「バケモノの子(公式)」は2015年7月11日に公開された細田守監督による劇場用アニメーション作品である。
この作品は、人間界(渋谷)とバケモノ界(渋天街)という二つの世界を舞台に、孤独な少年・蓮(九太)と、乱暴者だが孤独なバケモノ・熊徹の、奇妙な師弟関係と心の成長を描いた物語となっている。
この記事では、まだ作品を観ていない人向けの「ネタバレなしあらすじ」から、物語の核心に迫る「ネタバレありのあらすじ」、そして作品をより深く理解するための解説を行う。まずは作品の基本情報を振り返ろう。
この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。
「バケモノの子」の基本情報
作品概要
| 公開日 | 2015年7月11日 |
|---|---|
| 監督 | 細田守 |
| 脚本 | 細田守 |
| キャラクターデザイン | 細田守、山下高明、伊賀大介 |
| 音楽 | 高木正勝 |
| 主題歌 | Mr.Children「Starting Over」 |
| 制作 | スタジオ地図 |
| 上映時間 | 119分 |
主要な登場人物と声優(キャスト)一覧
| 登場人物 | 声優(キャスト) | 人物概要 |
|---|---|---|
| 熊徹 | 役所広司 | 渋天街のバケモノ。粗暴だが高い戦闘能力を持つ。九太の師匠となる。 |
| 九太 / 蓮 | 染谷将太(青年期) 宮崎あおい(少年期) |
主人公。母を亡くし渋谷をさまよう9歳の時に熊徹と出会う。人間界とバケモノ界で葛藤しながら成長する。 |
| 楓 | 広瀬すず | 人間界の高校生の少女。図書館で九太と出会い、勉強を教える。九太が人間界と繋がる重要な存在。 |
| 宗師 | 津川雅彦 | 渋天街を治める長。ウサギのような姿。神に転生するため、後継者を探している。 |
| 百秋坊 | リリー・フランキー | 豚顔の修行僧。熊徹の旧友で、九太の良き理解者であり、知的な導き手。 |
| 多々良 | 大泉洋 | 猿顔のバケモノ。熊徹の旧友。皮肉屋だが、九太と熊徹の成長を見守る。 |
| 猪王山 | 山路和弘 | 熊徹のライバルであるイノシシのバケモノ。品格・実力ともに兼ね備えた次期宗師候補。 |
| 一郎彦 | 宮野真守(青年期) 黒木華(少年期) |
猪王山の長男。父を尊敬するが、人間であるという出自の秘密に苦しみ、心の闇を増幅させる。 |
| 二郎丸 | 山口勝平(青年期) 大野百花(少年期) |
猪王山の次男。当初は九太に絡むが、後に友情を育む。 |
| チコ | 諸星すみれ | 蓮(九太)に寄り添う白い小動物。二つの世界を行き来する蓮を静かに見守り、導く存在。 |
人物相関図
「バケモノの子」のあらすじ(ネタバレなし)
9歳の少年・蓮は、両親の離婚と母の急死により、行き場のない孤独を抱えていた。親族の家から飛び出し、渋谷の街をさまよう蓮は、ある夜、熊のような姿をしたバケモノ・熊徹と出会う。
「お前、弟子にならねえか?」
その誘いに導かれるように、蓮はバケモノたちが住む世界「渋天街」へと迷い込んでしまう。そこで彼は熊徹の弟子「九太」として、新たな人生を歩み始める。
渋天街の長である「宗師」の後継者候補である熊徹だが、武芸は一流ながら品格ゼロ。九太は、そんな熊徹と反発し合いながらも、奇妙な共同生活の中で修行を積んでいく。二つの世界で揺れ動きながら、九太は「本当の強さ」とは何かを学んでいくのであった。
「バケモノの子」のあらすじ(ネタバレあり)
※ここから先は、映画の結末を含む重大なネタバレが記載されているため、未視聴の方はご注意ください。
蓮の孤独と熊徹との出会い
物語の主人公は9歳の少年・蓮(れん)。両親の離婚後、母と暮らしていたが、その母が交通事故で急死してしまう。母の親族に引き取られることになるが、そんな状況でも自分に会いにこない父への怒りや、親族への不満が爆発し、蓮は引っ越しの最中に家を飛び出した。
