「コクリコ坂から(スタジオジブリ公式)」は2011年7月16日に公開された宮崎吾朗監督による劇場用アニメーション作品。キャッチコピーは「上を向いて歩こう。」であった。脚本を父親である宮崎駿監督が務めており、初の「宮崎親子合作作品」となっている。
公開当時、特に期待もせずぼんやりと観に行った記憶があるが、映画館を出る頃には「いいもんを見たな」という気持ちになっていたことをよく覚えている。
今回はそんな「コクリコ坂から」のあらすじと見どころポイントについて書こうと思う。ただ、あらすじと言っても全部話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください。
この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。
- 詳細なあらすじと人物相関図
本作のあらすじを要約すると「高校生の海と俊は出会いを経て惹かれ合うが、俊が海の兄かもしれないと知り苦悩する。真実を知る人物との再会で俊の実父が判明し、誤解が解けた2人は再び希望を抱く。」となるが、より詳細なあらすじ、人物相関図、物語の解説を提供する。 - 制作ドキュメンタリー「ふたり」
「コクリコ坂から」の制作ドキュメンタリー「ふたり」では宮崎吾朗と宮崎駿の父子の緊張関係や葛藤が丁寧に描かれ、「コクリコ坂から」の制作背景と作品のメッセージがリンクしていることがよくわかる。 - 旗の描写等に象徴される「過去との向き合い」
過去に囚われながらも、現在と未来に希望を見出していく海の姿は、観る者に静かな感動を与える。伏線を“未回収”に見せかける演出が巧妙である。 - 舞台を神奈川にした背景にある徳間康快への思い
徳丸理事長のモデルが徳間康快であることから、映画は彼への鎮魂歌としての意味合いを持ち、舞台設定やキャラクターの造形にも深い意図が読み取れる。
「コクリコ坂から」のあらすじ(ネタバレあり)
簡単なポイントまとめと人物相関図
「コクリコ坂から」のあらすじのポイントを短くまとめると以下のようになる:
-
主人公・松崎海
物語の主人公は松崎海(まつざき うみ)。高校2年生で下宿屋「コクリコ荘」を切り盛りしている。 -
父の死と母の留学
海は父をすでに亡くしており、母はアメリカに留学している。 -
カルチェラタンの解体反対運動
高校では文化棟「カルチェラタン」の解体反対運動が起こっており、その中で海は風間俊(かざま しゅん)という男子生徒と出会う。 -
俊の秘密
俊は現在の両親と血がつながっておらず、親からは軍隊時代からの仲間であった澤村という人物の子供であると聞かされていた。 -
過酷な事実
しかし澤村は海の実の父であり、すでに惹かれ合っていた海と俊は過酷な事実を突きつけられることとなる。 -
本当の実父と物語の結末
一時はその思いにふたをすることを決めた2人だったが、澤村の軍隊時代の盟友であった小野寺なる人物から、俊が実は立花という人物の子供であることが告げられ、物語は終わる。
人物相関図
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旗を揚げる少女・海と「カルチェラタン」の少年・俊の出会い
1963年(昭和38年)の横浜。下宿屋「コクリコ荘」を切り盛りする高校2年生の松崎海(まつざきうみ)。彼女は「コクリコ荘」に下宿していた。その朝も海はてきぱきと朝食の準備を始めていた。個性豊かなコクリコ荘の住人との朝食を終えると、今日も笑顔で海は学校に向かうのだった。
一方その頃、運命の若者が船に乗って登校していた。

海の通う港南学園高等学校はいつもと変わらない日常の中にいたのだが、昼休みに事件が起こった。一人の男子学生が「カルチェラタン解体」の反対運動と称して、校舎の屋根から小さな貯水槽にダイビングを試みた。
その様子を近くで目撃した海は、無事に着水した男子学生のもとに歩み寄る。

