前回は「天気の巫女」の歴史について考え、「天気の子」を「『落ちる美しさ』を描いた物語」として結論づけた。
今回は「天気の子」のラスト「僕たちはきっと、大丈夫だ!」について考えていこうと思う。そのためにまず、帆高が東京に戻ってきてからラストまでの流れを振り返ろう。
「天気の子」のラストの展開と「僕たちはきっと、大丈夫だ!」の意味
ラストの展開
帆高はふるさとに戻ってから3年後に再び東京に戻ってくる。そこで帆高は大人たちから「世界なんて初めから狂っている」とか「そもそも東京と呼ばれている地域は海だった」という言葉をもらい「世界を変えてしまったこと」を「これで良かったんだ」と思おうとするのだが、どうもしっくりこない。それはなにか自分自身のしでかしたことに対する「言い訳」と思えたからだろう。
帆高は言い訳をしなければならないことをしでかしたとは実のところ思っていないし、そんなふうに思いたくない。そしてラスト、雨の中で何かを祈っている陽菜を見た帆高は「ちがう、やっぱり違う、あの時僕は、僕たちは、たしかに世界を変えたんだ!」と自分の中でようやくある種の決着を迎えた。帆高は「大丈夫?」と尋ねる陽菜に対して「うん、陽菜さん!僕たちはきっと、大丈夫だ」と断言する。
祈りを捧げる陽菜が現れた瞬間「あっ!陽菜は3年間ずっと祈っていたんだ!」ということが分かりなかなかの鳥肌モノだったし、すごくドラマチックで勢いがあるラストだった。そしてその勢いに押されて見ているこちらも「これで良いんだ!」と思ってしまうのだけれど、いまいち何がどう「大丈夫」なのかを言葉にしようとすると難しい。
さらに「確かに自分達が世界を変えたんだ」という確信と「大丈夫」の間にものすごいギャップを感じる。このギャップを埋めることがこの記事の目的になりそうだが、まずは「大丈夫」という言葉の意味をもう少し考えようと思う。こういうときは、「大丈夫じゃない」場合は二人はどうなってしまうのかを考えるのが良いだろう。
「大丈夫じゃない」ということ、「大丈夫」ということ
まずは二人が「大丈夫じゃない」とはどういう状態かを考えようと思うのだが、「大丈夫じゃない二人の姿」は劇中にきちんと描かれている。つまり「世界を変えてしまう前の二人のまま」ということになるだろう。では「世界を変えてしまう前」の二人がどうだったかと言うと、「ここではないどこかへ」行こうとしていた。帆高は故郷を捨てて東京に来たし、陽菜も自分を放っておいてくれない世界に不満を抱えていた。
したがって、ラストシーンでもし「大丈夫じゃない」とすると、二人はまた「ここではないどこか」への旅を続けることなり、終わることのない逃避行を繰り返す事となる。逆に、彼等が「大丈夫だ」ということは、彼らの旅は終了し「僕たちはここで生きていける」という確信を持つということになるだろう。「新世紀エヴァンゲリオン」の最終回でシンジくんが言った「僕はここにいても良いんだ」である。
以上のように、この記事内において「大丈夫」の意味は「ここで生きていける」ということで良いのだけれど、それでもなお「世界を変えたのが自分たちであること」がなぜ「ここで生きていけるという確信」になるのかが分からない。通常なら、「自分たちのしでかした事なのかだから、ここにはいられない」になるだろう。だってめちゃくちゃ人に迷惑が掛かったわけだし、言いたくはないが、たくさん人が死んだと思われる。
あとはこのギャップを埋めることにしよう。
「掴み取った」という自己肯定
話はずれるが新劇場版エヴァンゲリオン
少々話はずれるのだが、自分のしでかしたことによって世界を変えてしまった主人公を我々はしっている。「新世紀エヴァンゲリオン 新劇場版」の碇シンジである。
彼は「破」でそのすべてをかけて綾波レイを救おうとしたし、どうやら救えているようにも見える。ところがどっこい。「Q」の世界で目覚めたシンジが見た世界は、「破」のそれとは全く異なった崩壊した状態になっていたし、なぜか綾波レイがいなかった(いるのだけれどいない)。そんな世界でシンジはカオルから「これは君のしでかしたことだ」と親切にも教えてもらう。そりゃ困惑するよね。彼はただただ綾波レイを救いたかっただけなのだから。
ここで我々が考えるべきなのは、世界が荒廃していたとしても、シンジが救った綾波レイが彼の目の前にいたとしたらどうだったかということである。おそらくは「世界は壊れてしまったけれど、俺は確かに綾波を救ったんだ!」という自己肯定の物語になったのではないだろうか。自己肯定感がマイナス無限大であるシンジにとって「自分の手で掴み取った」という事実は、世界の崩壊なんかよりもよっぽど重要な問題だった。
逆に考えると、綾波がいない崩壊した世界は、シンジにとってはまさに地獄であったのだろう。
帆高も陽菜を掴み取った
