「紅の豚(スタジオジブリ公式)」は1992年7月18日に公開された宮崎駿監督による劇場用アニメーション作品である。キャッチコピーは「カッコイイとは、こういうことさ。」であった。歴代の宮崎作品の中で最も「ブサイク」であると思われる主人公ポルコ・ロッソの物語だが、その5年後に制作された「もののけ姫」の主人公アシタカが「いい男」であったのはこの反動だったのだろうか?
考えたところでそんなことはわからないが、今回はそんな「紅の豚」のあらすじを振り返るとともに、その面白さを考えようと思う。ただ、あらすじと言ってもすべて話してしまうので、ネタバレが嫌な人は途中まで読んで本編を見てください。
この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。
- 詳細なあらすじと人物相関図
本作のあらすじを要約すると「第一次大戦の英雄で豚の姿のポルコは賞金稼ぎを生業としている。そのような日々の中、米国人パイロット・カーチスに撃墜されるも、フィオ・ピッコロの手で飛行艇を改修し、勇躍再戦。辛くもカーチスに勝利するが、幼馴染ジーナの胸に秘めた賭けの結果という謎を残して物語は終焉する。」となるが、より詳細なあらすじ、人物相関図、物語の解説を提供する。 - 「紅の豚」の楽しい雰囲気とユーモア
「紅の豚」は全編を通して楽しい雰囲気に包まれており、特にマンマユート団のセリフやカーチスの再登場シーン、さらには天才同士の殴り合いといったユーモア溢れるシーンが印象的。これらのシーンは映画全体を軽やかなものにし、観客に「楽しい」という感情を強く与えている。 - ポルコの豚の姿に込められた男の悲哀
ポルコがなぜ豚の姿であるかという問いにこだわるのもいいが、重要なのは「豚で居続ける理由」。ポルコは自らの姿をあえて受け入れ、それを問題視せずに生きている。彼の豚姿は、彼の内面や心の葛藤を象徴し、男の悲哀を表現している。 - ジーナの3回に渡る結婚の謎
ジーナは本編が始まった時点で飛行艇乗りと3回結婚しており、結果的に3回の死別を経験している。にも関わらず、本編で「賭け」をしていた相手はまたもや飛行艇乗りのポルコであり、それでいてカーチスを鼻にもかけない。ジーナの行動には何やらチグハグな謎が存在している。
「紅の豚」のあらすじ(ネタバレあり)
あらすじの要点と人物相関図
「紅の豚」のあらすじの要点を短くまとめると以下のようになる:
-
孤高の豚 ポルコ・ロッソ
物語の主人公は飛行艇乗りのポルコ・ロッソ。彼はなぜか豚の姿をしており、空賊相手の賞金稼ぎをしている。 -
未亡人マダム・ジーナの憩いの場
空賊やポルコを含むアドリア海の飛行艇乗りの憩いの場「ホテル・アドリアーノ」を経営する未亡人マダム・ジーナは、飛行艇乗りのアイドルでありポルコの幼馴染である。 -
敵対者ドナルド・カーチスの登場
空賊たちはポルコに煮え湯を飲まされ続け、対ポルコ要員としてアメリカ人飛行艇乗りドナルド・カーチスを雇う。 -
カーチスの交戦と敗北
調子の悪かった飛行艇の修理のためにミラノに向かう途中、ポルコはカーチスと交戦し、敗北を喫する。 -
破壊された飛行艇の持ち込み
破壊された飛行艇をポルコは「ピッコロ社」に持ち込む。 -
フィオ・ピッコロの優れた才能
修理を担当したのは社長の孫であるフィオ・ピッコロ。17歳という若さながらその才能を発揮し、ポルコの飛行艇を見事に復活、進化させる。 -
カーチスとの再戦
アドリア海に戻ったポルコは、カーチスとの再戦に挑む。 -
何故かボクシング
一進一退の戦いだったが、お互いに「弾づまり」を起こしたため、戦いはなぜか「ボクシング」に移行する。 -
ギリギリの勝利
相打ちに終わるかに見えた戦いは、ギリギリのところでポルコが立ち上がり、最終的にポルコの勝利に終わる。
人物相関図
▼ 登場人物の詳細(年齢・声優情報など)はこちら
序盤:賞金稼ぎポルコ・ロッソと空賊
物語の主人公は「ポルコ・ロッソ」。第一次大戦の英雄である彼は「賞金稼ぎ」として、退役後の生活を送っていた。

