「天気の子(公式)」は2019年に公開された新海誠監督による劇場用アニメーション作品である。
今回は「天気の子」本編中に登場した個人的名言、名台詞を集めてみた。また、名言や名台詞は通常とは異なる言い回しが用いられることも多く「英語でどう言ってるんだろう?」と疑問に思ったことがあったので、英語表現についても調べてみた。新海作品には必ず英語の副題がついているが、「天気の子」は
である。
*以下の英語表現は市販のBlu-rayの英語字幕をもとにしています。
「天気の子」の名言、名台詞と英語表現

森嶋帆高の名言、名台詞と英語表現
「あの夏の日。あの空の上で僕たちは、世界の形を変えてしまったんだ。」
英語表現That summer day, up in the sky, we change the shape of the world.
That summer day, up in the sky, we change the shape of the world.
「天気の子」の口火を切った帆高のモノローグ
ポイントになるのは「しまった」という表現であろう。
この物語を裏で推進しているものは「まだ何者でもない」という不安定な状態、「何者かになろうとすることを大人に阻害される」というフラストレーション、「結局何もできない」という諦め、ということになると思うが、そういったものを打ち砕きうるものが「自分たちが世界を変えた」という達成感である。帆高個人にとっては陽菜を救ったということもその達成感に含まれるだろう。
帆高や陽菜にとってそれがどんなことであっても、何かを達成したということそのものに意味がある。物語の序盤ではその達成感を「晴れ女」としての仕事に見出したのだが、その「達成感」が悲劇を引き起こしたという事実自体が、さらに深い悲劇でもあった。
そして、彼らにとってそれほどまでに「達成」というものが大切であったという事実がラストの「僕たちは大丈夫だ」につながるのである。
英語表現としては特に面白いものはなかった。
「僕の16年の人生で、あれが一番美味しい夕食だったと思う。」
英語表現I think that was the most delicious dinner I’ve had in all 16 years of my life.
I think that was the most delicious dinner I’ve had in all 16 years of my life.
裸一貫で東京に出てきた帆高が、ファストフード店でバイトをする陽菜からハンバーガーを密かに恵んでもらったシーンでのモノローグ。
人は様々な理由で孤独を感じるが、その瞬間の孤独感の原因が「空腹」ということも多々あることかもしれない。
あの瞬間の帆高は家出をし、大都会東京でまさに「孤独」であったわけだが、満腹な状態を続けることさえできればそれほど辛いこともなかったかもしれない。
我々も孤独に苦しむ人を発見したら「抱きしめる」なんて腹の足しにならないことをする前に、なにか食べ物を提供するようにしよう。それだけでその孤独は癒されるかも知れない。
それほど我々にとって「食事」というものは大切なものだと思う。
英語表現として気をつけなくてはならないのは「I’ve had」の部分だろうか。これは回想モノローグなので、美味しかったのは過去のある時点、そしてその時点までということになるので、過去完了形を使わなくてはならない。我々日本人にとって「時制」は永遠のテーマである。
「天気って不思議だ、ただの空模様に、こんなにも気持ちを動かされてしまう。心を陽菜さんに動かされてしまう。」
英語表現Weather is a mystery. The way sky looks ca move you so much. Hina really moves my heart.
Weather is a mystery. The way sky looks ca move you so much. Hina really moves my heart.
花火大会当日を晴れにした後、ビルの屋上で陽菜と二人で花火を見ているシーンのモノローグ。
「天気の不思議」については極めて共感できる内容である。曇り空には曇り空の、雨模様には雨模様の良さはあるものの、そんな日が続いたある日の快晴の空に「ああ、俺たちは太陽の子なんだ」と強く実感を持つものである。
ただ、このモノローグの本質はそこではなく「心を陽菜さんに動かされてしまう」であることは明らかであろう。つまり、この辺で彼は自分が陽菜に心を動かされていることに自覚的になったということになる。
劇的なイベントを経てある種の吊り橋効果とも言える状況にあったのかもしれないが、そもそもは陽菜が帆高に提供したハンバーガーがすべての始まりであった。結局「餌付け」は人の心をつかむ最上の方法であるといえるのかもしれない。
英語表現としては「move」だろうか。自動詞としては「動く」、他動詞としては「動かす」とおぼえておけば良いのだが、「move someone」だけで「人の心を動かす」とか「人を感動させる」となる。受動態で「I was really moved by ~」で「~に感動した」という意味で使うこともできる。
「神様、お願いです、僕たちをずっとこのままで居させてください。」
英語表現I beg you please, Dear God. Let us be together like this forever.
