「クロノ・トリガー」は1995年にスクウェアから発売されたスーパーファミコン用RPGゲームである。
私の年齢からすると本来「ど真ん中」の作品なのだが、どういうわけか私が初めてプレイしたのは発売から10年以上も立っていた。ただその甲斐もあってか、作品のプレイ中様々なことを感じることが出来た。その一つが「LALAの悲劇」である。これについては以下の記事にまとめた:
そして今回取り上げたいのは「クロノ・トリガー」の魅力の一つである音楽について。
「クロノ・トリガー」は極めて優れたゲーム内音楽に彩られている。ゲームをプレイした人はその全てに魅了されたことだろう。
私が「クロノ・トリガー」をプレイする前に大学の友人にその魅力を聞くと、概ね「音楽」と答えていた。「音楽」が魅力なら大したゲームでもないと思っていた当時の俺を殴ってやりたいが、プレイする前には分からないこともあるということの良い例だろう。
そんな「クロノ・トリガー」のゲームな音楽については「どれが一番好きか」という問題がついてまわる。不朽の名作「風の憧憬」を挙げてしまうと「にわか」っぽさが出てしまうし、だからといって「時の回廊」にしてしまうと「わかってる感」が出てしまう。
そんな私が一番好きなゲーム内音楽に上げるのは・・・「カエルのテーマ」である。
個人的にはこれに決まっていると思うのだが、今回は何故この曲が最高なのかについて手短に述べたいと思う。
まずは「クロノ・トリガー」におけるカエルの物語を振り返ろう。
「クロノ・トリガー」におけるカエルの物語
親友サイラスとの旅
カエルは嘗て「グレン」という名の人間であった。そんな彼にはガルディア王国の兵団長サイラスという親友がいた。
彼は優れた剣術と厚い人望を兼ね備えた「勇者」であった。
サイラスはグレンとともに伝説の剣「グランドリオン」を探しだし、魔王と決着をつけるたびに出る。
サイラスは「グランドリオン」を手に入れ魔王との戦いに挑むが、あえなく敗れ命を落としてしまう。
その戦いの折、グランドリオンは魔王によって折られ、グレンは魔王の呪いのよってカエルの姿に変えられるのだった。
隠遁生活とクロノとの出会い
グレンは自分だけが生き残ったことを恥じながらも、サイラスの遺言である「リーネ姫を頼む」という言葉を実現するため、リーネ姫を陰ながら守っていた。
そんなカエルはクロノ達に出会う。
カエルはリーネを守ってはいたが、もはや魔王との戦いに挑む気力を失っていた。何よりも「グランドリオン」がもはや使い物にならない以上、カエルは身動きを取ることが出来なかった。
しかしクロノたちが伝説の剣「グランドリオン」を復活させてくれた。
その巧妙に、カエルはもう一度だけ勇気を振り絞り、魔王との決戦に挑む決意を固める。
真・グランドリオン
魔王との戦いを終えたカエルだが、その心にはまだ迷いがあった。
本来はサイラスが実現するはずだった魔王討伐を自らが実現したのだが、それは結局の所サイラスに対する「罪悪感」の現れであり、穴蔵生活という「贖罪」の延長に過ぎなかったのだ。
そんなカエルはサイラスの墓標で再び彼の魂と邂逅を果たす。
そこでようやくサイラスに「謝罪」することが出来たカエルは、ようやく「贖罪の日々」から開放され自らの戦いに旅立つ決心がついた。
迷いを振り切ったカエルの魂に「グランドリオン」が反応する。
「グランドリオン」はその本来の力を取り戻し「真・グランドリン」として勇者カエルと共に新たなたびに赴くのだった。
「カエルのテーマ」の意味
このように「クロノ・トリガー」におけるカエルは、我々に忘れ得ぬ物語を提供してくれたわけである。そしてそんな彼の人生を振り返ったときに、「カエルのテーマ」の意味が見てくる。
勇猛なスタートーカエルの憧れー
「カエルのテーマ」は極めて勇猛果敢なモチーフから始まる。これは何を隠そうカエルが憧れたサイラスの精神だろう。「サイラスなら魔王を打倒できるだろう」と思ったカエルの「憧れ」があの力強い曲に表現されている。
喪失と惑いーカエルの苦難―
そして勇猛果敢なモチーフが終わると、なにやら「渋い」展開となる。
それはまさしくカエル自身の絶望であり、つらい自分探しの旅路の表現であり、それでもなお自分を信じたいという人の「悲哀」が表現されているだろう。
しかし、そんな「悲哀」からは何も生まれない。カエルはあの穴蔵でずっと「自分なんてくだらない」「自分なんて死ぬべきだった」と思いながら死んでいったかもしれない。
しかしそこにクロノたちが現れ、カエルはようやく新たな一歩を踏み出す。
カエルが手にした魂―復活のカエルー
そして「カエルのテーマ」は勇猛果敢なモチーフにもどる。嘗てカエルがサイラスに見た「憧れ」に過ぎなかった精神を、カエルが自らのものとし、サイラスですら実現できなかった世界にカエル自身が挑むその姿が表現されている。
「憧れ」、「絶望」、「復活」はもしかしたらすべての人々のテーマなのかもしれない。
なにか大きなものに憧れるが、そんな存在になれないことをしり絶望する。しかし、それでも我々は生きていくのだ。
「クロノ・トリガー」におけるカエルは最もロマンチックな形でそれを実現してくれたが、「カエルのテーマ」はもう少しだけ抽象的にそういった「物語」を表現しているように思われる。
もちろんこれは「公式見解」などではなく私が勝手に思っていることである。しかし「どこぞのアホが勝手にそういうことを思うことができた」という事実そのものが「カエルのテーマ」の素晴らしさを保証してくれているのではないだろうか。
私はそう思うのです。
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