「となりのトトロ(スタジオジブリ公式)」は1988年4月16日に公開された宮崎駿監督による劇場用アニメーション作品。キャッチコピーは「このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。」であった。
大変に有名な作品であり、子供の頃から何度も見た人も多いだろう。今回はそんな「となりのトトロ」のあらすじ、考察と解説をまとめようと思う。ただ「あらすじ」といっても全部書いちゃうのでその点はお気をつけください。まだ見たことのない人は、途中まで読んで直ちに本編を見るべきである。
この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。
- 詳細なあらすじと人物相関図
本作のあらすじを要約すると「小学6年生のサツキと4歳のメイは、病気療養中の母を支えながら新居で暮らす中、不思議な存在トトロと出会う。妹の失踪や家族の不安を乗り越え、トトロやネコバスの助けを借りて家族の絆を深めていく。」となるが、より詳細なあらすじ、人物相関図、物語の解説を提供する。 - 様々な考察ポイント
「お母さんのついた嘘」、「サツキの涙の意味」、「農業用トラックの2人の存在理由」、「都市伝説の謎」といった考察ポイントを解説し、より詳細な記事(本ブログ内)を紹介する。
「となりのトトロ」のあらすじ(ネタバレあり)
あらすじの要点と人物相関図
「となりのトトロ」のあらすじの要点を短くまとめると以下のようになる:
-
新生活の始まり
草壁家は母の療養のため、父と共に自然豊かな農村へ引っ越し新たな生活を始める。 -
広がる自然の魅力
サツキとメイは、広い庭や森に囲まれた新居で、自然の中でのびのびと過ごす期待に胸を膨らませる。 -
不思議な影との遭遇
メイは家の周りや森で、普段とは違う不思議な生物の気配や影を感じ取り、好奇心をかき立てられる。 -
トトロとの初対面
森の中でメイは巨大な不思議な生物「トトロ」と出会い、その存在に魅了される。 -
家族の絆と不安
母の病気や父の多忙さの中、サツキは家族を支えながら、日常の不安と向き合う。 -
森の神秘と癒し
トトロは、サツキにとっても現実のつらさを忘れさせる興奮を与えてくれるものであり、心の安らぎを象徴する存在となる。 -
ネコバスの登場
トトロとともに現れる魔法の乗り物ネコバスが、子供たちにさらなる驚きと夢の世界を提供する。 -
一時の混乱と危機
物語の終盤でメイが行方不明になり、家族や地域の人々が必死に探す中、家族の絆が試される。 -
トトロの助けと救出
サツキはトトロに助けを求め、ネコバスの力で迷子のメイを見事に救出する。 -
再会と家族の再生
メイとサツキは再会を果たし、日常生活に回帰していく。
人物相関図
「となりのトトロ」を一言で述べれば「不思議な存在と少女の出会いの物語」であるが、トトロやネコバスのキャラクター性が強烈に子供の心に突き刺さる映画となっている。
「となりのトトロ」を見た人は全員「ネコバスに乗ってみたい!」と思っただろうし、大人になっても強い風の中にトトロを見出す人も多いだろう。そういった人間の感覚に訴えかけるアニメーション表現が実現されているところも「となりのトトロ」の凄さと言える。
不思議な家への引っ越しと「まっくろくろすけ」
物語の主人公は小学6年生サツキと4歳のメイの姉妹。2人が父親と引っ越しをするところから物語は始まる。近所の人達に挨拶をしながら、引っ越しの荷物でぎゅうぎゅうになったトラックで、3人は新居へ向かう。ただ、新居といっても新築ではなく、大分ぼろぼろであった。

父から二階へ続く階段を探し、二階の窓を開けてくるように言われる。2人は大喜びで階段を発見するが、階段の暗闇の中から何故かどんぐりが一粒落ちてきた。つい先程父から教わった妖怪「まっくろくろすけ」の存在に期待を寄せた2人は「まっくろくろすけ出ておいで、出ないと目玉をほじくるぞ~」と大きな声で歌った。

その後2人は意を決して一歩ずつ階段をのぼる。階段を登りきるとそこには薄暗い部屋が広がっていた。その暗闇の中になにかの存在を感じ取ったサツキはすぐさま窓を開けに走る。妹のメイはわずかに遅れたが、ススの塊のようなものが壁の隙間に逃げ込むのを見ていた。サツキは窓の外に見える父親が重いものを運ぶ途中に転びそうになっているのを見てすぐに父親のもとに向かうが、メイはじっと壁を見つめ、そうっと、壁の隙間に指を入れた。その瞬間スス状の物体が隙間から飛び出した。

