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E.T.】ネタバレあらすじと考察-E.T.は何故、川辺で倒れ、そして復活したのか?-

「『E.T.』ってどんな話?」というタイトルのアイキャッチ。月明かりが差す夜の森に宇宙船が停泊し、地面には不思議な光の輪が描かれている。
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「E.T. The Extra-Terrestrial」は1982年12月4日に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督による劇場用作品である(米国公開は1982年6月11日)。

おそらくは、子供の頃に金曜ロードショーで放送されたのを見たのが最初だったと思う。子どもの頃に私の心を掴んでいたのは、

  • 不思議な形の宇宙船(とその内部)
  • あまりにも美味しそうなマーブルチョコレート(実際にはチョコではなく「Reese’s Pieces(Wikipedia)」というお菓子で中身はピーナッツバター)
  • ガラクタを集めて作った通信装置

であった。そんな「E.T.」だが、大人になって見てもその面白さは変わらず、むしろ視点が増えたことによってより面白い作品となっていると思う。

そんな「E.T.」において最も重要な存在はもちろん宇宙人であるE.T.となるのだが、現在人類は地球外の知的生命体と接触していないので、その存在はもちろんフィクションという事になる。

そしてこの映画にはもう一つ重要なフィクションが描かれている。つまり、「E.T.の死と復活」である。

今回はこの「死と復活」を中心に映画「E.T.」について考えていこうと思う。フックとなる問題意識は「『宇宙人』というフィクションに加えて、何故『死と復活』というフィクションを重ねる必要があったか」。

上記の問題意識の下に、この記事では最終的に「E.T.が倒れていた場所が川辺だった理由」、「E.T.の死と復活が描かれた理由」について考え、最終的には物語の最初から登場する「鍵束の男の謎」に迫っていこうと思う。

まずは映画「E.T.」のあらすじを振り返ろう。

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AIによる音声サマリー

この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。

  • 巧みな演出で描かれるE.T.の親しみやすさ
    物語冒頭の植物採集や、友情の証となるお菓子(Reese’s Pieces)といった演出により、E.T.が侵略者ではなく「安全で親しみやすい存在」であることが言葉に頼らず巧みに示されている。さらに高度な知性と子供のような無邪気さという「二重性」が、キャラクターに深みを与えている。
  • 孤独を埋める「イマジナリーフレンド」としてのE.T.
    E.T.は、父の不在による孤独を抱えるエリオットの分身であり、監督自身の両親の離婚という原体験から生まれた「イマジナリーフレンド」が具現化した存在。そのため、明確な宇宙人でありながら、エリオットの内的世界に存在する「二重性」を持つキャラクターとして描かれている。
  • 孤独」という病がもたらすE.T.の死と復活の謎
    E.T.の衰弱と死は、「孤独」という心理的ダメージが物理的なダメージとして表現されたもの。川辺で倒れていたのは、地球(こちら側)と故郷(あちら側)の境界で死ぬほどの苦しみを感じていたことの象徴である。仲間の宇宙船の接近により孤独から解放されたことで、奇跡の復活を遂げた。
  • 未来のエリオットを暗示する「鍵束の男」の役割
    物語への関与が薄い「鍵束の男」は、E.T.との別れを経験しても立派に成長できるエリオットの未来の姿を保証する存在。さらに、孤独や悲しみを乗り越えて大人になったスピルバーグ監督自身を投影したキャラクターとして配置されている。

映画「E.T.」のあらすじ(ネタバレあり)

