宮崎駿監督作品において、「記憶」は単なる情報の蓄積ではない。それは、無意識下に沈殿し、人格の土壌を形成するための「糧(かて)」として描かれるように思われる。

そのことが顕著に現れているのが、1988年公開の「となりのトトロ(公式)」と、2001年公開の「千と千尋の神隠し(公式)」であると思う。

この二作は、一見すると異なる世界観を持っているように見えるが、「子供時代の不思議な体験は、成長と共に忘れ去られる運命にある」という点において、鏡のような対応関係にある。今回は、両作品を象徴する二つの台詞――「夢だけど夢じゃなかった」と「一度あったことは忘れないものさ、想い出せないだけで。」――を軸に、宮崎駿が描く「忘却と成長」のメカニズムを考察していこうと思う。

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AIによる音声サマリー

この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。

  • 忘却は「喪失」ではなく「魂への刻印」 千尋はトンネルの向こうでの記憶を表層的には失うが、銭婆の言葉が示す通り、その経験は無意識下に沈殿し「生きる力」として彼女の人格を支え続ける養分となる。
  • 夢だけど夢じゃなかった」は論理への抵抗 サツキとメイはやがてトトロを「子供の頃の夢」として処理するかもしれないが、この台詞は成長に伴う論理的な忘却に抗い、体験の実在性を魂に刻み込む宣言である。
  • 千と千尋」は「トトロ」へのアンサーソング 「トトロ」に残る「いつか忘れてしまう」という切なさに対し、「千と千尋」は「思い出せないだけで在り続ける」と提示し、13年の時を経て忘却を肯定的な成長装置へと昇華させた。

千と千尋の神隠し」における”確定された忘却”

映画『千と千尋の神隠し』で森を背景にした千尋の横顔と我々も忘れた「あの日々」というテキスト

まず、「千と千尋の神隠し」における記憶の扱いについて確認しておこう。

物語のラスト、千尋はハクとの約束通り、トンネルを抜けるまで決して振り向かなかった。そして元の世界に戻った千尋は、銭婆からもらった髪留めがキラリと光ることで「何か」が残っていることは示唆されるものの、不思議の町での出来事を明確に覚えている様子はない。

これは私の推測ではなく、宮崎駿監督が描いた絵コンテによって明確に示されている事実である。

絵コンテのト書きには「何も覚えてないぞ・・・」という記述が存在している。

「ぼうぜんとなるちひろ 何も覚えてないぞ・・・」と書かれた絵コンテ 「ちひろ なにゆえか 心ひかれて 呆然と見ている」と書かれた絵コンテ

つまり、千尋にとって湯屋での労働やハクとの交流、カオナシとの対峙といった強烈な体験は、表層意識からは完全に消え去っているのである。

銭婆の台詞が示す「魂への刻印」

しかし、ここで重要になってくるのが、物語終盤で銭婆が千尋に送った言葉である。

「一度あったことは忘れないものさ、想い出せないだけで。」

この台詞は、単なる慰めではない。宮崎駿が提示した「記憶の定義」そのものであると言えるのではないだろうか。

千尋は確かに「想い出せない」状態になってしまった。しかし、銭婆の言葉を借りれば、それは「忘れた(消失した)」こととは同義ではない。経験は千尋という器の底に沈殿し、彼女の無意識を構成する一部となったのである。

冒頭の千尋は、車の後部座席で無気力に寝そべる現代っ子だった。しかし、トンネルを抜けた後の彼女の顔つきは明らかに異なっている。記憶は失われても、獲得した「生きる力」や「自己肯定感」は、確実に彼女の中に刻印されている。それが「千と千尋の神隠し」という物語の帰結であった。

となりのトトロ」における”やがて訪れる忘却”

映画『となりのトトロ』で発芽の踊りをするメイとトトロおよび「子供のときにだけ」訪れる出会いというテキスト

次に視点を「となりのトトロ」に移してみよう。

サツキとメイが出会ったトトロやネコバスといった存在。これらは彼女たちの妄想ではなく、確かにそこに存在した実在として描かれている。しかし、この作品には残酷なほどの「期限」が設けられているようにも見える。

トトロが見えなくなる日

劇中において、サツキとメイがトトロのことを忘れてしまったという直接的な描写はない。エンディングのスタッフロールで描かれる後日談的なイラストでも、彼女たちはまだ不思議な体験の余韻の中にいるように見えなくもない。

しかし、「子供の成長」という観点に立った時、彼女たちがやがてトトロを忘れていくことは避けられない運命であるように思える。

  • カンタの祖母など、地域の年長者がトトロの存在について具体的に語ることはない(せいぜい「子供の頃には見えた」といった伝承レベル)。
  • マックロクロスケは「妖怪」として語られ、ある種のフォークロア(民間伝承)として処理されている。