I beg you please, Dear God. Let us be together like this forever.
警察からの逃走中ようやく宿泊先のラブホテルを発見一息ついた時のモノローグ。
「天気の子」における帆高や陽菜の願いを端的にまとめた台詞だったと思う。どうしても自分たちに関わろうとする「大人」たちからの逃避行が「天気の子」であった。
あえて悪い言い方をすると「幼い発想」ということにもなるが、人間の成長過程でどうしても必要な感覚でもある。
「天気の子」はその主人公が帆高であるし、その思いに寄り添う物語になるため、その周りにいるまともな「大人」は融通がきかず、何かを子供に押し付ける存在として登場することになる(ほとんど登場しなかったが帆高の父はその最たるものだったのだろう)。須賀圭介は違うようにみえるかも知れないが、彼は配偶者を亡くしたことによって「子供帰り」してしまっており、そのせいで娘と暮らせない状態にある(おそらくラストで再開した圭介は娘と同居している)。
ただ、人間の成長とはそういった相克の中でしか果たせないものでもあるので、若者たちはいつの時代も何かしらのフラストレーションを感じながら生き「ここではないどこか」を目指すのである。
結局大人は子供を無視してはならないが、関与しすぎてもいけないということになる。子供にとって適切な関与とはなにか、適切な相克とはなにか、ということが問題になるが、おそらく人類史上その答えにたどり着いた人はいないだろう。誠に面倒な問題である。
英語表現としては「I beg you」だろうか。「beg」は「乞う、懇願する」という意味で、学校で習う英語としては「I beg your pardon?」があるだろう。「pardon」は「恩赦、許し」という意味なので「I beg your pardon?」は「お許しいただけますか」が直訳となるが、日本語でも聞き返す時に「すみません」というと相手がもう一度言ってくれるのと同じ効果があるということになる。したがって「もう一度言っていただけますか?」と約される。実践的には軽く「Sorry?」というだけで大概はもう一度言ってくれる。
「青空よりも俺は陽菜がいい!天気なんて狂ったままでいいんだ!」
英語表現I want you more than any blue sky. The weather… can stay crazy!
I want you more than any blue sky. The weather… can stay crazy!
主人公帆高が放った「世界系そのもの」のような台詞だった。
ただ、今回帆高が選択を迫られた「陽菜」と「安定した天候」のうち「安定した天候」の「安定」というものにある種の批判がなされていることが「天気の子」特徴とも言えるだろう。
天候や気候を語る時、我々はついつい「地球環境のため」と大嘘をこくのだが、正確には「人間にとって都合の良い環境のため」と言うべきである。
帆高は「安定していてある程度人類にとって都合の良い天候」を犠牲にして陽菜を救出したことになるが、結果として変わってしまった環境の中でも、人々は新たな日常に順応し、変わらぬ暮らしを続けていた。
帆高や陽菜にとって深刻だった選択は、結局のところ大したものではなかったという「結果論」がラストの世界であったことになる。
そのため、東京に戻った帆高は「浮遊」してしまって、なにやら所在のない思いに駆られてしまっている。あれほどまでに深刻だった思いが、あたかも無意味だったと言われているような気がしたのだろう。
しかしその浮遊した思いを払拭し、決定的な自己肯定を与えてくれたのが再会を果たした陽菜であり「僕たちはきっと、大丈夫だ。」につながるのである。
英語表現としては特に面白いものはなかった。
「陽菜さん、僕たちはきっと、大丈夫だ。」
この台詞が好き!
英語表現Hina, I’m sure… we’re gonna be OK.
Hina, I’m sure… we’re gonna be OK.