「奇跡の出会いと別れ」というタイトル。満月が照らす夜、一軒家へと続く道にカラフルなお菓子が点々と置かれている。

簡単なポイントまとめと、人物相関図そして解説

あらすじのポイント
  1. 孤独な異星人との出会い
    地球に一人取り残された異星人は、少年エリオットの家に隠れる。エリオットと兄妹だけが彼の存在を知り、「E.T.」と名付けて秘密の同居生活を始める。
  2. 心の交流と迫る影
    エリオットとE.T.は秘密の同居生活の中で絆を深めていった。そんな中で、E.T.の故郷への帰還という願いを叶えるため通信装置作りを計画するが、彼らの存在を察知した政府機関の影が静かに忍び寄っていた。
  3. 政府の追跡と命の危機
    ハロウィンの夜、エリオットと共に森で交信を試み一晩を明かす。しかし翌朝E.T.は姿を消しており、後に衰弱した状態で発見される。家に連れ帰るも、ついに政府機関が家に突入し、瀕死のE.T.共々隔離されてしまう。
  4. 奇跡の復活と別れ
    一度は心停止するも、迎えの宇宙船を感じて奇跡的に復活したE.T.。エリオットは仲間たちの協力を得て隔離状態から脱出し、通信装置のある場所へ向かう。迎えの宇宙船が到着した森で、永遠の友情を誓い、エリオットとE.T.は別れを告げる。

人物相関図

「E.T.」の人物相関図

物語の解説

「E.T.」という映画で最も重要な存在はもちろん、宇宙人であるE.T.となる。したがって、基本的には「地球外生命体もの」ということになるのだが・・・どう考えても「エイリアン」や「プレデター」とは違う。というよりも、地球外生命体が登場するどんな物語とも似ていないかもしれない。

物語におけるE.T.の存在は、通常は出会えない、自分の常識の外にある何かという側面がもっとも重要であると思われる。

それは、見たことのない動物でもいいし、太古から生き残っていた恐竜でもいいし、森で出会った妖精でも構わない。

いちばん大事なことは、エリオットという少年が「父のいない寂しさ」を抱えていることであり、E.T.という存在がそういう「寂しさ」を共有できる存在であったことである(E.T.は仲間に置いていかれたという別離の寂しさを抱えている)。

物語のラストで、結局そういう一心同体の存在と別れてしまうのだが、その事実が単なる悲しみではなく、少年エリオットの成長として描かれている。

そういう「寂しさ」と共有する存在として、「宇宙人」が選ばれたのは絶妙といえば絶妙であり、上で挙げた「見たことのない動物」、「太古の恐竜」、「妖精」と比べると、すでに「いそうな存在」となっていたことが良かったのではないだろうか。

ロズウェル事件(Wikipedia)」はとうの昔に発生しているし、アームストロング船長が月に降り立ったのは1969年だった。そして、監督自身も「未知との遭遇(1977年)」を作っている。

それと同時に人々の科学リテラシーも高くなっているので、確率論的に考えて、宇宙人がいないことのほうが不自然と思う感覚も醸成されていたかもしれない(そいつらが地球に来るかどうかは別にして)。

更に、この後で展開する「考察」でも引用するように、スティーブン・スピルバーグという監督のインタビュー記事を見ると、個人的な経験が色濃く反映されていることが分かる。この映画は、スティーブン・スピルバーグが幼少期に感じた寂しさ、そして両親の離婚にともなう離別の悲しさが色濃く反映された映画となっている。

しかも、スティーブン・スピルバーグはその寂しい時期に、いわゆる、イマジナリーフレンドとしての宇宙人を友人として持っていた。

「E.T.」という映画の物語性だけを考えれば、宇宙人が登場する必要はないのだが、時代背景やスティーブン・スピルバーグ本人の幼少期の体験も重なり、宇宙人が登場するに至ったということになると思う。

ここからはもう少し詳しくあらすじを振り返り、より深い考察の準備を進めていこうと思う。

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未知との遭遇

アメリカのとある住宅街に近い、静まり返った杉林。ある夜、そこに謎の宇宙船が停泊していた。乗組員である異星人たちは、地球の植物を慎重に採取している。しかし、そのうちの一体が仲間から少し離れた瞬間、複数のヘッドライトが林を照らし、人間たちが乗った車が猛スピードで接近してきた。仲間の異星人たちは急いで宇宙船へと避難するが、はぐれた一体は慌てて後を追うも間に合わず、宇宙船は彼を置き去りにして飛び立ってしまう。