そんなある日、彼は「マンマユート団」による船舶襲撃の情報を掴む。案の定「マンマユート団」の対応を依頼されたポルコは、マンマユート団の駆逐と「女学生」救出のため颯爽と飛行艇を飛ばすのであった。
一方その頃「マンマユート団」は、人質として拉致した「女学生」である子どもたちの扱いにてんやわんやの状態であった。

そんなマンマユート団をポルコが発見する。ポルコは僅かなチャンスを与えたが、マンマユート団は徹底抗戦を決める・・・が、ポルコの超一流の腕前と子どもたちの妨害行為によって見事に蹴散らされてしまう。
ポルコは見事に仕事を果たしたが、マンマユート団同様、子どもたちにてんやわんやとなるのだった。救うはずだった「女学生」は何処へやら・・・。

中盤①:ライバル・カーチスの登場とポルコの撃墜
一仕事終えたポルコは、アドリア海の女神「マダム・ジーナ」が経営するホテル・アドリアーノに赴く。その店のパブには敵味方関係なく、飛行艇乗りが集まっていた。
その店でポルコはアメリカ人の飛行艇乗り「カーチス」に出会う。彼はポルコに煮え湯を飲まされている空賊連合が雇った用心棒であった。

その後ポルコは旧知の仲であるマダム・ジーナと短い会話を交わし、ホテルを後にする。
翌日、調子の悪かった飛行艇の調整のためにポルコはミラノに旅立ったが、その旅路にポルコはカーチスの強襲を受ける。
いつものように対抗するポルコだったが、機材トラブルによる一瞬のスキを付かれてカーチスに撃墜されてしまうのだった。
カーチスはポルコの飛行艇の残骸をその証として持ち帰ったが、運良くポルコは死んでいなかった。
ポルコはジーナにだけは自らの無事を報告したが、それでも飛ぼうとするポルコに「そんなことをしていたら死んでしまう」とジーナはポルコに伝えたが、ポルコは「飛ばねえ豚はただの豚だ」と応えた。ポルコはその後破壊された飛行艇の本体と共に、船旅でミラノに向かった。

中盤②:ミラノでの出会いとフィオによる飛行艇改修
ミラノにたどり着いたポルコは「ピッコロ社」に向かい、飛行艇の修理を依頼した。世界恐慌真っ只中の状況下で、有り金を全部持っていかれそうになったが、そんなことよりも重要な問題が派生した。修理を主導するのが社長である「ピッコロの親父」の孫娘であるフィオであったのだ。
その事実をしったポルコは仕事を頼むことをやめようとするが、そこに現れたフィオからポルコは「飛行艇乗りにとっては経験とセンスとどちらが大事か?」という質問を受ける。それに対して「センス」と答えたポルコをフィオは見事に畳み込み、飛行艇の改修に関する設計を始めるのだった。

ポルコの誤算は更に続く。世界恐慌の煽りを受けて男手がすべて出稼ぎに出ており、頼れる労働力は「女の手」のみであった。それでもなお、投入できるすべての労働力を投入し、ポルコの飛行艇の改修作業は順調に進んでいった。
そんな折、嘗ての戦友フェラーリンから「今度こそ当局は見逃さない」と告げられる。その理由は「反国家非協力罪」、「密出入国」、「退廃思想」、「破廉恥で怠惰な豚である罪」であった。自分の立場を危うくする危険もあったフェラーリンだったが、それでもポルコに「空軍に戻らないか?」と進言した。もちろんポルコは断ったが、彼もフェラーリンの友情を感じているようだった。
そんなフェラーリンから進言を受けたポルコは予定を早めて即日出発することを決断する。しかしその決断は再びポルコを呪う(?)ことになる。
フィオにとって最初の仕事だった今回の改修作業の行く末を確認すべく、フィオはポルコについていくという。もちろんポルコは断ったが、フィオに押されてポルコは結局その動向を受け入れた。
なぜか完成していた二人乗り用のギミックを取りつけ、フィオとポルコはアドリア海に旅立つ。

「当局」からの追撃を逃れたフィオとポルコは戦友フェラーリンの導きで、アドリア海に逃げ延びるのであった。
中盤③:アドリア海への帰還とフィオを巡る決闘
アドリア海に戻ったポルコは、ホテル・アドリアーノの空中を旋回し帰還を伝える。
その時ホテル・アドリアーノの庭園では、カーチスがジーナにプロポーズをしていた。なんとも急な話だったが、カーチスは本気であった。そんなカーチスを軽くあしらったジーナは「でもだめ、私今カケをしてるから。私がこの庭にいる時にその人が訪ねてきたら、今度こそ愛そうってカケしてるの。でもその馬鹿、夜のお店にしか来ないわ。日差しの中へはちっとも出てこない」と語った。