夜の渋谷をさまよい、路地裏で一人うずくまる蓮。その孤独に寄り添うように、不思議な白い小動物「チコ」が現れる。そんな蓮とチコの前に、熊のような姿をしたバケモノが現れた。そのバケモノは、一緒にいた相棒から「熊徹(くまてつ)」と呼ばれていた。
熊徹は蓮に「弟子にならないか」と言い残し、姿を消す。直後、警察に家出を疑われ補導されそうになった蓮は、警察を振り払って逃走。その最中、先ほどのバケモノがビルの隙間に入るのを目撃し、チコと共にその後を追った。
渋天街での新たな名前「九太」
路地を抜けると、そこはバケモノたちの世界「渋天街(じゅうてんがい)」であった。驚き戻ろうとするが、道は消えていた。
蓮は、豚顔の修行僧「百秋坊(ひゃくしゅうぼう)」に出会う。彼が蓮を人間界に返そうとしていた矢先、熊徹が相棒の「多々良(たたら)」と現れ、蓮を弟子にすると言い張る。百秋坊と多々良はそれを止めるが、熊徹は聞かなかった。家に帰る熊徹に蓮もついていくことにした。
家についた熊徹は、蓮に名前を聞くが「個人情報」だとして、教えなかった。それでも年齢が9歳であることは離した蓮を、熊徹は「九太(きゅうた)」と呼ぶことにした。
熊徹の事情と修行の始まり
現在バケモノの世界の長老である「宗師」は近いうちにその役割を終えて、神に転生することになっていた。その後継者を決めなければならなかったが、武芸と品格の両方を兼ね備える者でなくてはならず、闘技会の結果によってその後継者がきまることになっていた。
熊徹は武芸には秀でていたが、その品格には問題があった。そのため、熊徹は闘技会に出る条件として弟子をとることを宗師によって課されていたのだった。蓮に出会う前にとった弟子は全く続かず、半日で逃げ出すような状態であった。
そして、九太が来た日の翌朝、家の中に九太がいなかったことで、また逃げ出したと思った熊徹だったが、外の鶏小屋で九太が寝ているのを発見すると、熊徹はすこし嬉しい気持ちになった。
ところが、九太が熊徹の些細なことから口論となり、九太は家を飛び出す。熊徹が九太を追っていると、そこに猪王山(いおうぜん、イノシシのバケモノ)と遭遇する。猪王山は次期宗師と目される人物で、武芸に秀でているだけでなくその品格も周りが認める存在であった。
熊徹と猪王山が話していると、猪王山の弟子が九太を確保する。猪王山も熊徹が新しく弟子を取ったことをすでに知っていたが、九太が熊徹のあたらしい弟子であると分かると顔色を変えて人間の世界に戻すべきだと主張する。人間の心には闇があり、その闇がバケモノの世界にトラブルを起こすことを恐れていた。
熊徹はこれに猛反発し、二人は対決へと発展する。周囲が猪王山を応援する中、九太は自分と似た孤独を熊徹に感じ、ただ一人熊徹を応援する。その対決は、現れた宗師によって止められた。宗師は「責任は自分がとる」と、あっさり九太を弟子として認める。
こうして、九太の弟子としての日々が始まった。しかし、熊徹は教えることが絶望的に下手で、「胸の中で剣を握るんだ」などと言うばかりであった。
修行がうまくいかず、熊徹が姿を消したり、多々良に厳しい言葉をかけられたりする中、九太は百秋坊から「弟子のあり方」を聞き、掃除などをして自らの居場所を作り始める。
成長と旅、そして8年の歳月
九太が修行を続ける中で、街で出会った二郎丸(猪王山の次男)に絡まれてしまう。それは、猪王山の「人間はそのうち手に負えなくなる」という言葉を聞いてしまったことが原因であったが、大事になる前に二郎丸の兄一郎彦が割って入った。その場は収まったものの、「こんなひ弱なやつ怪物になどなるものか」という一郎彦の言葉が九太の心に残った。
その後、九太が夕食の準備をしているころに熊徹が帰ってきた。食事中、九太が猪王山と比較して熊徹のダメなところをあげつらうようなことを言ったことがきっかけで喧嘩になってしまう。その後、自分なりに頑張っているつもりの熊徹はまったくその事に感謝のない九太への不満を多々良にぶつけているところに、宗師が現れる。宗師は熊徹に各地の宗師たちへの「紹介状」を渡し、修行の旅に出るように伝えるのだった。それから、熊徹、九太、多々良、百秋坊の4人は各地の宗師を尋ねる「修行の旅」に出た。