男子生徒は事なきを得たが、海がその男子生徒に手を貸す姿は何やら「カルチェラタン闘争」の象徴のようだった。
「カルチェラタン」とは様々な部室が集まる建物であるが、その老朽化が進み、学校側はその取り壊しを画策していた。カルチェラタンに部室を持つ生徒たちは、それに反対していたのだった。
放課後、海は妹と共にそんな「カルチェラタン」を訪れる。昼食時の事件に痛く感動した海の妹が、件の男子生徒に「サイン」を貰いに来たのだった。勇猛果敢な行動を示した男子生徒は新聞部だった。
彼の名前は風間俊(かざましゅん)。ちょうど次号のガリ版(ロウ原紙)を作っているところだったが、昼間の一件で怪我をしていた俊は少々手こずっていた。
妹は俊からサインを貰うと同じ新聞部の水沼史郎(みずぬましろう)に連れられてカルチェラタンを案内されたが、海は俊の手伝いをすることにした。

飲み込みの早い海はその仕事をそつなくこなし、作業を終えて家路についた。
コクリコ荘に戻った海はさっそく夕食の準備を始めたが、材料が足りないことに気がつく。急いで買い出しに出た海の前に帰宅途中の俊が偶然にも現れた。帰宅の方向が同じということで、俊は海を乗せてくれることになった。
買い出しを終えた海は、俊が買ったコロッケを分けてもらった。船に乗って帰る俊にとっては、その若い空腹を紛らわしてくれる大事なコロッケだった。

大変ながらも変わらない日々を過ごしていた海と俊にとって、その日はなにやら特別な一日となったようだった。
惹かれ合う2人を引き裂く残酷な運命:「私たちは兄妹?」
女所帯のコクリコ荘で「男共」をよぶ食事会が計画される。新聞部の面々もそこに呼ばれていたが、その会は「カルチェラタン」を含む理事会に対する反抗会でもあった。俊と水沼にとっては、カルチェラタン存続のためになにをすべきかを知る重要な会でもあった。
盛況な会の最中、海は俊に今はなき父親の写真を見せた。それは海軍時代の友人3人と撮った写真だった。海はその写真が一番好きだと俊に見せたのだが、海の父の名「澤村雄一郎(さわむらゆういちろう)」に俊は衝撃を受ける。
会が終わり、帰宅した俊は海が持っていたものと同じ写真を眺めていた。その写真には俊の父「風間明雄(かざまあきお)」も写っていた。澤村雄一郎と俊の父は親友であったのだ。
しかし、風間明雄は俊の血縁上の父ではなかった。俊はある夜、澤村雄一郎が明雄の家に連れてきた乳飲み子だった。子宝に恵まれなかった風間の妻は、一も二もなくその子を抱き抱え、我が子として育てることを心に決めたのだった。
俊の両親はその事実を隠しておらず、本当の父は澤村雄一郎であるという事実を俊も知っていた。心を惹かれ始めた一人の女性が、実は自分の兄妹であったという事実を、俊は一人受け止めるのだった
翌日からカルチェラタン解体阻止の狼煙が上がる。手始めとしてカルチェラタンの「大掃除」が始まる。カルチェラタン解体阻止のために生徒が取れる方策は2つ。老朽化しながらもそこは美しく文化をつないでいる場所であることを証明すること。そしてそれを理事長にアピールすること。
まずはカルチェラタンの大掃除である。海もそれに参加したが、どうも俊は自分を避けていた。
海自身も俊に心を惹かれており、そんな俊の態度には納得がいかなかった。それはもしかしたら「好意」の裏表だったかもしれなかったのだが、不満を伝える海に、俊は海に事実を伝えてしまう。

その刹那、お互いの思いは結実してはならないものであることを知ってしまった海は困惑する。それと同時に、その現実を前にどうしようもすることの出来ない2人は「これまで通り」の関係を続けるしかなかった。とても仲の良い友人として。
全ての謎が明らかに:母の告白と真実を知る第三者
カルチェラタンの大掃除が佳境を迎えるなか、海と俊そして水沼の3人で理事長にカルチェラタン存続の直談判に向かっていた。3人はアポなど取っていなかったが、根気よく待った3人に理事長が僅かな時間を割いてくれた。