少年との出会い

行き場を失った異星人は近くの住宅街へ逃げ込み、とある家の物置に身を隠す。その家に住む少年エリオットは、物置に何かの気配を感じ、兄のマイケルやその友人、母のメアリーを呼びに行く。しかし、彼らが駆けつけた時にはすでに異星人の姿はなく、物音の正体は「コヨーテだろう」と結論づけられてしまう。

しかし、納得できないエリオットは、一人で懐中電灯を片手に捜索を開始。後を追って入った広大なトウモロコシ畑で、ついに異星人と対面する。しかし、互いに上げた驚きの声に、異星人は再び闇の中へと消えてしまった。

翌日も捜索を続けるエリオット。その夜の食卓で、彼は自分が見た不思議な生き物の話を家族にするが、兄や母、そして幼い妹のガーティさえも、彼の話を信じようとはしなかった。エリオットは、別居中の父なら信じてくれるはずだと呟くが、その一言で家族の雰囲気は重く沈んでしまう。

秘密の同居生活

その夜、エリオットは物置の近くで異星人と再会を果たす。異星人は、昼間にエリオットが捜索中に落としたお菓子(Reese’s Piecesというマーブルチョコレートのようなお菓子、中身はピーナッツバター)をそっと差し出した。エリオットはそれを道しるべにして、異星人を自分の部屋まで誘導することに成功する。言葉は通じないものの、身振り手振りで意思疎通を図り、疲れたエリオットはいつしか眠りについていた。

翌日、仮病で学校を休んだエリオットは、クローゼットに隠した異星人との交流を深める。学校から帰宅した兄マイケルと、偶然部屋に入ってきた妹ガーティにも異星人の存在が知れ、こうして彼の存在は3人兄弟だけの秘密となった。

異星人は、その不思議な力でソーラーシステムの模型のボールを浮かび上がらせ、自分が地球外から来た生命体であることを彼らに示した。兄の友人から「エキストラ・テレストリアル(地球外生命体)」という言葉を聞いたエリオットは、その日から異星人を「E.T.」と呼ぶようになる。

深まる絆と故郷への想い

不思議なことに、エリオットとE.T.の間には感覚を共有するシンクロ現象が起き始める。E.T.が家で冷蔵庫のビールを飲むと、遠く離れた学校にいるエリオットが授業中に酔っぱらってしまい、E.T.が頭をぶつけるとエリオットも痛みを感じるのだった。

エリオットが家に帰ると、E.T.はテレビ番組や妹ガーティの助けによって、片言の言葉を話せるようになっていた。そして、「E.T. オウチ デンワ」と告げ、故郷の仲間と連絡を取りたいという切実な願いをエリオットたちに伝える。エリオットたちは、E.T.のために通信装置の材料になりそうなものを家中から集め始める。その最中、エリオットが指に怪我を負うが、E.T.は光る指先でその傷を瞬時に癒やしてくれた。

ハロウィンの夜の計画と忍び寄る影

集めたガラクタを使い、E.T.は見事に通信装置を組み上げた。ハロウィンの夜、エリオットたちはE.T.にシーツを被せてゴーストに仮装させ、お祭りの喧騒に紛れて森の奥深くへと連れて行く。そこで通信装置を設置し、故郷へのメッセージを送ろうという計画だった。

しかし、エリオットたちが家を空けている間、怪しい影が家に忍び寄り、E.T.の痕跡を探っていた。政府機関が、すでに行動を開始していたのだ。

突然の別れと命の危機

森で一夜を明かしたエリオットが目を覚ますと、隣にいたはずのE.T.の姿が消えていた。ひどく衰弱し、寂しさを感じながら家に帰ると、母が警察と話している。体調を崩したエリオットは、兄のマイケルにE.T.を探してほしいと必死に頼む。マイケルは自転車で森へ向かい、追跡してくる怪しい車をなんとか振り切って、川辺で白く変色し力なく倒れているE.T.を発見。急いで家に連れ帰る。