これらの要素を鑑みるに、大人になったサツキとメイは、あの夏の出来事を「子供の頃に見た夢」として処理してしまう可能性が高い。あるいは、完全に忘却の彼方へと追いやってしまうかもしれない。

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夢だけど夢じゃなかった」の真意

ここで響いてくるのが、サツキとメイが声を合わせて叫ぶ「夢だけど夢じゃなかった!」という台詞である。

この言葉は、トトロからもらった木の実が庭で発芽したシーンで発せられる。物理的な証拠(発芽)を目の当たりにし、昨夜の体験が夢ではなかったことを確認する歓喜の言葉であった。

しかし、この台詞を「忘却」という文脈で捉え直すと、より深い意味が見えてくる。

やがて彼女たちは、あの夜の出来事を「夢だった」と思うようになるだろう。論理的な大人の思考が、不思議な体験を「夢」として分類し直してしまうからだ。しかし、それでもなお、その体験は「夢じゃなかった」ものとして、彼女たちの根底に残り続ける。

トトロと過ごした時間、自然への畏怖、孤独を埋めてくれた温かさ。それらは「夢のように儚い記憶」として処理されながらも、「夢ではない確かな経験」として、彼女たちの人生を支え続ける。この台詞は、来たるべき忘却への予言であり、同時に抵抗の宣言でもあったのではないだろうか。

千と千尋の神隠し」が保証する「となりのトトロ」の救い

『千と千尋の神隠し』の銭婆と千尋および『となりのトトロ』のネコバスの場面の比較と決してなくならない「あの日々」というテキスト

ここで二つの作品を繋げて考えてみよう。

「となりのトトロ」におけるサツキとメイの未来には、「忘れてしまうかもしれない」という不安がつきまとう。トトロは子供時代特有の幻影であり、大人になることはそれを失うことと同義であるかのような切なさが漂っている。

しかし、その13年後に作られた「千と千尋の神隠し」は、その不安に対して明確な回答を提示している。

「忘れてしまっても、なくなりはしない」

千尋はトンネルの向こう側の記憶を失った。サツキとメイもまた、トトロの記憶を失うかもしれない。しかし、銭婆の言葉と千尋の成長した姿は、その「忘却」が決して「喪失」ではないことを証明している。

いわば、「千と千尋の神隠し」という物語全体が、「となりのトトロ」に対する巨大なアンサーソングになっていると見ることはできないだろうか。「トトロ」で描かれた「夢だけど夢じゃなかった」という感覚的確信を、「千と千尋」は「思い出せないだけで、記憶は残り続ける」という構造的確信へと昇華させたのである。

一人の少女の中に統合された「サツキとメイ」

『千と千尋の神隠し』の不機嫌な千尋と『となりのトトロ』の笑顔の姉妹の対比と原案どおりの「となりのトトロ」?というテキスト

最後に、主人公の造形という観点からも両作品の関連性を指摘しておきたい。

よく知られている話だが、「となりのトトロ」の初期構想では、主人公はサツキとメイという姉妹ではなく、一人の女の子だった。当時のポスタービジュアルに描かれている、バス停でトトロの横に立つ少女は、サツキとメイの特徴を併せ持った存在である。

もし、その「一人の少女」がそのまま主人公として描かれていたら、どうなっていただろうか。

実は、それこそが「千と千尋の神隠し」の千尋なのではないだろうか。

千尋は、サツキのような責任感(あるいは親の都合に振り回される苦労)と、メイのような奔放さや無垢さ(あるいは無鉄砲さ)を、一人の人格の中に内包しているように見える。

「子供の成長」というテーマを描くにあたり、宮崎駿は「トトロ」では姉妹という形に機能を分割し、「千と千尋」では再び一人に統合した。そう考えると、「千と千尋の神隠し」は、宮崎駿による「となりのトトロ」の再演であり、アップデート版であるという見方もできるかもしれない。

総括:忘却という成長の証

「夢だけど夢じゃなかった」と「一度あったことは忘れない」。

この二つの言葉は、宮崎駿監督が一貫して描き続けてきた「子供時代」への賛歌である。子供時代に体験する不思議な出来事や、世界との一体感。それらは大人になる過程で必然的に失われ、忘れ去られる。

しかし、それは悲観すべきことではない。忘れることができるからこそ、人は次のステージへと進むことができる。そして、忘れてしまったとしても、かつてトトロの腹の上で眠った温かさや、ニギハヤミコハクヌシと共に空を飛んだ浮遊感は、決して消えることなく、その人の魂を形作り続ける。

我々もまた、多くのことを忘れて大人になったはずだ。しかし、ふとした瞬間に感じる懐かしさや、理由のない全能感は、かつて我々が出会い、そして忘れてしまった「トトロ」や「神々」からの贈り物なのかもしれない。

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Sifr(シフル)
北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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