「君の名は」は2016年に公開された新海誠監督による劇場用アニメーション作品である。
今回は「君の名は」本編中に登場した個人的名言、名台詞を集めてみた。また、名言や名台詞は通常とは異なる言い回しが用いられることも多く「英語でどう言ってるんだろう?」と疑問に思ったことがあったので、英語表現についても調べてみた。新海作品には必ず英語の副題がついていますが、「君の名は」
である。
*以下の英語表現は市販のBlu-rayの英語字幕をもとにしています。
「君の名は」の名言、名台詞と英語表現
立花瀧の名言、名台詞と英語表現
「わたし。あ、わたくし!ぼく?おれ?」
I(watashi)… I(watakushi)! I(boku)? I(ore).
瀧と入れ替わってしまった三葉が瀧の日常的な一人称を探るために瀧の友人たちに探りを入れた台詞。
この台詞そのものになにか深いものを感じたということではないのだが、英語でどうなっているのかは極めてきになった・・・しかし、字幕は残念なものだった。
「君の名は」には英語吹替版も存在しているので、いつの日にか必ず確認しようと思う。英語版を作った人々はこの困難をどのように克服したのだろうか?
「君の名前は、三葉。大丈夫、憶えてる。三葉、三葉、三葉。名前は三葉。君の名前は…」「お前は誰だ」
Your name is Mitsuha. It’ OK. I remember. Mitsuha. Mitsuha. Mitsuha. Your name is Mitsuha. Your name is…。Who are you?
三葉が懸命に作った「口噛み酒」まで飲んで過去に戻った瀧だったが、決して忘れてはならない名前を忘れてしまう。この発言の直後「sparkle」とう名曲が流れ、映画を見えていた我々は健全に飲み込まれてしまった。・・・ただそれ以上に、このシーンが我々に伝えてくれていることがあると思われる。
この作品のある種の特徴は「対局にあるとされているものを対等に美しく描く」ということだろう。
瀧のこのシーンは「三葉の喪失」という間違いなくネガティブなシーンなのに「sparkle」という極めて美しい曲が流れ、結果的に「良いシーン」になっている。つまり、「別離」や「喪失」は「出会い」と等価であるということだろう。
そしてこのシーンをヒントとするならば、「君の名は」で描かれる「東京」と「地方(自然)」の姿も同じことだったのだろう。
「君の名は」で描かれた「東京」は非常に美しかった。本物の東京よりも美しかった。ただ、それは東京の姿だけでは無くて、糸守町を囲む「自然」の姿も同様だった。「君の名は」の世界ではありとあらゆるものが「等価」に描かれ、「人間が作ったものだから『不自然』で醜い」とか「『自然』という人間が蹂躙しているものが美しい」などという一方的で頭の悪いものの見方は一切しない。
別の言葉でいうならば「人間も自然の一部」という発想が根本にあるのだろう。
私も全く同意である。
英語表現としては特に面白いものはなかった。
宮水三葉の名言、名台詞と英語表現
「瀧くん、あの、私… 憶えて、ない?」
Taki… Don’t you remember me?
「君の名は」の終盤(と初っ端)、自分と入れ替わっているはずの瀧に会いに東京を訪問した三葉が、山手線の中で偶然にも瀧を発見した際に放ってしまった台詞。
当時の瀧は三葉の存在などしらないので「不審者」として三葉は対応され、いわゆる「はずい」経験をする羽目になった。まさか3年という時間差があるとは思っていない三葉にとっては厳しい経験となってしまった。
しかし三葉、あまり思い悩むことはなかったんだぞ。
あのときの瀧の対応は単に「狼狽」にすぎない。なんかよくわからないが非常に可愛い同世代の女子に声をかけられて、ぎりぎりの自我をなんとか保とうとしただけだ。
あの瞬間の瀧の内面の真実は以下のようなものに決まっている:
「ん?誰だ?めっちゃかわいいじゃん・・・・えっ?『憶えてない』って何だ?こういうナンパもあるのか?ちょっとまて、どうするべきか。ここで流されてしまったら相手が優位になってしまう。ここは慣れたふりをしてなんともない感じにしよう!」
若い男なんてこんなものである。モノローグでは「なんだこいつ」と言っているけれど絶対これが正しい!いい年になったら知りもしないのに「あのときの!」と言い張って「状況」を作るのだが、彼にはまだそれほどのふてぶてしさがない。
あの日東京に旅立つことを決め、瀧を発見して声をかける決断をした君の生き方のほうがよっぽど素晴らしい。君だかあの町を救えたのだ。
英語表現としては特におもしろものはないが・・・このシーンではまだ中学生だった瀧が英語の単語帳(単語カード)を開いている。そこに書かれている文章は「Have you seen Tiamat’s comet?(ティアマト彗星を見たことがありますか?)」と「I’m looking for my counterpart(私の片割れをさがしています). 」だった。
いわゆる「トリビア」「小ネタ」であって特段意味を見出すことはできないのだが、次に見るときには確認してみてほしい。
「あの人の名前が、思い出せんの」
I can’t remember his name.
