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時をかける少女(2006年)」のあらすじ(ネタバレあり)と解説・考察-絵画に込められた物語のメッセージ-

青空と学校を背景に、光る時計の輪の中に浮かぶ女子高生のシルエットのイラスト。「『時をかける少女』ってどんな話?」という質問テキストが重ねられている。
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時をかける少女(公式)」は、2006年7月15日に公開された細田守監督による劇場用アニメーション作品である。筒井康隆の同名SF小説を原作としており、原作主人公の姪である紺野真琴を主人公に据えた新たな物語となっている(原作の時代設定も絶妙に変わっているが、詳しくは「原作の概略と違い」を参照のこと)。

本作は、あるきっかけで時間を跳躍する能力「タイムリープ」を手に入れた女子高生・真琴が、青春の悩みや恋、そして避けられない別れを通して成長していく姿を描いた物語となっている。

この記事では、「時をかける少女」のあらすじについて、「まだ観ていない人」向けにネタバレなしのあらすじと、「観終わった人」向けに結末までの詳細なあらすじ(ネタバレあり)を、時系列に沿って徹底的に解説する。さらに、物語の考察、そして作中で残された「僅かな」疑問点についてもまとめようと思う。

まずは、「時をかける少女」の基本情報から振り返っていこう。

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AIによる音声サマリー

この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。

時をかける少女」の基本情報

青空と学校を背景に、光る時計の輪の中に浮かぶ女子高生のシルエットのイラスト。「『時をかける少女』ってどんな話?」という質問テキストが重ねられている。

作品概要

公開日 2006年7月15日
監督 細田守
原作 筒井康隆
脚本 奥寺佐渡子
キャラクターデザイン 貞本義行
音楽 吉田潔
主題歌 奥華子「ガーネット」
制作 マッドハウス
上映時間 98分

主要な登場人物と声優(キャスト)一覧

登場人物 声優(キャスト) 人物概要
紺野真琴(こんの まこと) 仲里依紗 本作の主人公。東京の倉野瀬高校に通う2年生。ある日偶然「タイムリープ」の能力を手に入れる。明るく前向きだが、後先考えずに行動するところがある。
間宮千昭(まみや ちあき) 石田卓也 春に転校してきた男子生徒。真琴、功介といつも3人でつるんでいる。飄々とした性格で、女子生徒からの人気も高い。
津田功介(つだ こうすけ) 板倉光隆 真琴のクラスメイトで、医者の家系の息子。自身も医学部志望の秀才。真面目だが友思いで、真琴や千昭の良いバランサーとなっている。
芳山和子(よしやま かずこ) 原沙知絵 真琴の叔母で、東京国立博物館の絵画修復の仕事をしている。真琴からは「魔女おばさん」と呼ばれている。
藤谷果穂(ふじたに かほ) 谷村美月 下級生の女子生徒。ボランティア部に所属しており、地味でおとなしい性格だが、功介に密かに想いを寄せている。
早川友梨(はやかわ ゆり) 垣内彩未 真琴のクラスメイトで友人。千昭のことが気になっており、物語の中盤で彼とデートをすることになる。

人物相関図

「時をかける少女」の人物相関図

時をかける少女」のあらすじ(ネタバレなし)

桜が咲く学校の校庭で、地面に浮かび上がった光る時計の文字盤の上にいる女子高生のシルエットのイラスト。「物語はどのように始まったのか?」という質問テキストが重ねられている。

物語の主人公は、東京の下町にある倉野瀬高校に通う2年生、紺野真琴(こんのまこと)。彼女は、医学部志望で秀才の津田功介(つだこうすけ)と、春に転校してきた自由奔放な間宮千昭(まみやちあき)といつも3人でつるみ、野球をしたりふざけ合ったりしながら、どこにでもある普通の、しかし輝かしい高校生活を送っていた。

7月13日の放課後、真琴の運命は大きく動き出す。日直の仕事で提出用のノートを理科室に運んだ真琴は、無人の理科準備室から聞こえた物音を不審に思い、中へ入る。そこには誰の姿もないように思われたが、床に落ちていた不可解なクルミ型の小さな球体に気を取られた瞬間、不意に人の気配を感じて驚き、転倒してしまう。その際、真琴は肘でその小さな球体に触れてしまう。不思議な眩い光に包まれた後、気がつくと彼女は何事もなかったかのように準備室の中で倒れていた。

