「崖の上のポニョ(スタジオジブリ公式)」は2008年7月19日に公開された宮崎駿監督による劇場用アニメーション作品。キャッチコピーは「生まれてきてよかった。」であった。「もののけ姫」以降いわゆる「子供向け」という雰囲気の作品がなかった宮崎監督だったが、「崖の上のポニョ」は真っ向勝負で子供に向けた作品を作るのだという意気込みが伝わってくるものだった。
そういうこともあって、映画館から足が遠のいてしまったのだが、「宮崎作品を見るのは国民の義務」と思いなんとか見に行った。ただ、当時はあまり感想らしい感想を持つことが出来なかったことも憶えている。
さて、今回はそんな「崖の上のポニョ」のあらすじを振り返るとともに、考察と解説をまとめようと思う。ただ、あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください。
この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。
- 詳細なあらすじと人物相関図
本作のあらすじを要約すると「5歳の少年宗介は、海岸で発見した金魚を「ポニョ」と名付ける。ポニョは実は海の魔法の力を持った存在で、宗介との絆を深める中、人間になりたいと願う。冒険を通じて、彼女が人間になるためには、宗介の深い愛が必要だった。そんな二人が口づけを交わし物語は終わる。」となるが、より詳細なあらすじ、人物相関図、物語の解説を提供する。 - 様々な考察ポイント
「女の執念」、「母を呼び捨てにする宗介」、「グランマンマーレの真実」といった考察ポイントを解説し、より詳細な記事(本ブログ内)を紹介する。
「崖の上のポニョ」のあらすじ(ネタバレあり)
あらすじの要点と人物相関図
「崖の上のポニョ」のあらすじの要点を短くまとめると以下のようになる:
-
家出から始まる物語
海に住む好奇心旺盛な魚の子ポニョは、人間の世界に強い興味を持ち、家出を試みる。 -
ポニョと宗介の出会い
海辺の町に住む5歳の少年・宗介は、海岸で瓶に閉じ込められたポニョを見つけ助け出す。 -
ポニョ、人間への憧れを抱く
宗介との交流をきっかけに、ポニョはますます人間になりたいという願望を強める。 -
父フジモトの懸念と介入
ポニョの父で魔法使いのフジモトは、娘の人間への憧れを危険視し、ポニョを強引に海へと連れ戻す。 -
ポニョの変身と脱出
ポニョはフジモトの元から脱出し、強力な魔法の力によって人間の姿となって再び宗介のもとへ向かう。 -
海のバランスの崩壊
ポニョが人間になったことで自然界のバランスが崩れ、町は嵐と洪水に見舞われる。 -
宗介とポニョの絆の深まり
嵐の中、ポニョと宗介は互いを守り助け合いながら、さらに絆を深めていく。 -
母グランマンマーレの慈愛
ポニョの母で海の女神グランマンマーレは、娘の望みを理解し、宗介との真実の愛を試そうと決意する。 -
宗介の試練
宗介は、ポニョが人間になるための試練として、ポニョへの無条件の愛情を示さなければならない。 -
人間世界との調和と新たな未来
宗介が試練を見事に乗り越え、ポニョは正式に人間になることを許され、人間と海との調和が再び訪れる。
人物相関図
序盤:宗介とポニョの出会い、そして引き離される二人
「ひまわり園(保育園)」に通う5歳の少年宗介(そうすけ)は、ある日家の近くの海岸でガラス瓶の中に入った不可思議な存在を発見する。

ガラス瓶を割って入っているものを確認するがどうも反応がない。しかしつぎの瞬間、その存在は震えるように動き出し、水分を求めて瓶を割るときに宗介の親指についた傷から流れる血をひとなめした。
その「金魚」が生きていることに安心した宗介は、この存在をバケツに入れて保育園まで持っていくことにする。
母のリサが運転する車で「ひまわり園」に向かおうとするが、そこにまた怪しげな男が現れる。
足元に水をまきながらやってきたその男に露骨な警戒心を見せるリサは、逃げるように車を出すのだった。
あまりにも怪しいその男は実のところ、逃げ出した「金魚」を追って海底からやってきた「金魚の父親」であった。

父親が追ってきているとはつゆ知らず、宗介はポニョっとしたその金魚を「ポニョ」と名付けるのだった。
保育園についた宗介は、ポニョが見つからないようにバケツを草葉の陰に隠していたが、その存在が友達に見つかってしまい、隣接する「ひまわりのいえ」に避難する。
リサが勤務している「ひまわりのいえ」の老人と非常に仲の良かった宗介は、そこの老人にポニョを紹介したのだが、トキさんだけはポニョを「人面魚」と言い放って露骨な拒否反応を見せるのだった。