瀕死の状態のE.T.を前に、マイケルたちはついに母にすべてを打ち明ける。しかし、母が事態を飲み込む間もなく、宇宙服に身を包んだ政府機関の人間たちが家に突入してきた。彼らはエリオットの家を瞬く間に隔離施設に変え、E.T.とエリオットの治療と調査を開始する。

調査の中で、二人の脳波が完全にシンクロしていることが判明する。一人の科学者はエリオットに「私も10歳の頃から彼を待っていた。死んでほしくない」と静かに語りかける。彼は森に残されていた通信装置をすでに見つけており、エリオットとの会話から、それがE.T.の仲間を呼ぶためのものだと理解した。

奇跡の復活、そして大脱出

治療が続く中、エリオットとE.T.の脳波のシンクロが突然途切れてしまう。翌朝、エリオットはすっかり回復していたが、E.T.の様態は急変し、心臓が停止。E.T.は冷凍コンテナに収められてしまう。悲しみに暮れるエリオットが、動かなくなったE.T.に一人で語りかけていると、突然E.T.の胸が赤く光り出し、心臓が再び動き出す。

故郷からの迎えが来ることを感じ取ったようだった。E.T.は奇跡の復活を遂げた。エリオットは兄マイケルと共謀し、E.T.が入ったコンテナをバンに乗せて決死の逃走を図る。警察に追われる中、マイケルの友人たちも自転車で合流し、E.T.の超能力にも助けられながら、彼らは森を目指して突き進む。

永遠の友情と別れ

彼らが通信機を置いた森の広場にたどり着くと、夜空から巨大な宇宙船がまばゆい光と共に舞い降りてくる。

そこへ、科学者と共に母とガーティも駆けつける。宇宙船に乗り込む前、E.T.はエリオットに「行こう(come)」と誘うが、エリオットは涙を浮かべて首を振り「いるよ(stay)」と答える。E.T.は光る指でエリオットの額にそっと触れ、二人は固く抱きしめ合う。そして別れの言葉を交わし、E.T.は宇宙船へと乗り込んでいく。

宇宙船はまばゆい光と共に飛び立ち、あっという間に夜空の彼方へ消えていく。その軌跡には、まるで二人の友情を祝福するかのように、美しい虹が架かっていた。

映画「E.T.」の考察

「『孤独』という『死に至る病』」というタイトル。夜の川辺で、倒れた植木鉢から咲く一輪の赤い花と、傘が乗った古いラジオが置かれている。

スティーブン・スピルバーグの巧みな映像表現-一撃で分かるE.T.の「安全性」と「親しみやすさ」

物語の冒頭、E.T.が地球の植物を興味深げに採集する姿は、彼が侵略者ではなく、知的な探求者であることを分かりやすく表現しており、観客に「安全な宇宙人」という第一印象を見事に与えている。

これだけでもE.T.という存在の「人畜無害さ」は十分表現されているのだが、お菓子(「Reese’s Pieces」)というギミックでそれが決定的となる。

E.T.は、エリオットがその捜索中に森で落としたお菓子を拾っており、二度目の接触の際にそれを差し出すシーンが描かれる。子供にとって「お菓子」がどれほど大切で、友情の証となりうるかを巧みに利用し、「友だちになれる宇宙人」であることを言葉に頼らず映像だけで描き出している

「お菓子の利用」という観点では、例えば『火垂るの墓』におけるドロップにその類似を見ることが出来るかもしれない。ドロップという「お菓子」が「子どもが子どもでいられる時間」の象徴として登場し、それが枯渇することによって決して戻ることのない大切な時間が失われたことが表現されている。それは「お菓子」というものが、子どもにとって一心同体の存在であるからこそ意味のある表現となっていると思う。