糸守町を隕石が襲う夜、共に人々を救おうとしていたはずの勅使河原が三葉からかけられたことば。
この言葉に勅使河原は「知るか、あほう!これはお前が始めたことや!(I don’t know. You started all this!)」と強く答えた。
ある意味ではなんということもないシーンであり、見過ごすことのできるシーンである。しかし、このシーンの絵コンテを見ると僅かに我々の気持ちが変わる:
ここには明確に「自分は失恋したのだ、との気づきがすかに胸をよぎってもいる」と記されている。
思えば勅使河原の三葉に対する態度はず~っとあからさまであった。でもあからさますぎて彼の思いが「どっち」か分からなかった。でもやはり、彼も三葉に恋い焦がれていたのである。
我々だけは、彼の思いを覚えておこうじゃないか。君にも覚えがあるだろ?
英語表現としては特に面白いものはないと思われる。
思えば勅使河原は物語の序盤から素直に三葉に対する好意を表明していた。「友人」ということになっていた名取早耶香の「口噛み酒。神様嬉しいんかなぁ。あんな酒もらって」とう言葉にも瞬時に「うれしいやろ」と答えていた。
思う人と思ってくれる人が違っているという事実はいつでも我々を苦しめる。でも人生はそんなものである。そんなものである。
立花瀧と宮水三葉の名言、名台詞と英語表現
「あの日、星が降った日、それはまるで」「まるで夢の景色のように、ただひたすらに」「美しい眺めだった」
The day when the stars came falling. It was almost as if … as if a scene from a dream. Nothing more, nothing less than a beautiful view.
「大丈夫、憶えてる。三葉、三葉、三葉。名前は…」で述べたように、「君の名は」は「対局するものを対等に描く物語」である。
この台詞は「君の名は」の冒頭シーンでそれを表明するものとなっている。つまり・・・
あの日、人々の命を奪ったものは美しかった
といっているに等しいだろう。
彗星が美しいかどうかは我々の主観に過ぎず、それが我々にとって驚異になるかどうかも彗星にとってはどうでも良いこと。我々は我々としてそこにあり、彗星は彗星としてそこにいる。それ以上のことはない。
こういう新海監督の「フラットな自然観」を垣間見ることができることも「君の名は」の面白さだろう。
英語表現としては「nothing more nothing less than」だろうか。直接的には「それ以上でもそれ以下でもない」だが転じて「まさに」ということになる。ただ、実用上はもう少し複雑に入り組んで利用される。
「君の、名前は…」
Your name is …
新海作品が好きであればあるほど、この結末に不満もったひと多かったかもしれない。
それはよく分かるのだが、この映画はラストに瀧と三葉が再会しなくてはならない。そうで無くてこの作品に存在意義はない。それほど大事なことと思う。
この辺の事は以下の記事に纏めている:
古くからのファンであればあるからこそあのエンディングは不満だったかも知れないが、絶対あの方が良いぜ。
宮水一葉の名言、名台詞と英語表現
「わしも少女の頃、不思議な夢をみとった覚えがある」
I also remember seeing strange dreams when I was a young girl..
物語の終盤、三葉と入れ替わった状態にある瀧に一葉ばあちゃんがしれっと放った台詞。
なんとなく確定させないような雰囲気を漂わせて語ってはいるが・・・十中八九ばちゃんもかつて誰かと入れ替わっていたのである。
つまり、三葉と瀧の入れ替わりは今回ばかりの偶然ではない。1200年間ず~っと続いていたかどうかは分からないが、少なくとも一葉ばあちゃんの頃には発生していた現象だった。
ということは・・・二葉お母さんも誰かと入れ替わっていただろう。では、誰と入れ替わっていたのか?