トキさんは「人面魚が陸に上がると津波が来る」といって憚らなかったが、周りの人はいつもの「いやみ」と考えていた。
そんなトキさんポニョが口からの水鉄砲をお見舞いしてしまう。その状況に焦った宗介はその場を逃げ出し再び海岸の岩場の影に隠れた。
しかしそこに現れたポニョの父親の魔法の力によって、ポニョは海底に連れ帰られてしまう。
繰り返し「守ってあげる」とポニョに伝えていた宗介は、ポニョを失ったことに強い落胆を覚えるのであった。
中盤①:「人間になりたい」ポニョの再来と大嵐
その夜は久々に船乗りの父親耕一が帰ってくる予定になっていたのだが・・・「帰れなくなった」というお決まりの連絡が船上の父親から来た。
腕によりをかけた料理の準備をしていた母のリサは悲しいやら腹立たしいやらと複雑な心境で気を落としてしまった。
宗介の方はそこまで気を落としておらず、これまたお決まりのパターンで、家の近くを通る父親にモールス信号を送るのだった。

父親からは「ごめん」、「リサ愛しているよ」という返答が来たが、リサは「BAKA」を連投しその復讐心を満足させた。
一方その頃海底では、地上で宗介から分け与えられた「ハム」の味を忘れられないでいるポニョ(本名ブリュンヒルデ)に、父フジモトが苦戦していた。ポニョはフジモトが与えようとする食事に一切興味を示さないばかりか、親からもらった「ブリュンヒルデ」という美しい名前よりも「ポニョ」と呼ばれたがっていた。
さらにポニョは「人間になりたい」と無邪気に語るのだった。
そしてその時、宗介のようになりたいと願ったポニョに突如として手足が生えてきた。宗介の血をなめたことによって父フジモトの遺伝子が覚醒したようだったが、フジモトはその状況をなんとか抑え込み、ポニョを一時的に眠らせるのだった。
しかし自分の力だけでは一時しのぎにしかならないと分かっていたフジモトは「あの人」の力を借りることを決める。
それでもなお、時間稼ぎはできると思っていたフジモトだったが、宗介に会いたいポニョの思いと、姉の手助けをしたいと願う小さな妹たちの思いが相まって、ポニョは再びの脱走に成功してしまう。
宗介を思い無邪気に疾走するポニョの姿は、大波そのものだった。

そして、ポニョの行動に呼応するかのように、突如として「超小型で猛烈な台風」が発生する。台風はただでさえ海沿いの街に住む宗介たちにとっては大惨事であるが、猛烈な台風が生み出した嵐の中の帰宅は、リサと宗介にとっては命がけのものであった。
しかしそんな台風も、ポニョの執念の追跡が終了とともに姿を消す。空には青空が戻ったが、海の荒れ模様は依然として続いていた。

宗介はポニョが、先日保護した金魚であることをすぐさま察したが、リサにとっては迷子の子であった。リサはポニョをひとまず自宅で保護することにした。
ふかふかのバスタオルに温かいハム入りラーメン。ポニョは宗介の家での僅かな時間に満足し、ウトウトと眠りについてしまった。
ポニョの眠りとともに波が収まったことを確認したリサは、「ひまわりのいえ」で待機を余儀なくしていた老人たちの様子を見に行くことを決める。宗介もついていこうとしたが、人々の目印になる高台の自宅とポニョを守るように伝えて、リサは職場に向かった。

静まり返った夜の海は、高台だったはずの宗介の家を島に変えるほどに上昇していた。
中盤②:海に沈んだ世界とリサを探す冒険
眠りについたポニョを発見したフジモトは、ようやく「あの人」と再会を果たす。
「あの人」とはポニョの母グランマンマーレであった。
フジモトは自らのミスによってポニョを脱走を許し、それが原因で世界の様相が変わってしまったことに深い責任を感じていた。何よりもポニョが人間の姿になっていることに衝撃を受け、なんとかして状況をもとに戻そうと考えていた。
そんなフジモトを後目に、グランマンマーレは「それならポニョを人間にしましょう」と衝撃的な提案をフジモトにするのだった。そうすればポニョの魔法の力が消えて世界の姿がもとにもどるというのだ。

翌朝、あたり一面が海に変わってしまった世界を目の当たりにした世界に驚く宗介だったが、リサが帰宅していないことに気がつく。
なんとかしてリサを探しに行きたい宗介だったが、そんな姿を見たポニョはそうすけのポンポン船を魔法の力で巨大化させ、それに乗ってリサを探しに行くことを提案する。
巨大化した船に乗って二人の冒険が始まる。

それまで地上だった場所が一面海になってしまうという極端な海面上昇に見舞われた世界だったが、宗介とポニョの旅は孤独なものではなかった。
町の人々も元気に船に乗り、一団をなして山の上のホテルに向かっていた。
その一団の中にリサはいなかったものの、「ひまわりのいえ」の人たちが前山公園に避難しているという情報得ることができた。宗介とポニョは急ぎ前山公園に向かった。

ようやくリサの車を発見した宗介だったが、その場にリサの姿はなかった。大声で名前を呼んでも答えないリサの安否を心配する宗介。
リサは無事なのだろうか。
終盤・結末(ネタバレ):グランマンマーレの試練と「好き」の誓い
「ひまわりのいえ」の人々は、職員を含め利用者もグランマンマーレによってはられたクラゲの水中ドームで保護されていた。それはポニョと宗介の重要な儀式の見届人となってもらうための措置ではあったが、そのドーム内は水で満たされているため、老人たちは一時の走る喜びに浸ることが出来ていた。