3人の説得の末、理事長は大掃除を終えたカルチェラタンの現状を視察することを約束してくれた。海たちの想像とは違い、理事長は非常に気の良い人物であった。
帰り道、何やら気を利かせた水沼は、海と俊とは別の道で帰っていった。
2人での帰り道、海と俊は将来の事などいろんな話をした。その時間はとても大事な時間だったが、別れの時間が訪れる。
俊からお互い血がつながっているという事実を知らされた海だったが「それでも俊のことが好き」とその思いを告げる。その言葉に「俺も海が好きだ」と俊は応え、2人は別れた。

海が帰宅すると、そこには見覚えのある靴があった。留学先のアメリカから母が一時的に帰ってきていたのだ。家族ともどもその帰宅を喜んだが、海は母に聞かなくてはならないことがあった。
海は消化しきれない胸の内を矢継ぎ早に母に告げた。
そんな海に母は優しく昔の話を始めた。海がまだお腹の中にいたころ、海の父である澤村雄一郎は突然赤子を抱えて帰って来た。その子は雄一郎の盟友「立花洋(たちばなひろし)」の子供だった。立花は子供を残し海難事故で亡くなり、俊の母も出産と同時になくなってしまっていた。原爆の被害を受けた親族を頼ることもできない俊、を雄一郎は引取り、自分の子供として出生届を出したのだった(いい男!)。
その話を聞いてもなお、海の中には「血の繋がり」という疑念が残った。そんな海は「その少年が父の子供だったら?」と母に尋ねてしまう。
そんな海には母「会ってみたいわ、あの写真に似てる?」と応えた(お見事!)。その言葉に海は涙を流す。自分のいない間に海の身に起こったことを悟った母は、海をそっと抱きしめた。海も母の胸の中で、ようやく泣くことが出来た。

翌日、何やらスッキリした様子で登校した海には重要な事案が存在していた。理事長がカルチェラタンを訪問するのである。
総力戦での掃除を成し遂げたカルチェラタンは、古いながらも美しい姿を取り戻しており、理事長を説得するには充分な説得力があった。

徳丸理事長は、カルチェラタンの住人たる生徒と話をしながら生まれ変わったその建物を視察していた。そんな折、俊に電話が入った。
電話の相手は俊の父。海の様子を見た母が、俊の父に連絡をとり、ことの真相について尋ねていた。俊の父も2人の間に起こっていることの重大さを知り、海と俊がもっていた写真に写るもうひとりの人物「小野寺」が港に来ていることを俊に連絡したのだった。彼なら事の真相をしっているかもしれない。しかし小野寺が船長を務める船の出港が迫っていた。
そんなとき、徳丸理事長はカルチェラタンの状況を鑑み、その存続を約束してくれた。それはもしかしたら海たち3人と会ったときに決めていたのかもしれない。
その刹那、俊が海をカルチェラタンから連れ出す。
突然のことに騒然となるカルチェラタンだが、水沼が「2人に人生上の重大事が発生しました」と告げると「エスケープか!」と理事長は笑ってその青春の息吹を肯定してくれた(あっぱれ!)。
海と俊は懸命に港に向かう。
すんでの所で2人は「小野寺」なる人物に会うことに成功する。そして、俊が本当に「立花」の息子であることが告げられる。
小野寺は、もし自分が澤村と同じ立場なら同じことをしたであろうと述べ、2人の子供に会えたことを涙ぐみながら喜んだ。
事の真相を知った2人には新たな未来が待っている。大きな混乱の最中、それでもなお繋がれた命はどんな日々を過ごすだろうか。幸多からんことを祈るばかりである。

