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眠れる森の美女(ディズニー版)】ネタバレあらすじとその面白さを考察-優れた作品にあふれる愛すべきツッコミどころと原作との違い-

夕暮れの森の奥にそびえ立つ城と、「「眠れる森の美女」ってどんな話?」というテキスト
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「眠れる森の美女(Sleeping Beauty)」は1959年1月2日にアメリカで公開されたアニメーション映画である(日本公開は1960年7月23日)。制作会社はウォルト・ディズニー・プロダクションとなっている。

ディズニーの公式ページにあるように、原作は1867年に出版されたシャルル・ペローの童話集「Les Contes de ma mère l’Oye」に収められた「眠れる森の美女(La Belle au bois dormant)」となっているが、もともとはヨーロッパの古い民話である。グリム童話の「いばら姫」も知られているが、「グリム童話集」が出版されたのは1812年(第1巻が1812年、第2巻は1815年)となっており、グリム童話よりも前のものを原作としている。

ただし、実際には独自の脚色や省略が多くなされており「原案」と見るのが自然であると思われる上に、どちらかと言うと我々がよく知るグリム童話が元になっていると考えたほうが分かりやすい(参考:青空文庫「眠る森のお姫さま」、ペロー版の邦訳)。

今回はそんな「眠れる森の美女」のあらすじを振り返りながらその面白さを考察していこうと思う。

結果的には少々茶化してしまっているのだが、それはそれで古い作品の楽しみ方であると信じるところである。

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AIによる音声サマリー

この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。

  • 原作から大胆に脚色された物語
    あらすじはペローの童話が元だが、「真実の愛のキス」や「マレフィセントとのドラゴン対決」など、原作にはないディズニー独自の展開が多い。特に原作の重要要素である「100年の眠り」が省略されているのが大きな特徴である。
  • 怒りすぎなマレフィセントと魅力的な魔法描写
    祝宴に招かれなかっただけで死の呪いをかけるマレフィセントの怒りは過剰に見えるが、それが派手で魅力的な魔法シーンを生む原動力となっている。物語の整合性よりも、アニメーションとしての魔法表現が優先されていると解釈できる。
  • 都合の良い恋とすぐれた映像表現
    王子との恋は「真実の愛」というより「都合の良い一目惚れ」に近く物語上のツッコミどころだが、それを補って余りある映像表現の素晴らしさこそが本作の最大の魅力。脚本よりも映像で魅せる作品の好例と言える。

眠れる森の美女」のあらすじ(ネタバレ有り)

薄暗い城の一室に置かれた糸車と、「100年も眠らない物語」というテキスト

簡単なポイントまとめと原作との違い

「眠れる森の美女」のあらすじのポイントは以下のようになる:

あらすじのポイント
  1. オーロラ姫の誕生とマレフィセントの呪い
    待望の王女オーロラ姫の誕生祝賀会に招かれなかった魔女マレフィセントは、「16歳の誕生日に糸車の針で指を刺して死ぬ」という呪いをかける。しかし、良い妖精の魔法によって、呪いは「100年の眠りにつき、真実の愛のキスによって目覚める」というものに弱められた。
  2. 森での出会いと呪いの成就
    呪いを逃れるため森で育った姫は、16歳の誕生日にフィリップ王子と恋に落ちる。しかし、城に戻った姫はマレフィセントの魔力によって糸車の針で指を刺し、深い眠りについてしまう。姫を救える王子もまた、マレフィセントに捕らえられてしまう。
  3. 王子と魔女の対決、そして真実の愛のキス
    妖精たちの助けで牢獄を脱出したフィリップ王子は、巨大なドラゴンに変身したマレフィセントとの激しい戦いに勝利する。城にたどり着いた王子が眠るオーロラ姫にキスをすると呪いは解け、二人は結ばれて王国に平和が戻った。

続いてペロー版の原作との違いを見ていこう。

原作の物語との違い

「眠れる森の美女」の原作はシャルル・ペローによる童話となっているが、その原作との違いは以下のようになっている:

ポイント ペロー版(青空文庫) ディズニー版
妖精とマレフィセント 教母となる妖女が国じゅうから招かれ、その数は七人。招かれなかった年老いた妖女が呪いを与える。 良い妖精3人(フローラ/フォーナ/メリーウェザー)と、悪しき魔女マレフィセントの対立構図。
呪いの内容 「紡錘で指を刺して死ぬ」呪い。若い妖女が百年の眠りに弱める(キスについての言及はない)。 「16歳の誕生日の日没までに死ぬ」呪い。メリーウェザーが眠りへ弱め、「真実の愛のキス」によって解除される。
姫の育て方 姫は宮廷で育つ。森に隠して庶民名で暮らす展開はない。 妖精3人が森で養育。姫はブライア・ローズの名で育つ。
糸車の場面 城の塔で糸をつむぐ老女に会い、好奇心から紡錘を手にして自ら指を刺す。 マレフィセントが魔法で誘導し、緑光の糸車へ導く。姫は意思に反して指を刺す。
眠りの範囲 姫だけでなく城の人びと・動物・火・串までもが同時に眠る。 城の人々を眠らせたのは妖精たち
王子との関係性 事前の顔合わせ・婚約はなし。百年後、王子が茨を抜けて到来し初対面。 幼少期から政略的婚約予定。森で身分を知らずに先に恋に落ちる
目が覚める描写 満期と王子の到来で目覚める(接吻描写なし)。 フィリップ王子のキスで解除・覚醒。
クライマックス 戦闘の山場はなく、到来と覚醒で静かに収束。 マレフィセントがドラゴン化し、王子が「真実の剣」で討伐。
年齢・期限表現 姫は十五〜十六歳ほどで事故。明確な「日没まで」の締切はない。 16歳の誕生日の日没までに呪いが発動と明言。
糸車への対処 国王が紡錘禁止を布告。 ステファン王が国中の糸車を焼却させる。
王子の受難 特段の拉致・監禁はなし。 マレフィセントが拉致・幽閉。妖精が救出。

特筆すべきは、原作においては「キスによって目が覚める」という描写はないということだろう。この描写はおそらくはグリム童話の「いばら姫」が元になっていると思われる。

さらに「100年の眠り」は完全に省略され、王子のキスによって比較的短時間で目が覚めることになっている。

ここからはもう少し詳しくディズニー版の「眠れる森の美女」のあらすじを見ていこう。

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オーロラ姫の誕生とマレフィセントの呪い

遠い昔、とある国のステファン王と妃のもとに、待望の王女オーロラが誕生します。王女の誕生を祝うため、城では盛大な祝宴が開かれ、隣国のヒューバート王とフィリップ王子も招かれました。二人の王は、将来的な王国の統合を願い、オーロラ姫とフィリップ王子の婚約を発表する予定でした。

祝宴には、三人の良い妖精、フローラ、フォーナ、メリーウェザーも訪れ、オーロラ姫に贈り物を授けます。フローラは「美しさ」を、フォーナは「歌声」を贈りました。しかし、メリーウェザーが贈り物をしようとしたその時、祝宴に招かれなかったことを恨んだ悪しき魔女マレフィセントが現れ、王女に恐ろしい呪いをかけます。それは、「16歳の誕生日の日没までに、糸車の針で指を刺して死ぬ」というものでした。

悲しみに包まれる城の中で、メリーウェザーが最後の希望となります。彼女は魔法の力で呪いを完全に解くことはできませんでしたが、「死ぬ」のではなく「100年の眠りにつき、真実の愛のキスによって目覚める」という形に呪いを弱めることに成功しました。

森での密かな生活

娘の身を案じたステファン王は、国中の糸車をすべて焼き払うよう命じます。一方、三人の妖精たちは、マレフィセントから姫を守るため、森の奥深くで彼女が16歳になるまで育てるという計画を立てました。王と妃は断腸の思いでその計画を受け入れ、オーロラ姫を妖精たちに託します。正体を隠すため、姫は「ブライア・ローズ」という名で育てられることになりました。