いずれにせよ、「ささやかな何か」が持つ意味を最大限に活用するものであり、スティーブン・スピルバーグ監督の手腕が光る演出と言えるのではないだろうか。

高度な知性とペット的な可愛さの「二重性」

E.T.は地球外から宇宙船で飛来するほどの高度な科学技術を持つ存在である。しかしその一方で、エリオットが言葉を教えようとする場面では、車のおもちゃを口に入れてしまうなど、まるで幼い子供のような無邪気さも見せる。

このアンバランスさが、E.T.の「ペット的可愛さ」を生み出し、キャラクターに深みを与えている。この「二重性」は、それまで物語に登場していなかったペットの犬ハービーが、突如現れてE.T.を激しく威嚇するシーンよっても効果的に描かれている。

ハービーはE.T.を、自身の縄張りや飼い主の愛情を奪う「敵」として認識したのかもしれない。それは、この瞬間のE.T.が、ハービーと同じ「ペット」という領域にいる存在として描かれていることを示しているのではないだろうか。

このように、「宇宙人だが人畜無害」、「宇宙人だが友だちになれる」、「宇宙人だがペットのよう」という準備を経たことで、E.T.は単純な「宇宙人」を超えた存在となっていく

存在しているが、存在していない何か」としてのE.T.-分身であるエリオットとE.T.-

コミカルに描かれる「非存在」

妹のガーティにE.T.の存在を秘密にするため、エリオットはとっさに「大人には見えない」と嘘をつく。しかしこのセリフは、単なる子供の口からでまかせではなく、E.T.という存在が持つ「存在するが、存在しない」という二重性を、主人公自身の言葉で語らせる重要なシーンともなっている。

この二重性は、後日、母親がガーティと一緒にいる場面でも見事に視覚化されている。ガーティがすぐそばにいるE.T.を母親に紹介しようとするが、母親の視線が絶妙なタイミングで外れたり、E.T.が物に隠されたりして、決してそのの姿を認識することがない。なんともコミカルなシーンではあるが、E.T.が子供の世界には確かに「存在」するが、大人の現実からは「存在しない」かのように扱われる不思議な存在であることを見事に表現している。

スティーブン・スピルバーグ監督が経験した父不在の幼少期と離婚

では、何故E.T.を「存在しているが、存在している何か」という微妙な存在として描かれなければならなかったのか。それは、どう考えても映画の内容とは関係がない「不在の父」がこれでもかと描かれていることがヒントになるだろう。それはスティーブン・スピルバーグ監督の経験が関係している。

エンジニアであったスティーブン・スピルバーグの父は仕事人間で、子供の頃には寂しい思いをしていたようである。2012年に放送されたCBSの「60MINUTES」(CBSの記事のリンク、英語)でも以下のように語っている:

“I missed my dad a lot growing up, even though we were together as a family. My dad was really a workaholic. And he was always working.”

「一緒に暮らしているときですら、父がいなくていつも寂しかった。父は仕事一筋の人間で、いつも仕事をしていたんだ」

両親は後に離婚し、スティーブン・スピルバーグは父と暮らしていたが、父親がその責任をかぶって、監督自身も字面通りに父の言葉を受け取って長く父を責めるという内面的な距離もあった(後に和解)。

一方で、やはり離婚そのものもスティーブン・スピルバーグにとっては大きな痛手だったようで、映画評論家のロジャー・イーバートによるインタビューで以下のように答えている(RogerEbert.comの記事のリンク、英語).

“From the very beginning,” Spielberg said, ” ‘E.T.’ was a movie about my childhood – about my parents’ divorce, although people haven’t often seen that it’s about divorce. My parents split up when I was 15 or 16 years old, and I needed a special friend, and had to use my imagination to take me to places that felt good – that helped me move beyond the problems my parents were having, and that ended our family as a whole. And thinking about that time, I thought, an extraterrestrial character would be the perfect springboard to purge the pain of your parents’ splitting up.”