メイはその中の「一匹」をなんとか捕獲し、サツキに見せようとするのだが、手の中にあるはずだった「まっくろくろすけ」は消え去りただ手が真っ黒になっているだけだった。引っ越しを手伝いに来てくれた管理人のおばあさんから、それは「ススワタリ」という存在であると聞かされる。ススワタリは新たな住人の出現を受け、引っ越しの算段をしているのかもしれない・・・。
メイとトトロの出会い:森の主との遭遇
サツキとメイのお母さんは病気療養中であった。引っ越しもある程度落ち着いたある日、久しぶりの面会に向かうために自転車の3人乗りで七国山病院(しちこくやまびょういん)に向かう。

病院につくと父は医師との面談に向かい、サツキとメイは母親の病室に向かう。久しぶりに会った母にサツキが髪をとかしてもらう。父親と家事を分担しているサツキは、久しぶりに子供に戻れたようである。

そんなに長い時間ではなかったが、久しぶりにお母さんに会えたサツキとメイはとても嬉しかった。それと同時にお母さんの退院が益々待ち遠しくなったのであった。
日頃サツキは学校に行っているので、その間メイは父親と家にいるか、引っ越しを手伝ってくれたおばあちゃんに面倒を見てもらっていた。その日は父が家にいたので、メイも自宅で過ごしていた。家に父がいると言っても、父は研究に忙しくメイとずっと遊んであげるわけにも行かなかった。それでもメイはなんとか父と遊ぶ方法を考え、父に「お花屋さん」になってもらうことにした。

それでもなお「一人遊び」である状況に変わりはなかった。そんな折、メイは再びどんぐりを発見する。そのどんぐりを追っていると、白いような、透明なような、不思議な存在に遭遇する。

メイは意気揚々とその存在を追いかける。一時はまかれてしまうのだが、メイは再びその存在を発見。さらに今度は何やら少々でかいのがくっついている。これは追いかけねばならぬと疾走するメイ。

我を忘れて「二匹」を追いかけていたが、メイは知らないうちに、大きな木の根元にたどり着く。例の二匹はどうやらその木の根と根の間に入っていったようだった。そこには意味ありげにどんぐりが一つ。メイがそのどんぐりを取ろうとすると、足を滑らせ木の根のそこに続く不思議な穴に落ちてしまう。

穴の向こうには不思議な空間が広がっていた。そこでメイは先程見たものとは比べ物にならないくらい巨大な存在を目にする。メイがその存在に名前を尋ねると何やら唸り声を上げる。メイはそれを受けてその存在の名前が「トトロ」であると思いこむ。そして、それまで小さなトトロと大立ち回りを演じていたメイは、知らないうちに眠ってしまう。

目が覚めるとそこにはトトロはいなかった。お父さんとサツキに自分がトトロに出会ったことを告げるのだが、2人には信じてもらえなかった。それでもなおお父さんから、メイはきっと森の主に会ったのだという説明を受け、みんなで森の主に挨拶をするために「塚森」の神社に向かった。するとそこには先程見た大木がそそり立っていた。メイはサツキを先程の穴に連れて行こうとするが、そこには穴はなかった。メイは夢を見たのだろうか?
雨のバス停:サツキとトトロ、そしてネコバスの登場
それからしばらくし、2人は職場から帰ってくる父を近くのバス停に迎えに行っていた。雨が降りそうだったので傘を届けに行ったのだ。しかしいつまで経ってもお父さんは帰ってこない。雨の音ばかりが響く暗い夜道で、2人は寂しく父を待つこととなってしまった。
しばらくするとメイが眠くなってしまう。先に帰そうとするがどうしても待つというので仕方がなくサツキはメイをおんぶする。しばらくするとメイは眠ってしまうのだが、たった一人で父を待つサツキのもとに、何やら怪しい影が近づく。サツキが恐る恐るその存在に目を向けてみると、そこにはメイが先日遭遇した「トトロ」が立っていた。

少々驚きながらも、頭に葉っぱを乗せているだけで濡れっぱなしのトトロにサツキは傘を貸した。傘に水滴が落ちる音が気に入って上機嫌になったトトロは突然大声を上げる。すると向こうからバスらしきものがやってくるのだが、どうも様子がおかしい。その存在がバス停にたどり着くと、なんとネコの姿をしたバスであった。