その奇妙な体験を功介と千昭に話すが、二人は笑って相手にしてくれない。二人と別れた後、真琴は叔母である芳山和子(よしやまかずこ)—通称「魔女おばさん」—が勤める東京国立博物館へ、祖母から預かった桃を届けるために向かう。

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その途中、長い坂道を自転車で下っていた真琴を絶体絶命の危機が襲う。自転車のブレーキが効かなくなり、猛スピードで暴走したまま、遮断機が降りた踏切へと突っ込んでしまった。電車が目前に迫り、死を覚悟した瞬間——。気がつくと真琴は、なぜか事故に遭う少し前、坂の中ほどに戻っていた。電車に轢かれたはずの未来は消え去っていたのだった。

急いで博物館へ向かい、叔母に事の次第を話すと、叔母は驚く様子もなく、それは「タイムリープ」であると告げる。しかも、「真琴くらいの年齢の女の子にはよくあること」だと語り、「やってみせてよ」と軽く促すほどだった。半信半疑のまま帰宅した真琴だが、自分の身に起きた不思議な現象について考え続ける。「もし本当に時をかけられるなら、もう一度できるかもしれない」。

意を決した真琴は、河川敷で川に向かって助走をつけ、思い切り飛び込む。すると彼女は、7月12日——昨日の時間に戻ることに成功する。そこには、妹に勝手に食べられる前のプリンがあった。その「タイムリープ」は良いところで終わってしまい、川に落っこちてしまったが、コツを掴んだ真琴は再び時間を飛び、念願のプリンを食べることに成功する。こうして、真琴にとって「タイムリープ」は、現実に扱える便利な「力」となったのだった。

時をかける少女」結末までの全あらすじ(ネタバレあり)

「絵画が繋ぐ人の思い」という文字と、セピア色の踏切の前で静止した時の中に向かい合う二人のシルエット
⚠️ ネタバレ注意
ここから先は、映画の結末や、重要な謎解きを含む詳細なネタバレが記載されています。未視聴の方はご注意ください。

第一部:無敵の日常と、予期せぬ告白

東京の倉野瀬高校に通う2年生、紺野真琴は、友人の津田功介、間宮千昭と3人で野球や遊びに興じる平凡だが楽しい日々を送っていた。7月13日の放課後、真琴は日直の仕事で理科準備室へノートを運び込んだ際、誰もいないはずの室内から物音を聞く。奥を覗き込むと人影のようなものを感じたが、一見すると誰もいないようだった。しかしその時、床に落ちていた不可解な金属製の球体に気を取られ、不意に背後に人の気配を感じて驚き転倒してしまう。その際、真琴は肘でその小さな球体に触れてしまうのだが、眩い光に包まれた後、気がつくと準備室の中で倒れていた。

その事実を功介と千昭に告げるのだが、二人は相手にしてくれなかった。二人と別れた真琴は、叔母(魔女おばさん)である芳山和子が勤める東京国立博物館に、祖母から送られてきた桃を届けに行く。

その途中、自転車で坂を下っていた真琴だったが、ブレーキが効かず、そのまま電車に轢かれてしまう。ところが……気がつくと真琴は、坂の中ほどにおり、電車に轢かれてはいなかった。

急いで博物館に向かった真琴は、叔母に事の次第を話すのだが、叔母は驚く様子も見せずにそれは「タイムリープ」であると話し出す。しかも、それは珍しいことではなく、真琴ぐらいの年齢の女の子にはよくあることだと語り、「やってみせてよ」と軽く言うほどであった。叔母と話した後も、不思議な体験をした真琴のほうがむしろ、自分の身に起こったことについての疑念を深めるのだった。

帰宅した後も、真琴は自分の身に起こったことを考え続ける。叔母の話を前提にすると、自分が経験したことは「タイムリープ」であり、一度飛んだのだからもう一度できるのかも知れないという思いにかられる。そして、河川敷で意を決して川に向かって飛んだ真琴は、7月12日(前日)の自宅にたどり着くのだった。そこで、妹に勝手に食べられたプリンを発見するが……それを食べる前にもとに戻ってしまい、川の中に落ちるのだった。しかし、手応えを掴んだ真琴は再び前日に戻り、今度はプリンを食べることに成功する。すでに真琴にとって「タイムリープ」は自分が扱える現実の力となっていた。

「タイムリープ」の能力を自在に操れるようになった真琴は、その力を存分に浪費し始める。抜き打ちの小テストがあれば時間を戻って満点を取り、家庭科の調理実習での失敗を回避し、カラオケでは「タイムリープ」を繰り返して何時間でも歌い続けた。嫌なことや失敗をすべて帳消しにできる、まさに無敵の日々だった。