「最初からずっと」とスピルバーグは語った。「『E.T.』は私の子ども時代―両親の離婚―についての映画だった。映画を見た人は離婚の物語だとは考えなかったようだけれど。私の両親は私が15歳か16歳のころに離婚して、私は特別な友だちを必要としていた。そして、心地よい場所へ自分を連れていってくれる想像力を働かせなければならなかった―それは、両親が抱えていた問題や、家族が一つではなくなってしまったという現実を乗り越える助けとなった。あの時期のことを思い返すと、地球外の存在というキャラクターこそが、両親の離婚という痛みを乗り越えるための跳躍台になる考えていたのだと思う。」

以上のことをヒントにすれば、映画におけるE.T.が単純な「宇宙人」でないこと、そして「存在しているが、存在していない何か」として描かれた理由が見えてくる。

エリオット、そしてスティーブン・スピルバーグの分身としてのE.T.

上で引用した発言を前提にすれば、E.T.とは「スティーブン・スピルバーグのイマジナリーフレンドが具現化した存在」ということが出来るだろう。

そして「イマジナリーフレンド」とは、自らが作り出した存在であり自分と対話してくれる存在である。それはつまり内なる他人であり、実のところ、人は「イマジナリーフレンド」を通じて自分と対話するのである。

思えば、エリオットは父のいない孤独を抱え、E.T.は異世界に一人にされたという孤独を感じていた。二人は強烈な「孤独」を共有する存在となっていた。

そしてそんな二人は自然とその感覚を共有する存在となっていくのだが、それは、二つの存在がそもそも同じ一つのものであったことが表現されていたのである。

「E.T.」という映画の中で、E.T.は確かに存在している明確な宇宙人なのだが、その一方で、エリオット(そしてスティーブン・スピルバーグ)の孤独を埋めるイマジナリーフレンドとしても存在しているのである。

スティーブン・スピルバーグの一流の手腕によって、この2重性は映画を見る我々にきわめて自然に了解されて、その結果として、特に意識されないものになってしまっている。この辺も「E.T.」という映画の特筆すべき点であると思う。

そして、ここまでのことを前提にすれば、E.T.が川辺で倒れていた理由、そして、奇跡の復活を遂げた理由を考えることが出来ると思う。

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最大の謎:E.T.は何故、川辺で倒れて、そして復活したのか?

ここからは「E.T.」の死と復活について考えていきたいのだが、まずは、E.T.がなぜ徐々に消耗していったのかを考えなくてはならない。

人に深刻なダメージを与える「孤独」

これまで述べてきたように、「E.T.」という作品にはスティーブン・スピルバーグ監督の子供の頃の体験が色濃く反映されているのだが、それは「父の不在による寂しさ」、「家族が壊れたことの悲しさ」であった。

エリオットも同じような「父不在の寂しさ」を抱えていたし、E.T.は「仲間との別離の悲しさ」を抱えていた。さらに、E.T.は「置いていかれた」という寂しさも加わっていた。いずれも「孤独」を抱えていたとまとめる事ができるだろう。

E.T.の生命力の低下は、E.T.自身が復活させた花のしおれ具合で見ることが出来るようになっているが、最初に花がしおれ始めたのは、通信装置を組み上げているときだった。

あのシーンで生命力が低下する理由には解釈の幅があるのだが、「ガラクタを集めて通信機を作ろうとしてしまうくらいに彼の孤独は限界を迎え始めていた」と考えることも出来るのではないだろうか。「地球も悪くないじゃない!」と気楽なことを考えていれば、そもそも通信機など作らない。

そして、その孤独が彼の生命力を奪っているということは、「『孤独』、『悲しさ』、『寂しさ』といったネガティブな感情は、人に物理的なダメージを与えるものである。」ということを表明しているのではないだろうか。一言で言えば、「『孤独』とは死に至る病」ということだろう。

つまり、E.T.の生命力が徐々に低下していったのは「『孤独』に侵食されたから」ということになると思う。

E.T.は何故川辺で倒れていたのか?