その頃、マレフィセントは手下にオーロラ姫の捜索を命じていましたが、16年もの間、見つけ出すことができずにいました。その間抜けな理由は、手下たちが「生まれたばかりの赤ん坊」を探し続けていたからでした。

運命の出会いと呪いの成就

16歳の誕生日を迎えたオーロラ姫(ブライア・ローズ)は、森で歌っていると、偶然通りかかったフィリップ王子と出会います。二人は互いの身分を知らないまま、一目で恋に落ち、その夜に再会を約束しました。

しかし、家に戻ったオーロラ姫は、妖精たちから自分の正体と、既に許嫁がいることを告げられます。愛する人との突然の別れと、見知らぬ王子と結婚しなければならない運命に姫は深く悲しみます。後ろ髪を引かれる思いで、姫は妖精たちと共に城へ向かいました。

しかし、マレフィセントの使いであるカラスが、成長したオーロラ姫を発見していました。城で一人悲しむ姫の前にマレフィセントが現れ、魔法で姫を誘い出し、緑色の光で作り出した糸車へと導きます。そして、オーロラ姫は自らの意思に反して針に指を刺し、呪いの通り深い眠りに落ちてしまいました。

王子と魔女の対決

オーロラ姫を目覚めさせることができる唯一の存在、フィリップ王子を阻止するため、マレフィセントは彼を拉致し、自身の城の牢獄に幽閉します。彼女は、王子を100年間閉じ込め、老婆になった頃に解放し、老婆のキスで姫を目覚めさせるという残酷な計画を立てていました。

しかし、三人の妖精たちがフィリップ王子の救出に向かいます。妖精たちの魔法の力を借りた王子は城を脱出。怒り狂ったマレフィセントは、巨大なドラゴンに変身して王子の行く手を阻みますが、激しい戦いの末、フィリップ王子は真実の剣でドラゴンを打ち倒すことに成功します。

真実の愛のキス

城にたどり着いたフィリップ王子が、眠るオーロラ姫に優しくキスをすると、呪いは解け、姫は長い眠りから目を覚まします。城全体も再び活気を取り戻し、二人の愛が王国を救ったのです。

その後、オーロラ姫とフィリップ王子は人々に祝福されながら結ばれ、末永く幸せに暮らしました。

眠れる森の美女」の面白さの考察-ツッコミどころに見る映像作品としての素晴らしさ-

城のホールで妖精たちが魔法をかける様子と、「作品を彩る素晴らしき魔法描写」というテキスト

可愛すぎる動物たち

「眠れる森の美女」における最大の魅力と言っても過言ではないのは、オーロラ姫が育った森の動物達の可愛さではないだろうか。

これは別に「眠れる森の美女」に限ったことではなく、ディズニー・アニメの一般論ではあるのだけれど、とにかく動物が可愛い。

当時のディズニー・アニメ特有の不思議なヌルヌル感も見事にマッチしているし、なんというか「こうであってほしい動物たちの姿」が見事に表現されていると思う。あんな動物たちになら囲まれて生きていたい。

まあ、実際の動物はあれほどもまでに愛らしい存在でも、人間に寄り添ってくれる存在でもないと思うのだが、何故か我々人間は動物たちにあのような存在であってほしいと願っているようだ。そういう不可思議な思いが見事にアニメーションとして実現されているのだろう。

マレフィセント怒りすぎ問題

さて、ここからは少々茶化しを入れていこうと思うのだが、ディズニー版の「眠れる森の美女」最大のツッコミどころは、マレフィセントが怒りすぎということだろう。

彼女はオーロラ姫の誕生を祝う祝宴に呼ばれなかったことを理由に「100年の眠り」というとんでもない呪いをかける(王女に呪いをかける理由は、ペロー版でもグリム版でも同じ)。もちろん不愉快なのは分かるのだが、生まれたばかりの子どもにかける呪いとしては大きすぎなものだと思う。