▼ 主要な名台詞・英語表現のまとめはこちら
以上が「コクリコ坂から」のあらすじである。いや~、どうもこの作品を見るときには酒を飲んでることが多くて、最後は泣いてしまうのだが、皆さんはどうなのだろうか?くだらないと思う人もいるだろうが、私はこの作品が好きである。
「コクリコ坂から」の考察と解説
海と俊はなぜ兄妹だと思ったのか?(物語の核心)
海と俊が兄妹だと思ったのは、俊が自身の出生について誤解していたためである。俊は養父・風間明雄から、実父は戦友の「澤村雄一郎」だと聞かされていた。しかし、澤村雄一郎は海の亡き父であったため、惹かれ合う二人は兄妹かもしれないという残酷な運命に直面する。物語の核心は、この誤解が解ける過程にある。帰国した海の母と、父の最後の戦友・小野寺によって、俊の実父は海難事故で亡くなった「立花洋」であることが明かされ、二人の苦悩は解消されるのである。
この「兄妹かもしれない」という葛藤は、『コクリコ坂から』の物語を貫く中心的な主題である。単なる恋愛の障壁としてではなく、戦争という過酷な時代を生きた親世代の友情、喪失、そして託された命の重みが、若い二人の運命を翻弄する形で描かれている。
俊の養父・風間明雄が真実の一部しか伝えなかったこと、海の父・澤村雄一郎が出生届を自身の子として提出したこと。それらは全て、戦後の混乱の中で子供を守ろうとした大人たちの善意に基づく行動であった。しかし、その善意が生んだ「誤解」が、時を経て海と俊に重くのしかかってしまう。
二人がこの事実に苦悩し、それでも互いを想い続け、最終的に真実を知るに至る過程は、彼らが自身のルーツ(過去)と向き合い、未来へと歩み出すための重要な通過儀礼であったと言えるのではないだろうか。
なぜカルチェラタンを掃除・保存しようとしたのか?
カルチェラタンを掃除・保存しようとしたのは、単に古い建物を守るためだけではない。あの建物はスタジオジブリ、あるいは宮崎駿自身のメタファーでもある。老朽化し解体の危機にあるカルチェラタンを守ろうとする生徒たちの姿は、ジブリという存在が世の中から忘れ去られることへの危機感と、それでもなお「命(=文化や精神)」を次世代へ繋ごうとする意志の表れとして描かれている。それは父から子へのバトンタッチという制作背景とも重なっているのである。
「コクリコ坂から」の本編中、我々の心を掴んで離さないのが「カルチェラタン」であろう。あんなところで部活(サークル)活動が出来たらどれほど素晴らしい青春であっただろうか。
作品中では建て替えを阻止するためにみんなで一生懸命掃除をしたのだが、あれは一体どういうことだったのだろうか?個人的な考察は上の「結論」のようになる。少々突飛に感じるかもしれないが、以下の記事で詳しい解説を行なっている。
海が旗を揚げ続ける意味は?(伏線回収しない演出)
「コクリコ坂から」という物語にはいくつか感動ポイントが存在していると思うが、そのひとつが物語のラストで旗を揚げる海の姿があるだろう。
海にとって「旗を揚げる」とはこの世を去った父を思うことであり、ある意味で過去に引きずられた行為である。そんな海の姿をみた祖母は
「素敵な人ができて、あなたが旗を上げなくてすむようになったらいいのにねえ。」
という言葉をかけていた。この台詞を聞いた我々が通常思うことは「はいはい、海にいい人ができて旗を挙げなくなるのね。」だろう。しかし、海は結局旗を揚げることをやめなかったし、わざわざそのシーンで「コクリコ坂から」は締めくくられている。
ここで大事なことは、たしかに海の表面的な行動は変わっていないがその内面の真実に変化があるという点である。
つまり、物語のスタート時点での海は父、つまり過去に引きずられる事によって旗を揚げているが、物語のラストではその旗は俊という今この瞬間のためにも挙げられている。
結果的に祖母の言葉は回収されずに終わるわけだが、今を生きる海の姿に我々は心打たれるのである。
なぜ舞台は神奈川(横浜)なのか?(徳間康快との関係)