ようやくこの記事の基本的な問題意識である「E.T.は何故川辺で倒れていたのか?」ということについて答えを出せる状況になったと思う。

そしてこの問題は実のところ、2つの問題に答えを出さなくてはならなくなっている。つまり「何故倒れていたのか?」と「何故川辺だったのか?」である。

・何故倒れていたのか?

まずは「何故倒れていたのか?」について考えてみよう。

あの前の晩、ようやく完成した通信機を稼働させ始めたのだが、そこでエリオットは「一緒に暮らそう」とE.T.に話しかける。

エリオットの中で、E.T.という友達との別離の悲しみが爆発していたということになる。

そして、エリオットと感覚を共有していたE.T.にもその悲しみがもろに流れ込んできてしまったのではないだろうか。

ただでさえ孤独の限界に達していたのに、エリオットの悲しみまでもが流れ込んできてしまったE.T.の生命力は著しく低下し、川辺で倒れ、最終的には心停止にまで至ってしまった

ネガティブな感情がもつ強烈なダメージをE.T.の姿を用いて描ききったということになると思う。

・何故川辺で倒れていたのか?

続いて、E.T.が川辺で倒れていた理由を考えていこう。

これも実のところ2つの問題を考える事になる。つまり、「何故エリオットの近くにいなかったのか?」と「何故倒れている場所として川が選ばれたのか?」という2つの問題である。

-何故エリオットの近くにいなかったのか?

お手製の通信機を稼働させた夜、エリオットは別離の悲しみにくれながら森の空き地で寝てしまう。

結果的にE.T.はひどく消耗した姿で発見されるのだが、別にエリオットの隣りで倒れててもおかしくはない。ところがE.T.は川辺で発見されたのである。

この件については完全に想像するしかないのだが、以下の可能性が考えられるのではないだろうか:

  • 宇宙船を探して空を見ながら近くを歩いていた。
  • 状況に変化があるまで、森の植物を観察していた。

今か今かと仲間の宇宙船を待っている時に、一つの場所にずっと留まっているということのほうが不自然といえば不自然なので、空を見ながら動き回っていたと考えたほうが自然だろう。

しかも、映画の最初に、E.T.達が植物を採集している姿が描かれているので、仲間の宇宙船を待つ間に、森の中の植物を見て回っていたとしても全くおかしくはない。

おそらくは上記2つのことが複合的に働いて、最終的に川辺にたどり着き、そこで倒れてしまったのだと思われる。

-何故倒れている場所として川が選ばれたのか?

続いて「川辺」の謎について考えていきたいが、一つの理由はもちろん「悲壮感が大きくなるから」だろう。川の水によって体温が著しく下がることは容易に想像され、単純に森の中で倒れているよりも悲壮感が大きく、その後の展開の華々しさがより強調される事になる。

しかし、ここではもう少し別の側面も考えてみたい。

ここで重要視したいのは「川」というものが「境界」を表す側面があるということである。

「川」は「こちら」と「あちら」の境界線であり、この場合「こちら」とは地球のことであり「あちら」はE.T.の故郷ということになるのではないだろうか。

したがって、川辺で倒れていたE.T.の姿は、「地球(こちら)」に取り残されて死ぬほどの「孤独」を感じていたことを映像的に表現していると見ることができると思う

どこに倒れていてもそれを表現できたとは思うのだが、「川」という境界線が選ばれたことで、見た目ではわからなかった「『こちら』にいることとの苦しみ」がよりわかりやすく表現されている。

このように考えれば、E.T.が倒れている場所として川が選ばれた理由を説明できるのではないだろうか。

E.T.はなぜ復活できたのか?