そんな2人の上空で旋回する赤い飛行艇が、英雄の帰還を伝える。
そして降りてこなかったポルコに対して「また賭けに負けちゃった」と語るジーナを前に、カーチスは彼女の狙いを知ることになった。
そんな破局が発生していることも知る由もないポルコは自らの「住処」に戻った。
しかしそこにはカーチスからの連絡を受けたであろう空賊連合の連中がポルコを待ち構えていた。彼らは積年の恨みを晴らすべく改修された飛行艇を破壊しようとするが、もちろんそこにフィオが止めに入る。
美しくも力強いフィオは歴史に残る名演説を空賊連盟の前でぶちかます。
そこに現れる傷心のカーチス。彼は特撮ヒーローのように登場し、ポルコとの再戦を約束する。その報酬はフィオ、その代償は飛行艇の改修費用であった。

結末(ネタバレ):カーチスとの決着、そしてジーナの賭けの行方
フィオと改修費用を賭けた「名誉の戦い」の日がやってきた。決戦はそれを知るものの一大イベントとなっていた。

2人の天才のドッグファイトは苛烈を極めた…が、長くは続かなかった。歴史に残るはずだったドッグファイトは、「弾づまり」によって思わぬ展開を迎える。
やむなく着水した2人は、殴り合いの最終決戦を行う。そんな2人のまぬけな最終決戦はドローで終わりかけた。