トトロは当たり前のようにその奇妙なバスに乗り込むが、楽しい時間を過ごさせてくれたお礼のように、木の実が入った包みをくれた。
そしてネコ型のバスはさる。知らぬ間に雨もやんでいた。そんな折、父を乗せたバスがようやくバス停に到着した。サツキとメイは再びトトロに会えた興奮を父に伝えるが、お父さんにはなんのことか分からない。それでも3人で楽しく帰路についた。
サツキとメイはトトロからもらった木の実を庭に植えることにした。メイは毎日のように芽が生えないかと楽しみに待っていたが、中々芽は出なかった。そんなある夜、布団に入ったサツキとメイは、木の実を植えた付近にトトロたちの姿を発見する。彼らはなにかの儀式をしているようだった。サツキとメイは飛び出し、その不思議な儀式に参加する、するとどうでしょう。木の実を植えた場所から次から次へと芽が出て、それがどんどん育っていく。

いつの間にかすべてが一つになり大木となっていた。そんなことが起こっているのに、自分の研究に忙しいお父さんは全く気がついていなかった。その後もトトロ達と不思議な時間を過ごしたサツキとメイ。気づくと次の日の朝になっていた。しかし、昨晩できたはずの庭の大木はなくなっていた。それでも木の実を植えた場所を見ると、小さな芽が出ていた。あの夜のことは本当にあったことなのだろうか?
結末(ネタバレ):メイの失踪とトトロの助け
そんな不思議な経験を色々としていたサツキとメイのもとに七国山病院から電報が届く。文面は「レンラクコウ」。お母さんに何かあったに違いないと思ったサツキは、職場の父に連絡を取るべく電話を借りに行く。

病院へ連絡した父からの折り返しによると、母の一時帰宅が少し伸びるということだった。その事実を知ったメイはショックを受け大泣きしてしまう。いつものサツキならメイをなだめたかもしれないが、サツキにも余裕が無かった。それでも冷静でいようとしたサツキだったが、同じことが何度も繰り返されてきたことを管理人のおばあちゃんに話しているうちに、今度こそお母さんがしんでしまうかもしれないという思いに駆られ、ついに泣いてしまう。これまでに積もりに積もったものが、ここで爆発してしまったのだ。
メイもサツキのそんな姿を見ていた。そしてメイは単身お母さんに会いに行くことを決める。自分がとったトウモロコシをお母さんに食べさせて、元気になってもらおうと考えたのだ。

しかし案の定メイは迷子になってしまう。近隣住民総出でメイを探すが、中々見つからない。そんな折、池でメイのものと思われるサンダルが発見される。サツキは全速力で走りその現場に向かう。幸いにもそのサンダルはメイのものではなかったが、サツキはメイが危険な状態にあることを痛感し、トトロに望みをかけることにする。
そんなサツキの思いが通じたのか、サツキはトトロのすみかにたどり着く。メイを探してほしいと懇願するサツキの姿に何かを感じ取ったトトロは、サツキを大木の上まで連れていき、ネコバスを呼ぶ。

やってきたネコバスの行き先表示が次々と変わり、最後には「メイ」となった。どうやらネコバスがメイのところまで連れて行ってくれるらしい。ネコバスは田んぼの上やら、森の中、そして電線の上を疾走する。
一人さびしくお地蔵様の近くにうずくまるメイの耳にサツキの声が響く。ネコバスは本当にサツキをメイのもとに連れてきてくれたのだ。
サービス精神旺盛なネコバスは、2人を七国山病院まで連れて行ってくれた。2人はお母さんにばれないようにトウモロコシを母に届け、家路につくのである。

以上が「となりのトトロ」のあらすじである。本来はこの後にエンドロールが続く。エンドロールの静止画もその後の物語を描いているため、ぜひとも注意深く見てほしい。
「となりのトトロ」の考察と解説
お母さんがサツキについた「嘘」とは何か?
お母さんがサツキについた「嘘」とは、病院でサツキの髪をとかしながら言った「あなたは母さん似だから」という言葉である。作画を見るとサツキは明らかに父親似であり、これは事実に反する。この嘘には二重の意味が考察される。一つは、家事や妹の世話を頑張るサツキが最も欲していた「母からの肯定」を与えるための「美しい嘘」である。もう一つは、病室の他患者の手前、娘のボサボサの髪を「手入れ不足」ではなく「もともとのくせ毛」だと言い訳するための「世間体」からくる嘘の可能性である。
「となりのトトロ」で印象的なシーンの一つが病院でお母さんがサツキの髪をとかすシーンだと思われる。あの瞬間だけサツキは子供に戻れたような楽しげな雰囲気で、作品中唯一ほっこりするシーンかもしれない。

