「少年の日の思い出(原題:Jugendgedenken)」はドイツ生まれの作家ヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse)の短編小説である。
そんな海外の作家の短編を我々が知っている理由は、我々がインテリだからではなく、中学1年生の頃に国語の教科書で読んだからであろう。それ以外の出会いをしている人は本当のインテリに違いない。
今回はそんな「少年の日の思い出」のあらすじを振り返りながら、エーミールが我々に伝えてくれた教訓について考えていこうと思う。
なぜ我々は「少年の日の思い出」とエーミールを忘れることができないのだろうか?
「少年の日の思い出」のあらすじ–エーミールの一撃–
物語は「客」を迎えた「私」の語りから始まる。自分たちの子供の話になった私は、幼少期に夢中になり再び集めだした蝶や蛾の標本を客に披露する。その見事な標本を見た客は何やら不機嫌になり、決して他人に語ることのなかった「少年の日の思い出」を語りだす。
蝶の採集と敗北感
「ぼく」が八歳か九歳のころからなんとなく始めた蝶の採集だったが、二年も立つ頃には完全に熱中していた。別に裕福だったわけではなかった「ぼく」は、採集した蝶をダンボールで自作した箱に標本を集めていた。
始めのうちは自分が集めた標本を友人に見せていた「ぼく」だったが、友人達が持っている優れた道具にある種の劣等感を感じ、自慢の標本を見せるのは自分の妹達に限定されていった。
そんな「ぼく」だったが「コムラサキ」を採集したときには友人に自慢したくなった。特に、中庭の向こうにすんでいたエーミールに。
エーミールはいわゆる優等生でいけ好かないやつだった。彼の蝶のコレクションは大したものではなかったが、その標本化の技術は随一であり、標本の美しさは際立っていた。
そんなエーミールに「ぼく」は誰もが羨む「コムラサキ」を見せたのだが、彼の反応は冷淡なものだった。彼は無慈悲に、しかも完璧に「ぼく」の「コムラサキ」の標本の欠点を指摘した。その指摘に納得をしてしまったものの、「ほく」は二度とエーミールに自分の標本を見せることはなかった。
「ぼく」の罪
それから二年たったある日、エーミールが「クジャクヤママユ」を羽化させたという噂が広まった。それは仲間内で誰も採集したことのない蝶であり、「ぼく」が熱烈に欲していた蝶でもあった。その蝶をその目にするのを待ちきれなかった「僕」は中庭を超えて、エーミールの家に忍び込んだ。
エーミールの部屋で「クジャクヤママユ」の標本を発見した「ぼく」はその標本を自分のものにしたいという欲求にかられ、結局盗み出してしまった。罪悪感故にポケットに押し込んだその標本は、結局バラバラになり、修復不能な状態になってしまった。そんな状態の標本をもとに戻し「ぼく」は家に逃げ帰った。
その罪を悔いた「ぼく」は自らの母にそのことを告げる。母は「ぼく」を責めることはなかったが、その事実を今日中にエーミールに伝えなくてはならない「ぼく」につげる。
なんとかその一歩を踏み出した「ぼく」はエーミールにその事実を伝えに向かう。エーミールの部屋には、懸命の修復作業のあとが見える標本があった。「ぼく」は懸命に彼に事実を伝え弁明し、自らのコレクションをすべて提供すると言った「ぼく」を見つめたエーミールは
「どうもありがとう。君のコレクションならもう知っているよ。それに君が蝶や蛾をどんなふうに扱うか今日もまたよく見せてもらったしね」
その全てを見透かしたような言葉に怒りを覚えながらも、起こってしまったことはなかったことにはできないのだと悟った「ぼく」は家に帰った。
家に帰った「ぼく」に母はキスをしてくれたが、「ぼく」は自らの蝶のコレクションを持ち出して、その全ての粉微塵に潰したのだった。
エーミールがくれた教訓
罪は消えることはない
「少年の日の思い出」とエーミールから、我々が最初に得るべき教訓は本文にも記述されているように「一度起こってしまったことは二度と元通りにすることはできない」ということである。より直接的に言うならば「犯した罪は消えない」ということになるだろう。
こんな物語を中学1年生にぶつけてくるその姿勢には称賛を贈りたいものだ。
ただ、重要なことは「罪は消えないのだから懺悔し続けろ!」みたいな分かりやすく、間抜けな物語にはなっていないということである。本編で罪を犯してしまった人は、どうやらきちんとおとなになっており、子供までいるようだ。
彼はきちんと人生を歩んでいるし、それで良いのである.