ここまで考えてきたことを前提にすれば、ラストでE.T.が復活できた理由もわかってくると思う。

一言で述べれば「人を死に至らしめる『孤独』から解放されたから」ということになるだろう。

E.T.の復活シーンでは、心臓のあたりが印象的に赤く光っているが、その意味は映画の最初できちんと描かれている。

映画のスタート時点で、森にやってきた人間から逃げるE.T.と宇宙船で待っている仲間のどちらの胸も赤く光っている。つまり、彼らはテレパシーで意思疎通が可能で、その能力を使っているときには胸が光るということになる。

したがって、E.T.が復活した時、テレパシーで通信できる程度に仲間が近くに来ており、そのことに気がついたから復活することが出来たということになる。

全くもってご都合主義ではあるのだが、ここまで考えてきたように、この映画において「心理的ダメージ」はそのまま「物理的ダメージ」を意味する。したがって、「心理的ダメージ」が癒やされれば「物理的ダメージ」の結果としての「死」も乗り越えることが出来ることになる。

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鍵束の男の謎-それでも懸命に生きたスティーブン・スピルバーグの分身-

最後に、物語の最初から登場した「鍵束の男」について考えてみよう。

物語の終盤、彼は科学者であることが分かるが、以下のような衝撃的な発言をする:

「私も彼の友達だ。私は10歳の頃から彼を待っていた。彼を助けたい。」

“He came to me, too. I’ve been wishing for this since I was 10 years old. I don’t want him to die”

言葉をそのまま受け取れば、彼は10歳の時にE.T.(あるいは何かしらの宇宙人)と出会い、その存在との再会をずっと待ちわびていた事になる。彼が科学者であることもそれが理由ということになるだろう。

ただ、問題となるのは、このような彼のバックグラウンドの設定が、大して「E.T.」という映画に深みを与えていないということである。

残念なことに、彼が存在していなくてもほとんどあの映画の価値に影響がない。物語の進行には大して関わってこないし、彼がいたことによって感動が倍増することはない。

それでもなお、巨匠スティーブン・スピルバーグはあの男を映画に登場させるべきと考えた。それは何故か?

それは、彼の姿こそ未来のエリオットであり、ラストでE.T.との別れを経験してもエリオットが立派に大人になれることを証明する存在となっているのではないだろうか。

もちろん、あのラストを見れば観客としてはエリオットは立派に大人になれるだろうと考えるのだが、「父不在」の問題は解決していないし、せっかく出来た一心同体の友との別離の痛手は存在して入る。

そのような状況下で、何か彼の将来を保証する存在を描く必要があったと考えてもおかしくはないかもしれない。

そして、よく考えてみると、エリオットの未来を最も端的に保証しているのはスティーブン・スピルバーグ自身である。

仕事人間であった父がいない悲しみや、離婚による別離の苦しみを抱えていたのはスティーブン・スピルバーグ本人であったし、E.T.は彼のイマジナリーフレンドであった。

しかし、そんな苦しみを抱えた彼も、一流の映画監督になった。少なくとも、立派な大人として生きている。だからこそ、エリオットの未来として立派な大人になった存在を描くことが出来たという見方もできるのではないだろうか。

つまり、鍵束の男は、多くの悲しみを抱えながら立派に大人になったスティーブン・スピルバーグの姿そのものということも出来ると思う。

この映画は様々な「2重性」を持ったものだったということが出来るかもしれない。


以上が私の考えた「E.T.」という映画でございます。結局のところ「面白い」が全てなのですが、せっかくなので色々と考えたことを書いてみました。

上で書いたことは、子供の頃に見て感じたことと結構異なっていることも多くなっています。例えば、E.T.が消耗した理由は特殊能力をたくさん使ったからと思っていました。そうでないとは言えませんが、そうであるという根拠もないものであるとは思います。

映画の楽しみ方は人それぞれであるので何だっていいのですがね。

皆さんにとって「E.T.」はどのような映画であったでしょうか。

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Sifr(シフル)
北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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