニックとともに失われたはずの宝石を持っているのか。なぜ84年間黙っていたのか。キャルは知っていたのか。キャルの家族は何も言わないのか。保険はどうなっているのか。

宝石を一つ売りたいだけなのに、1912年からの人生を一通り説明する羽目になりそうである。

では、正体を隠してこっそり売ればよいのだろうか。

これも難しい。

84年間行方不明だった巨大なブルーダイヤを突然持ってきて、「昔から家にありまして」は、さすがに無理がある。

しかも碧洋のハートの場合、単に大きな青いダイヤというだけではなく、タイタニックに積まれていたという来歴そのものが大きな価値になるはずである。

ところが、その価値を利用するためには「本当にあの碧洋のハートです」と証明しなければならない。そして証明しようとすれば、ローズがどうやって手に入れたのかという話から逃げられない。

身元を隠せば宝石の価値を証明しにくくなり、価値を証明しようとすれば身元を隠せなくなる。

なんとも扱いづらい隠し財産である。

もちろん、だからといって「ローズには絶対に碧洋のハートを売れなかった」と結論づけることはできない。所有権や保険などの問題をきちんと整理すれば、売却できた可能性もある。

ただ、「そんなに高い宝石なら困ったとき売ればよかったのに」というほど気軽な話ではなかっただろう。

そして、こんなくだらないことを考えていると、結局また最初の話に戻ってしまう。

ローズは84年間、碧洋のハートを一度もお金に換えなかった。最後には子供や孫へ残すこともせず、海へ戻した。

結局のところ、ローズにとってあの宝石は「何億円の価値がある宝石」ではなかったのだろう。

だから84年間持っていたし、だから最後には捨てることもできた。

そう考えると、なんともよくできた宝石である。