この辺のことは以下の1つ目の記事と2つ目の記事のおまけで個人的に考えたことをまとめている:
お時間がありましたら御覧ください。
英語表現としては特に面白いものはない。
宮水四葉の名言、名台詞と英語表現
「はよきない!」
Hurry up!
物語の冒頭で三葉を朝食へ連行しようとしたものの、起きたばかりでぼうっとしていた姉に向かって襖を強く締めながら発した言葉。
間違いなくユーモアシーンとして打ち込まれたものだが、私はきちんと「くすっと」来た。
「君の名は」以前の作品でも何かしらユーモアシーンはあったような気がするが、私がくすっと来たのはこのシーンだけのような気がする。
例えば「雲のむこう、約束の場所」でバイト先の社長から「なんでバイトしているのか」と聞かれた際、主人公の浩紀と友人の拓也の会話シーンがあった。どうしても話が合わない状態が一定時間続くというユーモアシーンだったが、未だに「見てられない」という思いに駆られてしまう。「雲のむこう、約束の場所」はとても好きな作品なのだけれど。
続く「天気の子」でもなにやら味をしめたようでそういった「新海ユーモア」が沢山投入されたが、あまりくすっと来ることはなかった。
ただ、ユーモアシーンというのはおそらくとんでもなくハードルの高いシーンであって、沢山の人が見れば見るほど私のようにハマれない人が増えていってしまうものだと思う。それでもなお「閑話休題」として入れ込むことは物語を紡ぐ上でとても重要なことだろうから、多くの作家が苦労するところなのだろう。
そういう意味では、ほぼ百発百中で人をくすっとさせる宮崎駿御大の手腕はとんでもないものだと言えるのではないだろうか。少なくとも私は確実に笑う。
英語字幕では「Hurry up!」と極めて簡素な表現になってしまっており「はよきない!」のコミカルさが完全に失われている。ただ「Hurry up」以外にどうしようもないというのが事実だろう。コミカルシーンの翻訳は本当に難しい作業だと思われる。
宮水俊樹(町長)の名言、名台詞と英語表現
「お前は、誰だ」
Who… who are you?
物語の終盤、三葉と入れ替わった瀧が三葉の父である町長に強烈に迫った場面で町長が発した台詞。
これまでと全く違う娘の姿を見てつい口走ってしまったのかもしれない。しかし「お前は誰だ」という言葉は「君の名は」という物語において極めて重要な意味を持つ。この言葉を最初に使ったのは瀧である。
少々考えすぎと思われるかもしれないが、あの瞬間に町長の口から「お前は誰だ」などというキーワードが出たのには理由がある。つまり。町長はかつて「お前は誰だ」と誰かに言ったことがある。
ではその相手は誰か?そのことについては以下の記事に纏めている;
町長はなぜあの言葉を使ったのだろう?
英語表現としては特に面白いものはない。
奥寺ミキの名言、名台詞と英語表現
「君は昔、私のことがちょっと好きだったでしょう?そして今は、別に好きな子がいるでしょう?」
You used to have a bit of crash on me, right? But now you like someone else.
長いこと恋い焦がれていた奥寺先輩とのデートの後、瀧に放たれた先輩の台詞。
この一言で瀧の奥寺先輩との恋物語は始まることもなく終焉を迎えた。しかもその原因を辿ると、瀧がデートでミスったというよりは三葉が引き上げたハードルが高すぎたというべきだろう。
しかもデートの約束を取り付けたのは瀧ではなく三葉である。あんな瀧が見事なデートを実現できるくらいの男ならとうの昔に奥寺先輩と付き合っていたに違いない。
そしてこの時すでに瀧の気持ちは三葉に向いているわけで、その思いが結果的に糸守町の悲劇を回避することにつながる。
瀧にとっては悲劇だったかもしれないが、糸守町の人々からするならば「よくやった三葉!」といったところだろう。
世の女性の諸君!惚れた相手が別の相手を思っていたら、そのライバルとものすごく仲良くしてみるのも手かもしれない。相対的にあなたの想い人はライバルにとって取る似たらぬ存在となり、あなたの恋が成就する確率が上がるかもしれない。
男のみからするといい迷惑だが、やって見る価値はあるかもしれない。
英語表現としてはやはり「have a crash on~」だろう。これで「~に熱を上げる」、「~に首ったけ」となる。ただそれだと「好き」という表現に比べると行き過ぎているので「a bit of」がついている。これは知らなきゃ書けないし、聞き取れないだろう。
勅使河原克彦の名言、名台詞と英語表現
「別に。普通にずっとこの町で暮らしてくんやと思うよ、俺は」
Nothing special. I’ll probably keep on living a normal life in this town.