そんな様子を叔母の和子に伝えると、彼女は「真琴がいい目を見ている分、どこかで悪い目を見ている人がいるんじゃないの?」と、わずかにたしなめるような言葉を口にする。しかし、今の真琴にはその言葉の重みは届かなかった。

ある日、いつものように3人で野球をしようとしていると、功介が後輩の女子生徒・藤谷果穂(ふじたにかほ)から告白される現場に遭遇する。しかし、功介は何故かその告白を断ってしまう。その帰り道、功介と別れて2人きりになった真琴と千昭は、功介の話題で盛り上がっていた。その流れで、不意に千昭が真琴にこう告げる。「真琴、俺と付き合えば? 功介に彼女ができたらって話」。

友人関係が壊れることを恐れ、また想像もしていなかった言葉に困惑した真琴は、すぐさま「タイムリープ」を使って時間を巻き戻す。千昭が告白してくるタイミングを必死に回避しようとするが、何度戻っても、形を変えて千昭は思いを伝えてくる。最終的に、真琴は強引に会話をそらし、彼が告白してくるシチュエーションそのものを消滅させることで、その場をやり過ごし、一人で帰宅することを選んだ。

第二部:歪み始める関係と、身代わりの悲劇

真琴のタイムリープによって、千昭は「自分が真琴に告白したこと」すら覚えていない状態となるが、真琴自身は彼を意識してしまい、一方的に気まずさを感じていた。そんな中、真琴が都合の良い状況を作り続けてきたことによる「歪み」が、徐々に周囲へ影響を及ぼし始める。

真琴が調理実習でのトラブルを別の男子生徒に押し付けた結果、その生徒がいじめの対象となってしまう。さらに、本来なら発生しなかったはずのいざこざの中で、真琴の友人で千昭に気があるクラスメイト・早川友梨(はやかわゆり)が怪我を負う事件が発生する。この怪我をきっかけに、千昭は友梨と保健室へ行くことになり、流れでデートをすることになってしまった。しかも、千昭は友梨と付き合う気があるらしい。自分から遠ざけたはずなのに、いざ千昭が他の誰かと付き合うとなると、真琴は不条理な苛立ちを感じずにはいられなかった。

その夜、入浴中に真琴は自分の左肘に「90」という数字が浮かび上がっていることに気づく。実際にはそれは鏡文字で「06」であったが、彼女はその意味を深く考えなかった。

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第三部:繰り返される時間と、取り返しのつかない事故

そんな折、真琴は以前功介に告白していた後輩の果穂から、功介についての相談を受ける。友人として一肌脱ぐことにした真琴は、「タイムリープ」を何度も繰り返し、なんとか功介と果穂が良い雰囲気になるようセッティングすることに成功する。しかし、ふと気づくと左肘の数字は「01」に減っていた。これは、タイムリープができる残り回数だった。

真琴が果穂と功介のために奔走して戻ったその時間は、奇しくも、真琴が初めてタイムリープをするきっかけとなった「理科準備室での出来事」が発生した時間帯だった。あの時、準備室に誰がいたのかを突き止めるため、真琴は理科室で待ち伏せをする。そこに現れたのは、クラスメイトの友梨だった。彼女は、本来なら真琴が運ぶはずだったノートを持っていた。

真琴が果穂に誰かを見なかったかと尋ねると、携帯に功介から「自転車を借りる」というメールが届き真琴は戦慄する。その自転車は、以前自分が事故に遭った時と同じく、ブレーキが故障している状態のままだったのだ。真琴は自分が体験したあの事故が、今度は功介の身に降りかかることを悟り、必死に走り出す。そんな真琴を見ながら、友梨は「ここに来る時すれ違ったのは、千昭くんだよ」と呟く。

坂の下の踏切へ急ぐ真琴に、千昭からの電話が入る。功介は家にいるということが分かり安堵する真琴だったが(実際には、功介は怪我をした果穂を実家の病院に連れて行っていた)、千昭との会話は思わぬ方向へ進む。「お前、タイムリープしてねえ?」という千昭の核心を突く質問に動揺した真琴は、咄嗟に最後の「1回」を使ってタイムリープし、その質問をされる前の時間に戻ってしまう。