しかしこのシーンには昔から何やら怪しげなものを感じていた。それは何かお母さんは嘘を着いているように思えたからであり、その嘘とは上の「結論」でまとめたものである。少々突飛に感じる人もいるかも知れないが、詳しい解説を以下の記事で行っている。
皆さんはあの名シーンをどのように感じただろうか。
サツキが終盤で大泣きした本当の理由とは?
サツキが泣いたのは、母の退院中止の知らせがきっかけである。これは「母が死んでしまうかもしれない」という恐怖があったことも確かだが、「家事や育児を担う辛い日々が永遠に続くかもしれない」という絶望が、ついに限界を超えた瞬間であったと見ることも出来る。それまで完璧な姉という「キャラクター」を演じていたサツキが、この涙によって初めて弱さを見せ、「一人の人間」としての感情を解放したのである。
お母さんの一時帰宅の延期を知った後、サツキが大泣きするシーンは子供心に来るものがあった。その直前にメイも大泣きしているのだが、私が次男だったせいか「姉ちゃんに迷惑かけるなよ」と小さい頃には考えていた。いい歳になれば「そりゃ泣くよな」と思うのだが。大事なことは、2つの大泣きの意味合いは大きく異なっており、サツキの涙には上の結論で述べたような複雑な感情が込められていたと考えられる。
以下の記事で、宮崎監督と鈴木プロデューサーの言葉を引用しながら、詳しい解説を行っている。
メイの大泣き気についても最後にわずかに書いているので、自分の考えと比較してみてください。
農業用トラックの男女が登場する意図は?
メイを探すサツキの前に農業用トラックに乗ったカップルが登場する。物語の進行上、彼らである必要はなく、その意図は「カンタとの対比」である。サツキはこの直後、大人の自転車を必死に漕ぐカンタの姿を目にする。この有能そうなカップルとカンタの「無慈悲な対比」は、カンタのサツキへの未熟な恋心が結実せず、エンドロールで描かれる通り「友達」で終わるという悲しい運命を暗示している。
「となりのトトロ」は子供の頃から随分と見たと思うのだが、ずっとなにか心に引っかかるシーンがあった。
それは2度めの失踪をしたメイを探すサツキが出会った農業用トラックに乗った男女が登場するシーンである。
なぜあそこで登場するのがあの2人だったのか。別に男一人でも良かったような気もするし、女性ひとりでも良かった。しかし結果的に描かれたのは農業用トラックに乗った2人の男女だった。
この描写に関する、個人的な答えは上の「結論」となっている。これについてはもちろん異論があると思われるのだが、私がこの結論に至った理由の詳しい解説を以下の記事で行っている。
こじつけ感はあるかもしれないが、せっかく考えたことなので記事にしたという感じ。
トトロの「都市伝説(怖い話)」はなぜ生まれたのか?
『となりのトトロ』でサツキやメイが死んでいるとされる都市伝説。これが生まれた理由は、作品が「子供」という存在をリアルに描きすぎているからである。子供は本質的に危険を好み、「死」と隣り合わせの存在であるため、子供を上手く描けば描くほど、視聴者は無意識に「死の匂い」を感じ取ってしまう。特に草壁家は母親の入院と父親の多忙で子供が放置されがちな危うい状況にあり、作中でのメイの失踪といった描写がその「死の匂い」を増幅させた。この作品に漂う「死の危うさ」こそが、都市伝説の源泉なのである。
「となりのトトロ」には有名な都市伝説がある。簡単にまとめると以下の通りになる:
- 池で発見されたサンダルは本当はメイのもので、実はメイは死んでいる。
- そのことを悟ったサツキはトトロという死神に頼んでメイに会うために冥界に行く(メイという名前は冥界の暗喩)。つまりサツキも死んでいる。
- ラストでお母さんにメイとサツキが見えないのは2人が死んでるから。
- というよりも、全ては娘を失った悲しみに暮れたお父さんの妄想である。その証拠に物語中にメイとサツキに影がないシーンがある。つまり2人はすでに死んでいる。
- そもそも、この物語は狭山事件という凄惨な事件をもとに作られたものなので、少なくともメイが死んでいるのは当たり前。
ここで問題にしたいのは、この都市伝説が正しいかどうかではない。この都市伝説が何故生まれたかということである。個人的に考えたその理由は上の「結論」である。異論はあるとは思うが、以下の記事で詳しい解説を行っている。
これについても、皆さんの考えと比較してみてほしい。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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