【かぐや姫の物語】雑学&豆知識集-裏話や制作秘話を紹介-
「かぐや姫の物語(スタジオジブリ公式)」は2013年に公開された高畑勲監督による劇場用アニメーション作品である。
今回は「かぐや姫の物語」に関する雑学、豆知識をまとめていこうと思う。必ずしも本編の理解を深めるために必要なものではないが、なかなか興味深いものも含まれていると思う。
この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。
「かぐや姫の物語」の雑学&豆知識集
「かぐや姫の物語」の企画スタートまで「平家物語」、山本周五郎「柳橋物語」、赤坂憲雄「子守唄の誕生(学術書)」の企画があった。
「かぐや姫の物語」の公開は2013年で、スタジオジブリという観点ではその前の高畑監督の作品は1999年の「ホーホケキョ となりの山田くん」となっている。10年以上の時間が経過しているが、その間何もしていなかったわけでもないし、ずっと「かぐや姫の物語」を作っていたわけでもない。
「となりの山田くん」の制作終了後、最初に企画として持ち上がったのは「平家物語」だった。ただ、それをアニメーションとして実現するためには、大量の甲冑や武具を描きつつ戦を描かねばならず、それができるスタッフを集める困難さがあった。
この件について、「ジブリの教科書19(PR)」の中で、鈴木敏夫は宮崎駿の言葉として「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と語ったエピソードも語られている。
そして何より、「かぐや姫の物語」において、最重要スタッフであった田辺修さんが暴力的なシーンを描きたくないと難色を示したことが大きかった。
田辺修さんは「火垂るの墓」からスタジオジブリの作品に参加している極めて優れたアニメーター(キャリアのスタートは「火垂るの墓」より前)であり、「となりの山田くん」では絵コンテや演出を担当しており、次回作も基本的には田辺さんありきだったようである(それほどの信頼を高畑監督から勝ち得ていた)。したがって、田辺さんが「No」である時点で「平家物語」を推進するのは難しかったようである。
そして2005年ごろに、鈴木敏夫からの提案で「竹取物語」の映画化案が浮上する。といっても、誰かが映像化すべきだと高畑監督が以前から言っていたものでもあった。
それでめでたく「かぐや姫の物語」の制作がスタートすればよかったのだが、話はうまいこと進まず、企画は一時頓挫してしまう。
その後、「ゲド戦記」の公開後に、山本周五郎の「柳橋物語」の企画が持ち上がるがこれも頓挫、高畑監督本人から赤坂憲雄の「子守唄の誕生」を映画化する企画案が提出されたが、これも没となってしまった。
その後、2008年春に高畑監督によって企画が「かぐや姫」に定められたのだが、企画段階で、これほどまでの紆余曲折を経て制作された作品なのである。
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崩れた「同時公開」と宮崎駿の引退宣言
上述の通り、その企画時点から長い時間をかけた「かぐや姫の物語」は、2013年11月23日に公開された。そしてその制作途中の7月20日には宮崎駿監督作品「風立ちぬ」が公開されている。当初、この2つの作品は「同時公開」を画策されていた。
制作が先に開始されたのは「かぐや姫の物語」だったのだが、「風立ちぬ」の制作が進み、うまいこと同時公開という戦略を立てられそうだったのだが、結局「かぐや姫の物語」の制作が遅れに遅れてしまい、結果的に「風立ちぬ」が先に公開される事になった。
そして、「かぐや姫の物語」の制作の終盤に、制作スタッフの前で宮崎駿による引退の弁がプロデューサーである西村義明の口から語られる状況が「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。(PR)」で見ることができる(ジブリの上層部での会議の発言を西村氏が代読したもの):
「今年で50年間、アニメーションをやってきたことになるが、昔の2日間が今の1週間、恐怖、猛烈なサンキチ(「風立ちぬ」の制作デスクの三吉弓子)の追い上げがあってようやくできたが、もうここに来て長編の演出を断念する。スタジオジブリの所長をやめます。美術館の館主は続ける。ただ、映画作りはリタイアします。これをもって、長編映画を引退します。美術館作品3本は是非ともと思っていましたが、現実はもうできない。1週間が2日しかないというのが実感です。若手の演出を2人たてて、『アリエッティ』と『コクリコ』、そして『風立ちぬ』とやって5年。次の5年後は77歳になる。これはもうすっきり結論を出したほうが良いのではないかと考えて、長編アニメーション映画制作からリタイアします。美術館の理事長はぐだぐだと続けていきます。」
ドキュメンタリーの中では、引退会見をジブリのスタッフと一緒にテレビで見ている高畑監督の姿を見ることもできる。
この引退宣言で火が着いたのかどうかはわからないが、「かぐや姫の物語」はなんとか完成を迎えたのである。
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翁の声は一部は三宅裕司が担当している。
「かぐや姫の物語」に登場する翁(おきな)の声は2012年に亡くなった地井武男さんが担当しているのだが、地井さんが亡くなったときにはまだ映画の制作途中であった。ほとんどの声は取り終えており、私たちが聞いている翁の声は地井さんのものなのだが、一部追加録音が必要だった部分は三宅裕司さんが行なっている。
私もすべてのシーンを把握はできていないのだが「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。(PR)」というドキュメンタリーの中で「何処へ行ってしまったんだよう~、お~い」という台詞を録音している三宅さんの姿を確認することができる。皆さんはどこが三宅さんかわかりましたか?