質問を回避したことには成功したが、左肘の数字は「00」となり、もう二度と過去には戻れない。その時、真琴の目の前を、果穂を後ろに乗せた功介が自転車で横切っていく。ブレーキの効かない自転車は坂道を暴走し、遮断機の降りた踏切へと突っ込んでいく。真琴は必死に追いかけるが間に合わない。「止まって!」と叫ぶことしかできない真琴の目の前で、自転車は電車と接触寸前になる。

第四部:止まった時間と未来人

衝突の瞬間、あたり一面の世界が色を失い、時間が完全に静止した。動かない風景の中で、千昭だけが真琴の前に現れ、静かに語りかける。「俺、未来から来たって言ったら、笑う?」。

千昭は、はるか未来の時代から来た人間だった。彼の時代では「タイムリープ」は科学的に実現しており、体にチャージして使用する仕組みだという。真琴が理科準備室で見つけたクルミのような球体こそが、千昭がなくした「タイムリープマシーン」であり、真琴がそれを使ってしまったため、彼に残された回数もわずかだった。

彼が過去へ来た目的は、ただ一つ。この時代の東京国立博物館に展示されている「ある絵(白梅ニ椿菊図)」を見るためだった。彼の生きる未来ではその絵は消失しており、記録によれば、この時代のこの場所、この季節に確かに存在していたという。

しかし、千昭は功介たちを事故から救うために、未来へ帰るために残しておいた「最後の1回」を使って時間を止めたのだという。そして、過去の人間にタイムリープの存在を明かしてはならないという未来のルールを破った彼は、もう真琴たちの前から姿を消さなければならなかった。 「じゃあな」。千昭はそう言い残し、動き出した人波の中に消えていった。

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結末:未来で待ってる

時間が動き出した世界では、功介と果穂の事故は回避されていたが、千昭は「自主退学」という形で忽然と姿を消していた。真琴は、千昭が自分を庇って未来に帰れなくなったこと、そして大事な話をした記憶さえもリセットしてしまったことを深く後悔し、号泣する。

その夜、真琴は屋上で叔母の和子に全てを打ち明ける。和子はかつて自分も高校生の頃に似た経験をし、好きになった人が「いつか必ず戻ってくる」という言葉を残して去ったことを語る。そして、「待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ?」と真琴の背中を押す。

絶望していた真琴だったが、ふと左肘を見ると、数字が「01」に戻っていることに気づく。千昭が時間を止めて「功介が事故に遭う前(=真琴が最後の1回を使う前)」まで時間を戻したため、真琴の消費した1回分が復活していたのだ。

真琴は最後のタイムリープを使い、すべてが始まったあの日、7月13日の理科準備室へと戻る。時間を遡り、まだ何も知らなかった頃の千昭と再会した真琴は、自分がタイムリープのことや未来のことを全て知っていると告げる。そして、千昭が見たがっていたあの絵が、どんなに時が経っても未来に残るように守っていくと約束する。

別れの時。未来へ帰るべき千昭に、真琴は必死に笑顔を作って送り出そうとする。あの日言い出せなかった「好き」という言葉は飲み込んだままだ。しかし、去りかけた千昭は振り返り、真琴を引き寄せて耳元で囁く。 「未来で待ってる」

真琴は涙を流しながらも、力強く応える。「すぐ行く。走っていく」。

その後、千昭は「留学」を理由に正式に学校を去ったことになっていた。事情を知らない功介は突然の別れに納得がいかない様子だったが、真琴は空を見上げながら晴れやかに言う。「やりたいことが決まったんだよ、きっと」。そして、自分自身もまた、やるべきことを見つけたのだと心に誓う。 夏の入道雲が広がる空の下、彼らの未来は無限に広がっていた。

時をかける少女」の解説・考察

未来的な都市が見える美術館で、白梅や椿が描かれた金屏風を見上げる女子高生のシルエットのイラスト。「この物語は何を描いたのか?」という質問テキストが重ねられている。

原作の概略と違い-二重の時間スライド-

冒頭でも述べたように「時をかける少女」は、筒井康隆による同名小説が原作となっているが、どのように原作になっているかは一応確認する意味があると思う。

原作の主人公は芳山和子であり、本作における「魔女おばさん」である

原作の物語を極めて短くまとめると以下のようになる:

中学3年生の芳山和子は、放課後の理科室でラベンダーの香りを嗅ぎ、時間を跳躍する能力を得る。能力の謎を解くため再び理科室へ戻ると、そこにいたのは同級生の深町一夫だった。彼は西暦2660年から来た未来人であり、薬草(ラベンダー)採取のために現代を訪れていたのだ。彼は規則に従い和子の記憶を消して未来へ帰還する。記憶を失った和子は、残された微かな香りと共に、現れるはずのない誰かをいつまでも待ち続けるのである。

ラベンダーの香りを嗅いだってタイムリープの能力は手に入らなそうなものだが、実際には「タイムトラベルを行うために必要な特殊な薬品の香り」であって、それが原因となっている。

また、極めて重要なことは、原作において和子は記憶を失っているという事実である。このギミックが大きな切なさを演出するこになっているのだが、細田版において和子は記憶を失っておらず自分が待っている人物について自覚的である

さらに、時代設定が少々ややこしい。

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筒井康隆版の小説は発表された時代の「現代」なので、普通に考えれば1960年代ということになる。細田版が2006年公開であり、真琴たちにとってもそれが現代と思われるので、直接的に考えれば和子が不思議な体験をしたのは約40年前ということになる。しかし、和子の初恋は高校生の頃だったのだから、それでは時間が合わない。

ということは、筒井康隆の「時をかける少女」を原作としつつ、その物語を2006年にスライドさせた作品となっているが、それと同時に、和子の物語の時代もスライドさせたということだろう。表にまとめると以下のようになる。

比較項目 原作小説(筒井康隆) 細田版(2006年)
作品の舞台 1960年代半ば
(昭和40年代、連載当時の「現代」)
2006年
(現代)
芳山和子の
青春時代
1960年代半ば
(昭和40年代、連載当時の「現代」)
1980年代半ばと推定される
(約20年スライド)
能力の源 薬品(ラベンダー)の香り 科学装置(クルミ型)との接触
和子の記憶 消去される
(無意識に待ち続ける)
保持している
(自覚して待ち続ける)

基本的に「原作」との関係はこれくらいのことを知っておけばよいのだが、さらに状況を複雑化させるのが、1983年に公開された大林宣彦監督作品の「時をかける少女」である。もちろんこちらも筒井康隆の小説が原作なのだが、ものの見事に時代設定が1980年代となっている。

細田版が公開されるまでは「時をかける少女」といえば概ね大林版を指していたと思う(少なくとも私は)。

しかも、筒井版における和子が中学3年生であるのに対して、大林版の和子は高校2年生である(映画のスタート時点では高校1年生)。細田版での和子は「高校生の時、初めて人を好きになった」と言っているので、大林版のほうがしっくり来るのである

制作サイドの内実は分からないのだが、この作品の「原作」を公言する場合、それは(権利関係も込めて)筒井康隆の小説しかないわけで、原作を大林版とすることはありえない。したがって、ひどく大林版が想定されていたとしても、原作は筒井康隆になると思う。

結局のところ、原作の内容を知りたい場合は大林宣彦版の映画を見るということで問題ないということになる。

ということで、原作が気になる人は、大林版を御覧くださいませませ(細かいところで原作と違うところはありますが、決定的に違うところはないので安心してください)。

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この映画が描きたかったもの-謎の絵画と時をかける人の思い-

細田版の「時をかける少女」を始め、どの「時かけ」も、基本的には素直な物語であり、特段の疑問はない。大事なことは「青春群像劇」であることであって、それ以上になにかを考える必要はないように思える。

「タイムリープ(タイムトラベル)」についても、特段の説明はないのだから、単なる作劇上のギミックに過ぎず物語の本質ではない。したがってそのことについて考えるだけ無駄だと個人的には思う。

しかし、この映画を考えるうえでどうしても残ってしまう疑問は、千昭が時を超えてでも実物を見たかったあの絵画ではないだろうか。

そもそもあの絵が実在するかどうかが気になると思うが、あれは平田敏夫(ひらたとしお、2014年没)というアニメーター・映画監督が書いた架空の絵画で、タイトルは「白梅ニ椿菊図(はくばいにつばききくず)」となっている。

そして何よりも「あの絵画が極めて重要な要素として描かれた意味はなにか?」「千昭がわざわざ未来からあの絵を見に来た理由はなにか?」という疑問が残ってしまう。

ここからはあの絵をフックに、この作品が描こうとしたもの(メッセージ)について考察していこうと思う。先ずは作中にある絵画に関する情報をまとめよう。

本編中における「白梅ニ椿菊図」を巡る発言

作中にある絵に関するヒントは登場人物の僅かな台詞しかない。和子は以下のように語っていた:

