「エヴァンゲリオン新劇場版Q(エヴァQ)」は2012年に公開された庵野秀明総監督による劇場用アニメーション作品である。
公開初日に見に行って、満員の映画館の最前列で見たことを今でも良く覚えているが、本編の序盤、浦島太郎状態のシンジくんをなんの説明もなしに監禁し、彼の言葉に全く耳を傾けないヴィレの面々を見たときには「お前らは碇ゲンドウか!」とツッコミを入れたくなったものである。
今回はそんな「エヴァQ」の中でも特に印象的だった「ガラス越しにシンジを殴ったシーン」におけるアスカの心情を考えながら、最終的には「シン・エヴァンゲリオン」のラストでのアスカとシンジの会話シーンが意味するものを探っていこうと思う。
もちろん「エヴァQ」でのアスカの心情は表面上明らかで「まだそんなガキみたいなこと言ってんのか!状況見りゃ分かるだろ!こちとら14年も戦ってんだ!お前も早くおとなになれ、バカ!」くらいのものだろうか。14年も戦ってきて、無垢の少年のような浦島太郎に会えばイラつくのも分からなくはない。
ただ、今回は「シン・エヴァ」を振り返って見ることによって、あのシーンのアスカの心情をもう少しだけ噛み締めて、その上で「シン・エヴァンゲリオン」のラストの意味を探ろうと思う。
そのための補助線として映画「もののけ姫」を利用する。「もののけ姫」にモロと乙事主という「山の神」が登場するのだが、その二人の関係に関する美輪明宏と宮崎駿の会話を補助線とすると、アスカの心情がクリアになってくるように思われる。まずはその辺から(「もののけ姫」を知らない人は次の節は飛ばして読んでしまうのが良いかもしれない)。
「もののけ姫」のモロと乙事主
「もののけ姫」の本編を見ているだけだと、モロと乙事主の関係は「かつての盟友」程度のものに思われるのだが、実際にはそんなものではない。
これは「もののけ姫」の制作ドキュメントリー「『もののけ姫』はこうして生まれた。(PR)」のアフレコシーンを見ると分かる。
モロの声優を担当したのは美輪明宏さんで、ポイントとなるシーンはモロと乙事主が久方ぶりにシシ神の森で再会を果たすシーンである。
そこでモロ(美輪明宏)は、人間に総力戦で対抗しようとする乙事主に「気に入らぬ、一度に蹴りおつけ用などと、人間の思うツボだ」と伝えるのだが、宮崎監督としてどうもニュアンスが違うと思ったようで、「実はモロと乙事主は昔『良い仲』であり、100年前に分かれた」というバックグラウンドあるのだということを音響監督から三輪さんに伝えてもらおうとする。音響監督は困り果てていたが、次のような会話が行われた:
つまり、「人間の思うツボ」になろうとしている眼の前のイノシシを単に「馬鹿なやつ」と嘲笑しているのではなく、「放っておけない」という心情が働いているのである。なにせ昔良い仲だったわけだから、どうしても「あんたまだ馬鹿治ってないのね」と言いたくなってしまうのである。
赤の他人なら無視してすませば良い。
さらに、乙事主がタタリ神なった後に再会するシーンのアフレコの前に、宮崎監督と三輪さんが次のような会話をする;
この「会いたくない」という思いには、「あの頃」の美しい思い出と「今」に対する期待が込められていることになる。そしてモロは「そうであってくれない乙事主」に苛立っているのである。
さて、以上のことを補助線に、アスカの心情を探っていこう。
「エヴァQ」でアスカがシンジをガラス越しに殴った理由と心情
ここからは、モロと乙事主を補助線としてアスカの心情に迫るのだが、そのためには「アスカがかつてシンジに思いを寄せていた」ということが前提となってしまう。まあ、「シン・エヴァ」以前の様子を見るに問題ないとは思うが、とりあえずシン・エヴァでの様子も振り返ってみよう。
シン・エヴァンゲリオンにおけるアスカ
シン・エヴァンゲリオンにおいてもアスカはず~~~~~っとイライラしていた。
実質的には28歳後半の大人となっているはずだが、とにかくず~~~~~~っとイライラしっぱなしだった。
もちろんその原因はダメダメになってしまっているシンジ(旧劇思い出したよね)なのだが、それにしてもイライラしすぎに見える。
しかも、それでもなお、にも関わらず、アスカはシンジを決して見捨てることはしない。「エヴァQ」のラストでも、結局抜け殻のシンジを見捨てることができずに第三村に連れ帰っている。
それは別に今でもシンジのことが好きだからではない。アスカの中にどうしても終わることのない何かがくすぶり続けているからであって、それはつまり「あの頃シンジのことが好きだった」という思いに縛られているのである。
結局その思いが、「ガラス越しにシンジを殴る」というアスカ以外誰もしなかった行動につながったのだろう。
アスカがガラス越しにシンジを殴った理由
ここまで来るとほとんど明らかだと思うが、あの瞬間のアスカの心情を言葉にすると
私はあなたのいない世界で14年も戦ってきた。それこそダダならぬ状況下で賢明に生きてきた。もはや子供の頃とは水準の違うレベルでの戦いになっている上に状況は極めて苦しい。それでも「初号機」という言い訳を作りながらみんなであなたを救った。14年ぶりに合うあなたはどんな人になっているかと、様々に思いを馳せていたが・・・・・!あんたと来たら何いってんの!突然目覚めさせられて困惑するのは分かる。でもでもでもでもでもでもでもでも!あなたなら、あなただからこそ、もっとすごい姿を見せてくれると思ったのに!がっかりだ!しかも二言目には綾波と言いやがって!私はここに居る!