映画「コクリコ坂から」の舞台は神奈川(横浜)である。原作はその舞台をぼやかした状態にあったが脚本を書いた宮崎駿は明確にその舞台を神奈川に確定している。
これは一体何故なのか?
もちろん様々な理由が考えられると思われるが、一つの理由は徳間康快(とくまやすよし)の存在であると思われる。
徳間康快は徳間書店初代社長であり、スタジオジブリ設立に大きく関わる人物である。その人物が2000年に亡くなっている。
徳間康快という人物はなかなかの辣腕であり、様々な逸話を残す人物であるが、1980年代に母校の逗子開成中学校・高等学校の理事長に就任している。「コクリコ坂から」に登場する理事長徳丸は、どう考えても徳間康快をイメージしたものだろう。以下のツイートにあるように実際にモデルとなっている。
#徳丸財団 の実業家・ #徳丸理事長 にはモデルがいます。それが、#徳間書店 を創業し、#スタジオジブリ の初代社長でもあった #徳間康快 さん。声を担当した #香川照之🗣さんは徳間社長の追悼映像🎞を見て徳丸理事長のしゃべり方を研究したそうです🧐#金曜ロードSHOW#コクリコ坂から pic.twitter.com/l5XDJb7eN8
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) August 21, 2020
海、俊、水沼が目にした徳丸理事長の姿は、宮崎駿が見た徳間康快そのものだったのかもしれない(監督は宮崎吾朗だが、シナリオを担当したのは宮崎駿である)。そして、「コクリコ坂から」はそんな徳間康快への「鎮魂歌」であったのかもしれない。そんなことも、舞台を神奈川にした理由だったのだろうと個人的には思っている(逗子ではないのは「露骨さ」を回避するためだろう)。
その真実はどうであれ、なんというか、徳丸理事長みたいな「大人」になりたいよね。
なぜ制作ドキュメンタリー「ふたり」が重要なのか?
制作ドキュメンタリー「ふたり」は、「コクリコ坂から」を理解する上で極めて重要である。それは、本作が単なるアニメ映画ではなく、宮崎駿・吾朗という父子の葛藤と継承の物語という側面を持っているからである。ドキュメンタリーは、偉大な父を持つ息子の苦悩、二人の複雑な距離感(背中で会話する父子)、そして鈴木敏夫プロデューサーによる父・駿からの「逃亡」計画や演出介入(布団問題)といった生々しい制作裏を映し出す。これにより、映画本編のテーマである「バトンタッチ」が、作り手自身の現実と深く共鳴していることが理解できる。
「コクリコ坂から」にはNHKによる制作ドキュメンタリーが存在している。それは「ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争(PR)」という「宮崎吾朗と宮崎駿の対立」を軸に描かれたものなのだが、これがめちゃくちゃ面白い。
ドキュメンタリー冒頭から「絵コンテを絶対に父に見せない宮崎吾朗」と「どうしても作品の進行が気になってしょうがない宮崎駿」の姿が描かれ、その絶妙な距離感にはらはらするやらニヤけるやらで、前編が見どころになっている。
ただ、このドキュメンタリーの素晴らしさは、見終わったあとに少しだけ宮崎吾朗監督のことが好きになるという点である。懸命に絵コンテを完成さえようとする宮崎吾朗監督の姿と、それでもなお何かを伝えようとする宮崎駿監督の姿は「コクリコ坂から」で描かれたものにとても親しいものに感じる。
このドキュメンタリーの内容を踏まえた映画本編の考察は上の「結論」のようになっているが、以下の記事でより詳しい解説を行なっている。
本編は本編としてとても好きなのだが、ぜひ一度ドキュメンタリーを見ることをおすすめする。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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