各地の宗師に「強さとはなにか」と問い続けるが、何やら要領を得ない返答ばかりだった。熊徹は彼らの返答に「自分を見失うだけだ、意味は自分で見つけるんだ」と不満を持っていたが、九太は彼らの話を興味深く聞いていた。
旅の後、「意味は自分で見つける」という熊徹の言葉から、九太は熊徹の「真似」をすることから修行を始める。九太が熊徹の動きを真似ることで、九太自身が成長するだけでなく、熊徹もまた自らの動きを見直し、師弟共に成長していくのだった。
そして、8年の歳月が流れた。
人間界と楓との出会い
いつものような日々を送っていた17歳の九太は、不意に、人間の世界に再び足を踏み入れてしまう。
図書館で、自分が高等学校の漢字をほとんど読めないことに気づいた九太は、そこで高校生の少女「楓(かえで)」と出会う。楓から勉強を教わるようになり、九太は人間界と渋天街を行き来する生活を始めた。
楓から大学受験を勧められた九太は、高卒程度認定試験の受験を決意。その手続きの中で住民票が必要となり、実の父親の住所が判明する。
父との再会を果たした蓮(九太)は、父が母の死を後になって知り、失踪後も自分を探し続けていたことを知るのだった。
二つの世界での葛藤と「心の闇」
蓮は熊徹に人間の世界の学校に通いたいと伝えるが、熊徹は「だめだ」と怒鳴るばかりであった。蓮は家出のように実の父の元へ向かうが、今度は父からの「これまでの辛いことを忘れてやり直そう」という一方的な言葉に反発してしまう。
自分は人間なのか、バケモノなのか。二人の父への反発と愛着の中で苦しむ蓮は、自分の中に「闇」があることを知る。
闘技会と一郎彦の暴走
蓮が渋天街に戻ると、宗師の後継者を決める闘技会が開催されていた。二郎丸に呼ばれて家を訪れ、お互いの師匠の健闘を祈った後、一郎彦が玄関まで送ってくれたのだが、その際、九太は一郎彦から暴行を受けてしまう。一郎彦もまた、人間である九太や素行の悪い熊徹が勝利することを嫌悪してた。その中で、蓮は彼の中に自分と同じ闇を見出す。
そして、闘技会で宗師が「決断力の神」になることを宣言し、熊徹と猪王山の決戦が始まる。ところが、精彩を欠く熊徹は猪王山に責め立てられ負ける寸前のところまで追い詰められる。戦いが決しようとしたその時、九太の声援を受けた熊徹は本来の力を取り戻し、猪王山に勝利を収める。
しかし勝利に酔いしれるその時、熊徹の背中に刀が突き刺さる。試合結果に不満を持った一郎彦が、心の闇を爆発させ、念動力で刀を飛ばしたのだった。九太も激しい怒りで闇に飲まれかけるが、チコに噛みつかれたことと楓からもらったお守りによって理性を取り戻す。
実は、一郎彦もまた、猪王山が人間界で拾い、育てていた人間の子供であった。バケモノとして育てられようとすればするほど、一郎彦の中には強烈な違和感が醸造され、心の闇へとつながっていたのである。
決戦、そして熊徹の転生
九太は一郎彦を闇から救うために人間界に向かう。闇の力に飲み込まれ、渋谷の街で「鯨」のような姿で暴れる一郎彦の力は凄まじく、蓮は押されてしまう。
一方、渋天街では、一命をとりとめた熊徹が、九太を救うために旧宗師に「神になる権利」を譲り渡すよう迫っていた。
蓮が、一郎彦の闇を自らに取り込み、もろとも消え去ろうとしたその時、付喪神として転生した熊徹が、燃え上がる剣となって蓮のもとに現れる。
九太は、転生した熊徹(の剣)と共に、一郎彦の闇を打ち砕いた。
それぞれの未来
一郎彦は猪王山の邸宅で目を覚ますが、闇に飲み込まれていた間の記憶は失っていた。熊徹が神に転生したため、前宗師は再び宗師を務めることとなった。
そして九太は「蓮」として人間界に戻り、実の父と共に暮らしながら、高卒認定試験の合格を目指すのだった。蓮の心の中には、今も熊徹という「胸の中の剣」が抱き続けられているのである。
「バケモノの子」の重要ポイント解説
ここからは、「バケモノの子」作品全体を通して語られる、いくつかの重要なテーマや象徴について解説する。
解説①:九太と一郎彦が抱える「胸の穴」の正体とは?