くらいのものだろうか。序文で述べたアスカの心情と概ね変わらないようにも思われるが、もう少しだけシンジに対する複雑な心情が見て取れるのでは無いだろうか。
重要なことはシンジだから苛ついたということであり、シンジだから殴ったということである。あれがシンジ以外なら少々皮肉を言って終わったに違いない(皮肉は言ったと思うが)。この「だから」というところがアスカの中に居座り続けるシンジへの思いの現れであるし、ある意味彼女があまり表に見せない「やさしさ」の現れとも言えるかもしれない。
以上で「シンジをガラス越しに殴った理由と心情」はわかったような気がするのだが、ここまで来ると「シン・エヴァンゲリオン」のラストで、アスカとシンジが「あの海辺」で会話したシーンの意味合いも見えて来るだろう。
「シン・エヴァ」ラストで「シンジ」から開放されたアスカ
ぼくもアスカが好きだったよ。
「シン・エヴァンゲリオン」のラストでは、ようやく「エヴァの呪い」から開放され身体的に成長したアスカが登場した。しかも旧劇で我々を困惑させたあの海辺に現れた。
見た瞬間に「おっ?」と思ったものだが、そこで発生したことは旧劇とは全く異なるものだった。
そこでは「ぼくもアスカが好きだったよ。」というシンジからの愛の告白があった。思えばあんな素直な言葉を発したのはTV版から数えても初めてのことだったのではないだろうか。「シンジ!よく言った!」と心のなかで拍手を送ったが、あの言葉はアスカにとってもとても重要なものであった。
結局自分がシンジを好きだったことは自分の真実として、しかもいい大人になった身として認識しているのだが、重要なのはシンジの思いである。
どう考えても綾波に気があるようにしか見えなかったシンジだったが、その内面の行為をキチンと分かるように言葉にはしていない。あの瞬間にそれがようやく確定し、アスカとしては「やっぱりそうだったよね!」とず~~~っと気がかりだったことが解決したのである。
それは彼女をず~~~~~~~~~~~っとイライラさせ続けていたものからの開放であり、つまりは「シンジ」という存在からの開放である。
そして「シンジ」なる存在から開放されたからこそ、彼女はケンケンのもとに向かうことができたということになる。
こういった心情を見事に表現している有名な曲に竹内まりあの「告白」という曲がある。一度聞いてみるともうすこしアスカの心情に近づけるかもしれない。
ただ、シンジが本当にアスカのことが好きだったのかは正直わからない。わからないけれど、重要なことは、シンジはあのシーンで「好きだったと言った」という事実だろう。それが本当のことであろうとなかろうと、あの一言を言えたということそのものが、シンジという存在の成長を意味しているように思える。
この辺でアスカの話は終わりなのだが、少々脱線したくなってしまった。というのも、我々は「ぼくもアスカが好きだったよ。」と同じように、たった一言である人を呪いから開放した言葉を知っているからである。
あなたの心です。
みんな大好き「ルパン三世カリオストロの城」のラスト。ルパンにおいていかれてしまったクラリスに男銭形が放った「あなたの心です。」も、クラリスを「ルパン」という存在から開放した言葉だっただろう。
あの作品がなんとなくスッキリ終わるのは、あの後クラリスが新たな一歩を踏み出すように思えるからではないだろうか。
もしあのとき銭形警部が「あなたの心です。」と言わなかったとしたら、クラリスの中に煮え切らない思いが延々とくすぶり続け、アスカのようにず~~っとイライラし続け、ルパンを待ち続ける人生を歩んでいたのかもしれない。
「あなたの心です。」という言葉に「ハイ」と答えるということは、自分がルパンに心を奪われたということを自覚するということだが、それは同時に「ルパンに取ってあなたの心は奪うほどに価値のあるものだった」ということに了解することでもあるだろう。つまり、クラリスは「ルパンはあなたに惚れていた」ということを銭形警部と二人で確認したのである。
このように考えると、「シン・エヴァンゲリオン」のラストでシンジは、「カリオストロの城」における「ルパンと銭形警部」という二大巨頭の役割を一手に担った見ることができるのではないだろうか。
最初は「もののけ姫」を補助線にちょろっと書こうと思っていだのだが、知らないうちに「シン・エヴァンゲリオン」のラストのことや「カリオストロの城」のラストについても書きたくなってしまった(竹内まりあの「告白」も)。しかも、補助線として機能するはずだった「もののけ姫」が、むしろ状況をわかりにくくしてしまったような気もする。
まあ、全体的に少々脱線気味だったが、すこしは「アスカ」という人物の心情に近づくことができたのではないだろうか。
この記事では「スタジオジブリ作品静止画」の画像を一部利用しています。
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