なにやらおちゃらけていて、状況づくりの男に見えた勅使河原が見せた「人としての勅使河原」が見えたシーンだった。
彼には本編でも語れることのなかった野心があったかもしれない(おそらくはその第一のものは三葉への恋心、そしてその思いを利用してひた隠しにしていた「糸守町脱出」)。
ただ、自分が地元産業の中心企業の息子であることは認識しており、その仕事を継がなければならないということも理解している。彼の部屋は彼の趣味で溢れていたが、あの状況を作るのはとても金がかかる。これは地方の寺の息子が高級スポーツカーを所有している状況に近い。親としては「だから後を継いでくれ!」と子供に何かを与えているのである(気持ちはとても良くわかる)。だからこそ、勅使河原のこの台詞はなにやら物悲しいのである。
この事実をどのように捉えるかは難しいことなのだが・・・やはり「新津組」という建設会社の子供として生まれながらも「映画監督」という自らの望んだ道に進んだ新海誠監督の思いが乗っかっているのではないだろうか。
そういう実感のある人だからこそ、「軽々しく」勅使河原の行く末を変更できなかった。
ただ、皮肉なことに、あるいは幸運なことに、彗星の破片が糸守町に衝突したことにより、勅使河原(新海誠)は「ここではないどこか」としての東京にたどり着くことができた。
「君の名は」という物語の最大受益者はおそらく勅使河原である、そして・・・新海監督である。それで良いと、私は思う。
英語表現として特に難しいものはないようだが「live a normal life」で「普通に暮らす」とか「一般的な生活を営む」となることは覚えておいて良いかもしれない。これを知らなくても「I’ll live normally in this town.」と書いても意味は同じである。
名取早耶香の名言、名台詞と英語表現
「口噛み酒。神様嬉しいんかなぁ。あんな酒もらって」
“Kuchikamisake.” Do the gods appreciate sake made that way?
「君の名は」を見た我々視聴者の気持ちを代弁するような台詞だった。この台詞のお陰で「口噛み酒」がきちんと相対化されて、あの映画の世界の中でも我々の感覚と同じような「やばい」存在であるということがわかった。
しかし、あの台詞にはもう少しだけ「含み」があるだろう。
この台詞を彼女が発言した際そこには勅使河原がいた。この言葉を聞いた間抜けな勅使河原の返答は「そら嬉しいやろ(Of course they do.)」だった。
どうやら勅使河原は気がついていなかったようだが、この言葉は早耶香が「勅使河原をためした言葉」だったのだろう。
自分の言葉に勅使河原が「お前の口噛み酒なら嬉しいやろ」と答えてくれたら早耶香としては天にも登る気持ちになったかもしれない。結果的に勅使河原の言葉は勅使河原の三葉への思いを表明するものになっており、彼女にとっては極めて不満な言葉だっただろう。
それでも「惚れた側の弱み」というべきか、彼女はそれでも勅使河原を無視することはできなかった。物語の終盤に「町民避難計画」に賛同したのも勅使河原を思ってのことだろう。それが勅使河原にとって三葉のためであることをわかっていても。
ただ、最終的にはどうやら勅使河原と「良い仲」になったようで、我々としては安心できる顛末になっている。
この状況はジブリ作品の「耳をすませば」の杉村と夕子の関係に近いものがあるかもしれない。
杉村は主人公の月島雫に思いを寄せており、自分に気のある夕子のことなど全く気にしていない。ところが・・・月島雫に振られた後に夕子の思いに気がついた杉村は、エンドロールで夕子と仲良く下校している。なんともげんきんなやつだ。
まあ、夕子にしても早耶香にしても、最終的に好きな男と良い中になれたので良かったかもしれないが、どうにも「男が作った物語」という側面は拭えないだろう。
俺は男だからそれでいいと思うけどね。
英語表現としては「appreciate」が大事かもしれない。「appreciate」は「価値を理解する」、「認識する」、「感謝する」など複数の意味を持つ(根底にあるものは一致しているようには見える)。今回は「価値を理解する」でも「感謝する」のどちらと捉えても良いと思う。
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