本作において最も重要な象徴が「心の闇」、すなわち「胸の穴」である。これは人間(九太と一郎彦)だけが持つものであり、孤独、不安、嫉妬、憎しみといった負の感情の象徴である。
九太も一郎彦も、実の親と離れ、バケモノの世界で育てられたという共通点を持つ。しかし、九太は熊徹という「反面教師」とぶつかり合い、自らの闇を認識し、受け入れる強さを学ぶ。一方で、一郎彦は「理想の父親」である猪王山に育てられながらも、自分が人間であるという現実を受け入れられず、闇を増幅させてしまう。
この「胸の穴」は、人間誰しもが持つ弱さであり、それをどう受け入れ、乗り越えるかが本作の大きなテーマとなっている。
そして、その弱さを乗り越える方法論として提案されていることがあるとすれば「人と関わることをやめない」ということになるだろう。
一郎彦の日々の生活はあまり描かれていないが、多々良や百秋坊そして楓のような存在がいればあのようなことにはならなかったと思う。一郎彦は、心の闇を大きくする中で、周りの存在と距離をおき、孤立していたのかもしれない。
非常に面倒なことも多いが、「人と関わる」ということが自分という存在のバランスを保つことに繋がることも沢山あると私も思う。
解説②:熊徹が神(剣)になることの意味とは?
猪王山を破り、次期宗師となった熊徹。しかし、彼は九太を救うため、自ら「神に転生する」道を選ぶ。宗師は「武芸と品格」を兼ね備え、神に転生する資格を持つ存在である。
熊徹は当初、品格とは程遠い存在であった。しかし、九太を育て、九太に育てられる中で、彼は他者のために自らを犠牲にする「本当の品格」を身につけた。
彼が転生したのは「付喪神(つくもがみ)」であり、九太の「胸の中の剣」となった。これは、熊徹が物理的な存在としてではなく、九太の精神的な支柱、強さの象徴として永遠に生き続けることを意味する。熊徹の教え「胸の中に剣を握るんだ」という言葉が、最後に真の意味で成就した瞬間である。
解説③:「鯨」は何の象徴だったのか?
九太が人間界で楓と出会うきっかけとなり、一郎彦の闇が具現化した姿でもある「鯨」。これは、ハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」が元になっている。
小説における「白鯨」が、人間の手に負えない自然の脅威や、エイハブ船長の狂気的な復讐心の対象であるように、本作における「鯨」もまた、人間の制御不能な心の闇、あるいは克服すべき巨大な試練の象徴として描かれている。
さらに、一郎彦が変身した鯨に牙が生えていたことも重要なことと思われる。
彼の心の闇の本質は結局「自分が猪のバケモノではないこと」だったが、その思いがあの牙として具現化していることになる。
本編中「白鯨」のエイハブ船長が戦っていたのは自分自身であったという話が出てきたように、あの鯨は一郎彦が変身した姿であるのと同時に一郎彦そのものであると言えるものになる。
まとめれば、自分自身こそが、乗り越えるべき最大の試練であると、あの描写は語っていることになるだろう。
以上が「バケモノの子」のあらすじと解説のまとめとなっています。前作「おおかみこどもの雨と雪」では「母と子」の物語が中心に描かれ、今回は「父と子」の関係が主要なテーマとなっていました。
みなさんにとっては「バケモノの子」はどのような物語だったでしょうか?
なお、以下の記事で「チコの正体」「宗師が熊徹に甘かった理由」など、さらなる深堀り考察を行なっています。お時間のあるときにでもご一読下さい。
この記事を書いた人
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