確かに重要な教訓は「犯した罪は消えない」なのだけれども、ではその後どのような人生を歩めばよいのだろうか?我々にできることは、犯した罪を隠しきって真人間のフリをして生きることである。そしてそんな考え方がギリギリ肯定される理由は「『少年の日』の思い出」であることだろう。
幼少期に、彼と同じように「クジャクヤママユ」を握りつぶした記憶があるでしょ?でもその罪が消えないのならば、せめてそれ以降は真人間として生きて、二度と「クジャクヤママユ」を握りつぶすようなことしない人生を歩むしかないのである。
そういう真人間の人生を歩んだからといってエーミールの心の傷は癒えないだろうが、我々にできることはそれしかないのである。それが分かるから「少年の日の思い出」は我々の中に楔のように残り続けるのだろう。
そしてそういった「罪」にギリギリ気づき始めるのが「中学1年生」というタイミングなのかもしれない。小学校の6年間があれば、1つくらいは「クジャクヤママユ」を握りつぶした記憶があってもおかしくはない。
そんな彼らにこの作品を国語の教材としてぶつけるその悪意が、なんともすばらしい。
被害は自分で乗り越えるしかない
ここまで考えてきたのは「加害者」に対する教訓なのだが、我々が無視してはならないのは被害を受けたエーミールの心情である。
我々はついつい物語の語り部に心情に感情移入してしまうので、「少年の日の思い出」を読んでいると「被害者であるエーミールの突き放すような態度が何やら気に食わない」というとんでもない感情を持つことになる。罵ってくれれば良いのに、殴ってくれればいいのにと、加害者に加担している我々はなぜかエーミールに不満を持つのである。
だが、エーミールのあの冷静な態度の裏にある彼の無念を我々は考えるべきである。
彼は大切な「クジャクヤママユ」の標本が破壊されている事実を知った後に、その原因がどうであれ、その修復のために懸命の努力をした。その時間を考えるだけでも、彼の無念の思いに胸が打たれるであろう。彼は泣き崩れることもなく、懸命に修復に励んだのある。
その後エーミールは、真の犯人を知ることになるのだが、その時の彼の冷静な態度と分析は「自己防衛」にほかならない。
目の前の宝物が二度と帰ってこないという事実と、エーミールはとうの昔に向き合ったのである。その後に真犯人が現れたところで、失われたものは戻ってこないという事実は全く変わることがない。そこで犯人を攻め立てて自分の心情をかき回すよりは、状況を整理して合理化し、真犯人に目の前から去ってもらったほうが良いと考えたのだろう。
「少年の日の思い出」のエーミールのこの態度は、ある意味で「被害を受けた者」が直面する過酷な現実そのものとも考える事ができる。
加害者は謝ることで許された気になるが、被害者が救われる外的な手段は存在していない。被害者はいつだって自力でその被害から立ち直ることを強要されるのである。それは「加害者は真人間のフリをするしかない」と同じようなことで、本当に「自力」しかないのである。
このように考えると、「少年の日の思い出」でエーミールが我々に教えてくれたことは「だから我々は人を殴ってはいけない」ということになるのではないだろうか。
殴った人も、騙した人も、盗んだ人も、謝れば救われた気になるものだが、謝られたところで被害を受けた側からすれば「起こった事実は消えない」ということに過ぎない。だからといって被害に閉じこもってしまっては明日の一歩を踏み出せないので、被害者は「自力」で復活して、次の一歩を踏み出すしかないのである。
でもそんなの可愛そすぎるじゃないか。殴られたのに、騙されたのに、盗まれたのに。
すべての人がエーミールのように生きられるわけではない。だから我々は、我々の生きるの現実の社会で、人を殴らず、騙さず、盗まずに生きなければならない。
でも結局は、殴って、騙して、盗んで生きてしまうのだろう。それならせめて「真人間」のフリをして、懸命に生きましょう。結局俺たちなんてそんなもんです。
大人にできるたった一つのこと
このように「少年の日の思い出」は相当にしんどい物語であるが、作中に僅かな福音が存在している。つまり「ぼく」の母親の態度である。
あの母親の態度が何故発生したのかを考えると、もちろん彼女にも「少年の日の思い出」があったからということになるだろう。そしてその思い出に、ひどく後悔しているのである。
後悔のない人生はないとは思うが、せめて嘘のない人生を歩んでほしいというのが大人の願いである。
そんな「きれいごと」があの母親の態度に出ているのだと思のだろう。そして、すでに大人になってしまった我々にできることはあれしかないのではなかろうか。「ぼく」の母の態度こそが「真人間のふりをして生きる」という我々に残された唯一の生き方の現れだったのだと思う。
我々は「ぼく」の母のように生きることができるだろうか?
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