物語のラスト、東京に戻った帆高と陽菜と再会シーンでの帆高のモノローグ。
何がそこまで「大丈夫」なのか、初見の時はピンとこなかったが、結局のところ「僕たちは何かを成し遂げたのだから、これからも自分たちの力で生きていける」ということなのだろう。
この台詞については以下の記事でもう少し考えている:

世界の状況を考えたら全然大丈夫ではないような気もするが、みんな結局それなりに生きていた。そういう状況をまとめると「どんな状況にあったとしても、俺たちはきっと、大丈夫だ!」が新海監督のメッセージだったのかもしれない。
英語表現としては「We are OK.」ではなく「We’re gonna be OK.」にしているところだろう。我々が学校で学んだ英語にすると「We are going to be OK.」となる。ここでの「きっと大丈夫だ」の背後には「これからもずっと」というニュアンスがあるので、何かしら未来に続く表現がはいっている方が正しい。文字だけを読むとどちらでも良いということになるだろうが、シーンを前提にすると「We’re gonna be OK.」の方に軍配があがる。
天野陽菜の名言、名台詞と英語表現
「私たち誰にも迷惑かけてません!」
英語表現We don’t bother anyone.
We don’t bother anyone.
帆高の捜索に陽菜のアパートに訪れた警察官が、子供二人での生活を問題視した際に陽菜が発した台詞。
この台詞が生まれた状況や背景に現代社会の基本構造の一つが集約されている。つまり、現代社会は「子供から人権を奪う代わりに、大人が徹底的に子供を保護する」という基本方針が存在している。
これは「子供の子供らしさを肯定する」という日本、あるいは東アジアに共通する感覚がその根本にあるような気がするが、我々にとって「子供」という存在は、どうしようもなく可愛らしいもので、我々が失った大切なものを持っており、無限の可能性を秘めた素晴らしい存在ということになっている。
そしてそういう存在を悪意から守るために、現代社会がとった作戦が「人権の剥奪」だったわけである。
子供は労働契約ができないし、ありとあらゆる契約が個人でできないことになっている。したがって子供は経済的に独立することが困難であり、一番近くの大人の庇護のもとに生きることを余儀なくされるのである。
私なんかは大分ご機嫌な子供時代を過ごすことができたので、そのことに特段疑問を持たなかったが、本来は持つべきものかもしれない。
それでもなお、うまいこと利用され過酷な労働に子供が従事する世界や、子供が公然と合法的に見ぐるみ剥がされる世界よりは今のほうが良いとは思う。
ただこの状況は、子供の内面の独立心や、個々の持っている能力は全く無視されている。そういった「社会の持つ融通の効かなさ」が「天気の子」本編における陽菜を取り巻く状況として描かれたのだろう。
もちろん陽菜や凪、そして帆高たちならうまく生活したのだろうが、現実社会で子供二人の生活することを余儀なくされている状況をみたら、やっぱりちょっかい出したくなるだろ?きっとそれが大人というものさ。子供たちにとっては迷惑だろうが。
英語表現としては特に面白いものはなかった。
須賀圭介の名言、名台詞と英語表現
「てめえらが、帆高に触んな!」
英語表現Take your hands off Hodaka, assholes!
Take your hands off Hodaka, assholes!
「天気の子」終盤、複数の警察に取り押さえられる帆高を見た圭介の台詞。
なにやらお気楽に生きているように見えていた圭介渾身の叫びだった。
ここでいう「てめえら」とは「仕事でやってるだけの『大人』」と言い換えられるだろう。
思えば「天気の子」には主に三種類の大人が登場したように思われる:
- 大人になりきれてない大人
- 仕事に奔走する大人
- ちゃんと見えてる大人
大人なりきれていない大人はもちろん須賀圭介であり、仕事に奔走する大人は児童相談所の職員であり高井刑事(若い方の刑事)である。最後のちゃんと見えてる大人は安井刑事(中年の刑事)でありラストの圭介である。
「天気の子」本ほとんどの時間を過ごしていたぼんやりした圭介ならこの台詞を発することはなかったと思うが、物語のラストでようやく自分を取り戻した圭介は「大人」というよりは正しく「子供」として行動しようやく本音を叫んだのである。
配偶者の死後、悪い意味で「子供帰り」をしてしまってボンヤリ生きていた圭介だが、「僕はただ彼女にもう一度会いたいだけなんだ」という帆高の言葉で正しく「子供」に帰還することによってそこから再生し、再び自分らしく生きることができたということなのだろう。
英語表現としては「assholes」だが・・・まあ「assholes」ですよ。
「世界なんてさーどうせもともと狂ってんだから」
英語表現The world’s always been crazy anyway.