そこに現れるマダム・ジーナ。彼女の「あなたもうひとり女の子を不幸にする気なの?」という言葉に奮起したポルコは、カーチスよりもわずかに早く起き上がり、ギリギリの勝利を手にする。
イタリア空軍に目をつけられているという事実を伝えるジーナの言葉に、会場は一斉に解散を始める。ジーナ自身もその場を離れようとするが、ポルコはフィオをジーナに託す。
そんなフィオはポルコに別れのキスをする。
そして・・・
フィオはその後ポルコに会うことはなかったが、ジーナとは良き友人関係を続けていた。
ジーナのカケがどうなったかは2人だけの秘密だという。さて、彼女の最後のカケはどのような結末を迎えたのだろうか・・・。
▼ 主要な名台詞・英語表現のまとめはこちら
以上が個人的にまとめた「紅の豚」のあらすじである。続いては私が個人的に思う「紅の豚」の面白さについて。
「紅の豚」の考察と解説
ポルコはなぜ豚の姿になった(で居続ける)のか?
ポルコが豚の姿で居続けるのは、世の潮流や中年の諦めに飲み込まれず、自らの「正しさ」を守り抜くという「意地」の象徴である。彼の豚の姿は、世界に対する反抗そのものと言える。また、ジーナに容易く「捕獲」されまいとするプライドの表れでもある。
「紅の豚」は非常に面白い作品なのだけれど、どうしても気になるのは「なぜポルコは豚になったのか?」ということではないだろうか。そしてこの疑問は以下の2つの疑問に類別できると思う:
- ポルコが豚になるための具体的な手続きについての疑問(どのような方法、魔法で豚の姿になったのか?)
- 「紅の豚」という作品の中で彼が豚として描かれる理由についての疑問
1番目の疑問については本編で語られていないのだからいくら考えても答えはでないし、私が知る限りの視聴においてもその設定は語られていないと思う(知っている方は是非とも教えて下さい)。
となると、「豚になるという魔法をかけたのは宮崎監督本人」ということにして、2番目の疑問について考えるのが生産的だろう。そしてその疑問に関する「結論」は上にまとめている通りであるが、以下の記事で詳しい解説をしている。
皆さんは彼が「豚でいる理由」をどのように考えるだろうか。
ジーナの「賭け」の結末は?
本編中ジーナはホテル・アドリアーノの庭である「賭け」を行っていた。その内容は作品中の台詞で以下のように説明されている:
「私がこの庭にいる時その人が訪ねてきたら今度こそ愛そうって賭けしてるの。」
何とも上から目線な台詞であり「賭け」なのだが、その結果が気になるところである。ラストのフィオの言葉ではぼやかされているが、上の「結論」にある通りジーナは賭けに勝利している。それは、ラスト直前のシーンでホテル・アドリアーノにポルコの飛行艇が停泊していることからジーナは賭けに勝ったということが分かる(下の画像の赤丸部分)。
次に見るときには是非とも確認してみてください。
ジーナはなぜ飛行艇乗りと3回も結婚したのか?
ジーナが3回結婚したのは、ポルコを除く幼馴染の飛行艇乗りたちである。彼女は「ならず者」に惹かれつつも、結婚相手には「自分が支配できるならず者」を選んだ。その基準は「言うことを聞いてくれそうな順番」であり、幼馴染としての経験に基づいていた。ポルコ(マルコ)は、その中で最も自由で「支配しづらい存在」だったため、最後の4番目となった。彼女がカーチスの求婚を断った理由も、カーチスの「支配しづらさ」で説明できる。
映画本編中でジーナは飛行艇乗りと3回結婚したということが語られる。周りには飛行艇乗りばかりだったから結局そうなったということはある程度理解できるのだが、3回も死別しているのに4回目も飛行艇乗りのポルコであるのは少々学びが少なすぎるように思える。
しかも、カーチスの熱烈なプロポーズを、4番目にようやく「賭け」を始めたポルコのために断っている。
カーチスは腕のあるパイロットだし、本編の最後では俳優になっていることも語られているため「いい男」であることは間違いないだろう(好みでなかったということはあるかもしれない)。
どうもジーナの行動には不可思議な側面が残る。「色恋なんてそんなもの」というファイナルアンサーでも良いのだが、この辺のジーナの心情をこねくり回すことで上の「結論」に個人的にはたどり着いた。詳しい解説は以下の記事で行っている。
上の記事では最終的には宮崎駿が敬愛するサンテグジュペリの話題についても言及している。
「紅の豚」が「楽しい映画」である理由は?
「紅の豚」という作品の最大の魅力は「楽しい」ということだろう。
「もののけ姫」以降の作品はどうも深刻な雰囲気がその作中に漂っているが、「紅の豚」は最初から最後までとにかく楽しい雰囲気であふれている。
何やら意味ありげでもある「紅の豚」という作品を単に「楽しい」というのもはばかられると思うかもしれないが、私は作品を見たときにおそらく多くの人が感じたであろう「楽しい」という気持ちに素直になることも大事だと思う。
この「楽しさ」を生み出している具体的な要素として以下の3つのものが挙げられると思う。
理由①:「ワレエンジンフチョウ」(マンマユート団のユーモア)
ここからは個人的に面白いと思うシーンを振り返ろうと思うが、最初のシーンはやはり「ワレエンジンフチョウ、エンジンフチョウ」とマンマユート団の発言だろう。
そもそも誘拐した子どもたちを極めて丁寧に扱っている姿を見せられていることで、「ああ、マンマユートの連中は犯罪を犯しているけど悪人ではないんだ」という「安心」を植え付けられているのだけれど「エンジンフチョウ」というセリフで「安心」が「笑い」に昇華するのである。
ポルコが見せた華麗な空中戦のあとだったことも良かったのかもしれない。「緊張と緩和」というやつですね。
理由2:カーチスの強靭な肉体(と涙ぐましい努力)
次に上げるべきはやはりカーチス再登場のシーンだろう。

あまりにも露骨で「こんなもので笑ってなるものか!」と少々意地になってしまいそうにもなるが、ここは素直になろう。あのシーンは面白いよ。
そして何より、あの瞬間に至るまでカーチスが隠れて待っていたという事実にじわっと来る。
しかも、その存在がマンマユートの連中にバレていないという事実を考えると、カーチスは一番最初にあの島にたどり着き、飛行艇を隠してじっと待っていたということになるだろう。
なんとも涙ぐましい努力である。
理由3:天才同士の「殴り合い」という決着
そして最後は「殴り合う二人の天才」の姿である。飛行機好きの宮崎監督渾身のドッグファイトが描かれたあとに、なぜか二人は殴り合うのだ。

「なぜ殴り合うのか?」という疑問を解決するためには「殴り合わなかったらどうなるか」を考えればよい。
ラストが殴り合いにならなかったとしたら、ドッグファイトで決着がついてしまう。つまりどちらかが死ぬことになる。
それは「楽しい映画」である「紅の豚」のラストとして全くふさわしくない。
カーチスがポルコに敗れればポルコは本当に世捨て人になるのだろうし、ポルコがカーチスに敗れれば「男の物語」として終わる。いずれにせよ「いい映画感」は出るのだけれど、「紅の豚」のラストとしてはふさわしくない。
やはり、二人の天才がアホみたいに殴りあうラストこそが「楽しい映画」としての「紅の豚」のエンディングにふさわしいだろう。
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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