わざわざエヴァンゲリオンを持ち出してしまったが、帆高や陽菜も実のところ「自己肯定感」が全く無い状況にある。未だに「何かを掴み取った」という感覚を手にしたことがないのだ。だから他者からの干渉に耐えられないし、「ここではない何処か」へ向かうことで、何かを掴み取ろうとするのである。
このように考えると、ラストシーンにおける帆高のモノローグで大事なのは「世界を変えたんだ」の部分ではなく、その後の「僕は選んだんだ、あの人を、この世界を、ここで生きていくことを!」となる。
東京に戻ってきた帆高のなんともぼんやりしてとりとめもない状況というのは、エヴァQにおけるシンジくんと全く同じで、帆高は「陽菜」という存在をようやく掴み取ったはずだったのに、その実感がまったく持てなかったのだ。
しかし、シンジくんにとっての綾波レイとは異なり、帆高にとっての陽菜はそこにいてくれた。そこでようやく彼は「掴み取った」という自己肯定感を取り戻し、終わらない逃避行を終わらせる覚悟ができたのである。彼が「自分がしでかした」ということに執着していたのも当然のことだったのだ。
以上のことから、いったい何がどう「大丈夫」だったのかというと
今尚自己肯定感を持てなかった帆高は、自分の所在がなかった。そんな帆高は陽菜を救い出すという決断によって、ようやく自己肯定が出来るようになるはずだったのだが、故郷に戻った3年という時間によってその実感を失いつつあった。しかし東京にもどった帆高は再び陽菜に会うことで、自分は確かにこの人を救ったのだという自己肯定感を手に入れ、彼にとっての逃避行が終わりをすげた
ということになるだろう。このように、彼にとっては福音の物語だったが、映画を見る立場にいる我々としてはどうしても「3年降り続けた雨」はどうしても許容しがたい。こんな事をしでかしておいて「大丈夫」はないだろう。しかしこの極端の状況設定には、新海監督からの若者へのメッセージがあるのだろうと思う。
新海監督から若者へのメッセージ
新海監督のメッセージがあるとすればそれは
「『世界を変える』なんてことをしでかしてしまった帆高や陽菜でさえ、自分の意思で何かを掴み取ったということを肯定してよいのだ。まして、そんな大それたことをしでかしてもいない君達が何かを掴み取ったのなら、それがどんなことであれ肯定して良い。『世界の有り様』とか「周りの人々」のことなんか気にしないで掴み取れ!」
ということになるのではないだろうか。「世界のかたちを変える」というのはその世界に住んでいる人々にとってはいい迷惑なのだが、こういう極端な状況設定をできるのがフィクションの妙技であろう。しかもその状況設定が若者へのエールのためということなら、まったくもって肯定されるべきものではないだろうか。
私は良いラストだったと思う。
おまけ
➀陽菜は何を祈っていたのか
「天気の子」を見ていてやはりきになるのは「陽菜は3年間なにを祈っていたのか」である。これは色々な可能性があるので、勝手に想像するしかないのだけれど、個人的に押したいのは「雨よやまないで」である。</>
自分がしでかしてしまったこと(世界の安定よりも自分の命を選んだということ)に何やら後ろめたい思いがあり「雨よやんでください」とそれこそ「晴れ女」に戻ろうとしたと見えなくもないし、それはそれで切なくもいい話なのかもしれない。しかしそれは「天気の子」の持つ物語性にはそぐわないだろう。
もし雨がやんでしまったら、「それでも自分が選んだ自分の命」という彼女の肯定感(「掴み取った」という肯定感)が薄れてしまう。帆高にとっては陽菜の存在が「掴み取った」ということの証拠になるのだが、陽菜にとっては「やまない雨」ことそがその証明になる。なんとも情念の世界だが、私はやはり「『雨よやまないで』と祈っていた」に一票を入れたい。
➁3年前に世界を変えた新海誠
「天気の子」のラストは3年前に世界を変えた二人が自分たちを肯定していたのだが、この作品の3年前にあったことと言えば「君の名は」の公開である。個人的にも大好きな作品だが、一般的にも大ヒットを成し遂げた。
ところがどっこい、あの手この手で「批判」がなされた。多くのクリエイターも何かしら批判的なコメントを出していたことを覚えている。まあクリエイターというのは「他人が作ったものを褒めてしまったら終わり」みたいなところもあると思うのでしょうがないと思うのだが、それでもなお「あんな『良いもん見たな感』のある作品を批判するというのも偉いものだ」と思ったことを覚えている。
東京に戻ってきた帆高の所在のなさや、なにか迷っているような姿は、「君の名は」公開後の新海監督の思い出もあったかもしれない。そう考えると、帆高の言った「大丈夫だ!」は、新海監督の「俺はこのままで俺の信じるものを作り続けるんだ!」という意思表明だったのかもしれない。かもしれないだけですよ。
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