The world’s always been crazy anyway.
「天気の子」本編中ず~っとぼんやりした姿を我々に見せていた圭介だったが、この台詞を発した圭介は憑き物が取れたような姿でとても清々しかった。彼はようやく大人として復活したのだろう。
この台詞はそんな圭介の大人としての優しさにあふれるものではあるのだが、大人になってしまっているが故に「てめえらが、帆高に触んな!」みたいな尖ったことを言えなくなってしまっている。一言「そうだ、お前がやり遂げたことだ」といってあげれば良いのだが・・・そんなの無理だよな。
ただその分、「人間歳取るとさぁ、大事なものの順番を入れ替えられなくなるんだよなぁ」とか「もう大人になれよ、少年」などといったぼやけた事は言わなくなっている。帆高との出会いは圭介にとってある意味災難だったかもしれないが、新たな一歩を踏み出せたのだから結果的には素晴らしい出会いだったということだろう。
命の恩人にはなってみるものである。
英語表現としては絶妙な言い換えがなされているところがポイントだろうか。「もともと狂っている」を「ずーっと狂っていた」と言い換える事によって英語化している。吹替版はより直接的な表現になっているかも知れないが、こういった言い換えも英作文をする上では大切なテクニックと言えるだろう。簡単な表現の方が相手にも伝わるしね。
須賀夏美の名言、名台詞と英語表現
「帆高!走れ!」
英語表現Hodaka! Run!
Hodaka! Run!
警察署から逃走した帆高を幇助した夏美が、線路を走る帆高に掛けた言葉。
帆高という「子供」の前では大人ぶって見せていた夏美だったが、まだ大学生であり、すべての就活生がそうであったようにエントリーシートに大嘘を書くのに忙しかった。
そんな夏美にとって、ひたむきに陽菜を救おうとする帆高の姿はとても美しく見えたに違いない。彼女が帆高に掛けた「帆高!走れ!」はその実、自分自身にかけた言葉だったように思える。あの後夏美が大嘘のエントリーシートを書くことはなかっただろう。
英語表現としては特に面白いものはなかった。
天野凪の名言、名台詞と英語表現
「全部お前のせいじゃねぇか。姉ちゃんを返せよ!」
英語表現It’s all your fault, Hodaka. Bring my sister back!
It’s all your fault, Hodaka. Bring my sister back!
物語の終盤、帆高の歩みを助けるために駆けつけた凪がようやく見せた本音。
「天気の子」本編中、一貫して斜に構えた態度をとっておりその内面が見えづらい存在だった。姉との二人暮らしという状況の中で、彼なりに「大人」を演じていたということだろう。
「天気の子」の登場人物は–私達がそうであるように–本音を隠しながらも懸命に生きている。しかし、その本音を隠した言葉はなんとも空虚で心に響かない。そしてそれに対応するように、彼らの本音はなんとも瑞々しく胸を打つ。
「天気の子」で描かれたことの一つは「本音の美しさ」なのだと思う。
英語表現としては特に面白いものはなかった。

この記事を書いた人
最新記事

- 2025年5月29日
アシタカの「生きろ、そなたは美しい」と「ブスは死ね」をめぐって-集合論的(数学的)に徹底分析を試みる- - 2025年5月9日
【紅の豚】マダム・ジーナは何故ドナルド・カーチスを袖にしたのか-過去3回に渡る結婚の謎を考察- - 2025年5月1日
【君たちはどう生きるか】青サギ(サギ男)のモデルとなった鈴木敏夫のおもしろ「サギ」列伝-スタジオジブリを支えた辣腕の歴史- - 2025年4月28日
【君たちはどう生きるか】冷たい8個の石と13個の石は何を意味するのか-「8」と「13」の数字に込められた思いを考察- - 2025年4月23日
【君たちはどう生きるか】大量のインコとペリカンは何を意味するのか-大王が象徴する宮崎駿と「俺達」-