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「姫が犯した罪と罰。」というキャッチコピーは正しかったが、正しくなくなった
「かぐや姫の物語」のキャッチコピーといえば「姫が犯した罪と罰。」である。極めて印象深いコピーとなっており、私も十分に引き付けられたことを覚えている。
しかし、このキャッチコピーについては、鈴木敏夫と高畑勲の間で一悶着があった。
「姫の犯した罪と罰。」というコピーを考えたのは鈴木敏夫なのだが、それは、高畑勲の企画書にもそのことが書かれていたこと、原作においても言及があることから考えられたものだった。
ところが、そのコピーを知らせたときの高畑勲の反応は芳しくないものだった。最初に見せたときには「最初にそう考えたのは事実です。でも、そのテーマはやめたんですよ」と答えたという。
結局鈴木敏夫はあまりにもキャッチーなこのコピーを強引に採用するのだが、制作が進んだ後にも、「大変迷惑している」と言われてしまう。高畑勲が言うには、コピー自体が映画をみる人の心理に影響を与えるため、そのコピーに寄せるために台詞を加えたという。
その台詞が何だったかについて正確なことは分からないのだが、以下の台詞が該当するのではないかと推定される:
「遠い昔、この地から帰ってきた人がこの歌を口ずさむのを、月の都で聞いたのです。」「月の羽衣をまとうと、この地の記憶はすべて失ってしまいます。悲しみも、悩みもありません。なのに、歌う度に、涙がひとすじ、その人の目からこぼれるのです。その不思議さに、なぜかわたしの心も締め付けられて・・・ああ、今なら判ります、あの人の気持ちが!そしてなぜ 私が この地に憧れ、その罰として、他ならぬこの地に降ろされたのかも・・・・」
実際には整合性を取るために多くの台詞が追加されたかも知れないが、明確に「罪」が言及されているところとしては上の台詞がとりあえずは挙げられると思う。
高畑勲は迷惑したようだし「そのテーマはやめた」とは言っているが、別に物語の中に描かれていないわけでもないだろう。上で引用した台詞にも「罪と罰」の一端は見える(この台詞だけでは何故地球に下ろすことが罰なのかわからないが)。一応以下の記事で「姫の犯した罪と罰。」についての個人的な考察をまとめている:
結局は「罪と罰」は描きつつも、それが物語の中心・テーマということではないという意味なのだと思う。どちらかと言うと、「竹取物語」という舞台装置をかりた現代劇であり、かぐや姫に現代を生きる女性が投影されていると見るのが自然である。そう考えると「罪と罰」というコピーによって、そこにばかり気を取られるのは「迷惑」ということにはなるだろう。
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「天人の音楽」は「踊るマハラジャ」みたいなアホみたいな曲として発注された
「かぐや姫の物語」の終盤、月の住人がかぐや姫を迎えに来るシーンで「摩訶不思議」としか表現できない曲が流れる。あの曲には「天人の音楽」というタイトルがつけられているが、何とも不思議な気持ちに包まれて、ボロボロと涙が流れてきたことを覚えている(にも関わらずその涙の理由がわからない)。
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そして、「かぐや姫の物語」の制作ドキュメンタリーである「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。(PR)」の中で、高畑勲が久石譲に以下のように語るシーンがある:
「音楽も 頭の隅にぜひ置いて頂きたいのは ・・・中略(市川崑監督の「竹取物語」についての言及)・・・ それに対してこっちは これをやる場合 思ったんだけど 「阿弥陀来迎図」って 雲に乗って阿弥陀さんが真ん中にいて みんな楽隊を引き連れているんですよ (これに対して久石譲さんが「天の音楽ですか」と聞くと) 天の音楽じゃないです 言っちゃおうかな 言います 楽隊なんです 極めて能天気で リズムがある チャカチャカ体を揺すって 降りてくる感じで 清浄な音楽ってね なんていうかな 悩みがなくて清らかで なんか変じゃないですか 能天気っていう言葉がぴったりだと思うけど 音楽的なイメージで言うと インドのミュージカルの出来損ないみたいな なんかアホみたいな音楽ですね (久石譲が「ありますね 何だっけあの映画」と返して) 「踊るマハラジャ」 ああいうやつとか それからあの えっとサンバですね ブラジルの ああいうのも そういう所あるんじゃないですか 頭がパーッとすっ飛んじゃってね チャカチャカなってるんだけど 時々ペーソス(哀愁)を出そうと思えば出せる そういう ああいう チャカチャカ雲に乗ってね フェードインしてくる 誰も期待してないですから 」
もちろん「天人の音楽」が完成するまでにはこれ以外にも色々なやり取りがあったのだろうが、よくこの発注からあの名曲が生まれたなと感心するとともに、よくよく考えるとたしかにこの発注通りになっているような気もする。
いずれにせよ、2つとない名曲が生まれたのだと思う。
- 「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。(PR)」
「最もきれいな顔」になるはずだった御門
「かぐや姫の物語」の中で、最も我々の目を引いたキャラクターデザインはやはり、御門ではないだろうか。
そしてこのデザインについて「ジ・アート・オブ かぐや姫の物語(PR)」の中で、人物造形を担当した田辺修氏は以下のように語っている:
最もきれいな顔にしたくて、一時は石作皇子として描いたキャラを御門にしようかとも考えたのですが、悩んでいたところ、高畑さんが「美男だけど一ヶ所バランスを崩してみたらどうか、たとえばアゴとか」と言われ、このように決まりました。
高畑監督の一言さえなければ、彼は「最も美しい顔」になることができたのだが、そうはならなかった。全くもって「悪意」としか言いようがないだろう。このアゴの描写については以下の記事でもう少し詳しく考察している:
この記事で使用した画像は「スタジオジブリ作品静止画」の画像です。
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