一方で、リサとグランマンマーレはなにやら深刻な話し合いをしていた。
リサや「ひまわりのいえ」の人達がそんなことになっていると知らない宗介とポニョは、互いに手を取り合ってその歩みを進めていた。
ただ、ポニョの様子がおかしかった。
もともと魔法の使いすぎのせいか眠そうにしていたポニョだったが、前山公園に向かうトンネルに入るとみるみるうちに魚の姿に戻ってしまった。
状況を飲み込めずにいる宗介のもとに、フジモトが怪しく近づく。結局彼に連れ去られるようにして水中ドームにたどり着いた宗介は、ようやくリサとの再会を果たした。
それと同時に宗介は、グランマンマーレとの対話を強いられることとなる。

グランマンマーレは、ポニョが人間になりたがっていること、それを叶えるにはポニョの本当の姿を知りながらそれでも良いといってくれる人が必要であることを宗介に伝えた。
宗介は迷わずポニョのすべてが好きだと返した。
条件が揃ったことを確認したグランマンマーレは、人間になれば魔法の力を失うことをポニョに伝え、彼女を泡で包んだ。
ポニョが人間になるための最後の条件は、その泡に宗介がキスをすることだった。さて、ポニョは人間になれたのでしょうか?

「崖の上のポニョ」の考察と解説
宗介はなぜ母を「リサ」と名前で呼ぶのか?
宗介が母を「リサ」と呼ぶのは、彼の自立心の象徴である。しっかり者の母リサとの関係の中で育まれた自立心により、彼は母を一人の人間として捉え、対等な視点を持つ。それゆえ、5歳にしてポニョを守るという大きな責任を担うことができたのである。両親が互いを名前で呼び合っていた(つまり仲が良い)家庭環境も影響していると考えられる。
「崖の上のポニョ」が始まってすぐ、我々に強烈な違和感を与えたのが、宗介が母親をリサと呼んでいる事実だろう。
意図しないとこういう設定にはならないと思われるので、何かしらの意図があってそうすけに母親を名前で呼ばせているのである。その理由はなんだろうか?
個人的に考えたことは上の「結論」のようになるが、詳しくは以下の記事で解説している。
グランマンマーレの正体(真実)とは?
グランマンマーレの正体は巨大なチョウチンアンコウである。チョウチンアンコウのオスがメスに吸収されるという生態が、夫フジモトがグランマンマーレに取り込まれ精神的に融合してしまう「男の悲哀」の象徴として描かれている。彼女は「海そのもの」であり、人間の常識や時間感覚を超越した存在なのである。
これは考察というよりは設定上の重要な事実なのだが、ポニョの母であるグランマンマーレの正体は上の「結論」にあるように「チョウチンアンコウ」である。それは「続・風の帰る場所(PR)」の中で宮崎駿監督自らの口から語られている。
この件については、以下の記事で詳しく解説している。
ポニョ(や他の宮崎作品ヒロイン)の「執念」の意味は?
ポニョに見られる「宗介が好き!」という純粋な思いは、宮崎作品のヒロインに通底する「執念」の一形態である。本作では、ポニョの母グランマンマーレ(正体はアンコウ)が夫フジモトを吸収・支配する姿を「男の悲哀」として描いている。これは『紅の豚』のジーナや『ハウルの動く城』のソフィーが男性を「捕獲」しようとする執念とも重なる。しかし、ポニョは最終的に人間となり、宗介を吸収しない未来を選ぶ。これは、ヒロインの強い意志(執念)が、支配ではなく人間的な愛へと昇華される可能性を示唆しているのである。
この作品を最大限に推進しているのは何と言ってもポニョの執念である。これまでの宮崎作品ではこんな露骨な執念は描かれなかったように思われるが、それでもなおなにやら通底するものを私は感じる。
そして、そのような執念の結果として、「紅の豚」「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」というラインには共通の「男の悲哀」というものがも同時に隠れているように思えてならない。それをまとめると上の「結論」のようになる。
「崖の上のポニョ」を始め、「紅の豚」、「ハウルの動く城」についても「女の執念」と「男の悲哀」という文脈で、以下の記事で詳しく解説している。
皆さんはどう思うだろうか?
「ポニョ」と「人魚姫」の関係は?(宮崎監督の意図)
「崖の上のポニョ」の物語を一言でまとめると「少年と少女の愛の物語」ということになると思うが、その一方で、この物語の背景に「人魚姫」があることも明らかである。
実際「ポニョはこうして生まれた」というドキュメンタリーの中で宮崎監督自身が「人魚姫」の物語に言及しており、その結末に不満があったと述べている。「崖の上のポニョ」の顛末は宮崎監督なりの「人魚姫」のやり直しであり批判ということになるだろう。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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