もちろん、原作において一番重要なのは「100年眠っている王女様がいる」という状況そのものであるので、その理由が少々短絡的であることはしょうがない。

しかし、ディズニー版では、王女は100年の眠りにつかないばかりか、寝てすぐに王子様のキスで目覚めてしまう。「100年の眠り」という最大のギミックが完全に省略されてしまっている状況下では、マレフィセントの怒りと呪いのアンバランスさが目立ってしまう

ただ、逆に考えると、ディズニー版で描きたかったことは全く別の部分だったと考える事もできる。

これは想像するしかないのだが、あの作品で最も重要視されたのは「魔法の描写そのもの」だったのではないだろうか?

そう考えて魔法の描写に目を向けてみると、なんとも魅力的なものであることに気がつく。現代のアニメーションを知っている我々にとっても(あるいは、だからこそ)、「すごいな~」と思えるのではないだろうか。

元々キャラクターの動きなどアニメーションとしての表現は優れているのだけれど、魔法がきちんと不思議で力強く妖しいものとして描写されており、結果として「内容を知っているのに何度見ても面白い作品」として完成しているのではないだろうか。

マレフィセントは確かに怒りすぎだとは思うけれど、原作においては「100年の眠り」という魅力的なギミックのためであり、ディズニー版では「たくさん魔法を描くため」という位置づけにすることができるのではないだろうか。

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真実の愛というには都合が良すぎるフィリップ王子

「眠れる森の美女」といえば、呪いによって眠りについた王女が、真実の愛のキスによって目覚めるというところに物語の「美しさ」があることになっていると思うのだが、どうだろうか、「真実の愛」というには少々都合が良すぎるように思える。

フィリップ王子とオーロラ姫を幼少期に一度出会わせているところは構成上はうまいこといっており「運命の二人」という演出はなされていると思うのだが、実質的には16歳になるオーロラ姫と森で出会ったのがファーストコンタクトである。

フィリップとしては美しく成長したオーロラ姫に「一目惚れ」したわけだ。

はっきり言ってそれは、オーロラ姫の見た目が良かったからに過ぎず、我々が一般に「真実の愛!」という場合の思いとは少々、いや、大分差がある描写になっているといって差し支えないと思われる。

本編を見ると、フィリップ王子の方も勝手に決められた相手との政略結婚を快くは思っておらず、どこか現実逃避したい気持ちにかられていたことも想像される(そもそも、後に王とならなくてはならない)。そんな中で、オーロラ姫という美女に出会ったことで、現実から逃げる良い言い訳が出来たということだったのではないだろうか。

結局、この作品においては「オーロラ姫とフィリップ王子の恋物語」ですら、小さなものとして扱われているということになると思う。

先述した通り、このアニメで描きたいのは「魔法」なのである。アニメーション表現としての「魔法」を描き切るという野心の前には、「真実の愛」を描写する必要性は消え去ってしまったのだろう。

それでもなお、アニメーションとして優れているが故にやっぱり面白い。

アニメーションなどの映像作品の本質は、脚本や物語ではなく、映像表現そのものであるということがよく分かる作品となっているのではないだろうか。そういう意味では、おとぎ話ならではの物語上の「不備」も必ずしも悪いものではないと言えるのではないだろうか。


以上が個人的に考えた「眠れる森の美女」の面白さでございます。物語上のツッコミどころは、いわゆる「おとぎ話」が原作になっていることが主な原因となっていると思われるし、それ全部補正しようとすると、どんどん尺が伸びてしまうという問題も生じるだろう(3時間でも足りないかも)。

ここで考えたような物語上の不備は後のディズニー作品「マレフィセント」でうまいこと修正されているのだと思う。ただ、主人公をマレフィセントにして、大幅な解釈の変更があるため、別物と考えたほうが良いは良い。しかし、「眠れる森の美女」にあったツッコミどころを片っ端から潰していると考えて「マレフィセント」を見るの面白いかも知れない。

以上!

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Sifr(シフル)
北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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