「この絵が描かれたのは、何百年も前の歴史的な大戦争と飢饉の時代。『世界』が終わろうとしてた時、どうしてこんな絵が描けたのかしらね。」

直接的な情報ではないが、千昭の以下の発言も重要だろう:

「どうしても見たい絵があったんだ。どれだけ遠くにあっても、どんな場所にあっても、どれだけ危険でも見たかった絵なんだ。」

「川が地面を流れているのを初めて見た。自転車に初めて乗った。空がこんなに広いことを初めて知った。何よりこんなに人がたくさんいるところを初めて見た。」

以上のことで分かることは、

  • 千昭の住む世界は我々が憧れるような未来にはなっていないし、
  • 戦争の時代に描かれた絵が千昭の心を魅了してしまうような社会情勢であった。

ということになるだろう。

絵画が象徴するもの-時をかける人の思い-

作中に登場した絵画が描かれた時代と千昭が生きた時代は全く異なるわけだが、重要なことは、それでもなお、誰が書いたかもわからない絵画が千昭の胸をうったという事実である。

別の言い方をすると、戦争中にそれでもなお希望を捨てずに、未来にその思いを託した一人の画家の思いが、時空を超えて千昭に届いたということになるだろう。

ということは、何とも意味深な存在であったあの絵画が象徴しているのは「人の思い」そのものである。

では、あの絵に込められた「思い」とはなにかということになるが、物語上のヒントは千昭の心を捉えたという事実そのものだと思う。つまり、その状況に対する絶望(千昭も感じている)とそれでも明るい未来が来るはずだという希望(千昭がもとめているもの)と考えるのだが自然ではないだろうか。

しかも、あの絵画は戦争中という絶望の中で、それでもなおその思いを形に残した結果である。名前もわからない謎の作者のその懸命の行動が、何世紀もの時間を超えて、一人の若者の行動を喚起したのだから、それだけでも感動的な話となる。

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その一方で、謎の画家がその思いを懸命に「形にした」ということも重要なことと思う。

どんな思いがあろうとも、あの画家が絵を描かなければ、その思いは時空を超えて千昭に届くことはなかった。名前のわからない画家の懸命の営みが、「時をかける少女」という物語に本質的に影響を与えていることになる。

物語のメッセージ-営みを止めてはならない-

以上のことを前提に、この物語のメッセージを述べるならば「決して営みを辞めるな、その一瞬は必ず時空を超え、未来につながる!」ということになるのではないだろうか。

思えば、この作品では「進路」ということも絶妙なギミックとして描かれていた。もちろん、高校生を描くのだから自然という見方もあるのだが、それはつまり、自らの「歩み」そして「営み」を決めていく過程でもある。高校生を描くのだから必然的に描かれると言うよりは、物語の主題・メッセージにとって重要な要素として描かれていることになると思う。

そしてそれは、映画を作っている制作サイドの覚悟・決意の表明とも見ることができるだろう。謎の画家が苦難の時にそれでもなお絵を描くことをやめなかったように「我々も映画を作ることを決してやめない!」という思いがあの作品には乗っているのだと思う。

さらに、原作で主人公は記憶を失っているのに、その設定が変わったことの理由もこれで説明がつく。

本来なら記憶を失ったほうが恋愛物語としての切なさは増すのだが、今回は「未来へ歩みだす理由」を必要としたのだと思う。

もちろん、原作と同じように「大事なことを忘れてしまったが、何故かあの絵に惹かれて、守り続ける」というのも良いには良いのだが、記憶があったほうが真琴と千昭の未来がより鮮明に見えてくるのだと思う。

切ないエンディングを肯定するために想像すべきこと-描かれなかった未来-

物語のラストで、千昭と真琴は「未来で待ってる」「すぐ行く。走っていく」という何とも切ない約束を交わす。二人はこの約束を果たせたのだろうかと、一度は思うものだと思うが、基本的にはそれは絶望的である。どう考えても二人は直接再会することはない

本編を見るだけでも、千昭は「タイムマシン」が開発される程の未来の住人である。おそらく3日後に「タイムマシン」は開発されないので、絶望的に未来と考えるのだが妥当である。しかも、原作において、和子が出会った未来人は西暦2660年の未来から来ている。千昭が同じ頃から来ているという根拠はないが、それくらいの時間間隔は必要だろう(ドラえもんだって西暦2112年から来ていたからね)。

しかし、我々はそこで絶望してはいけない(考えるという「営み」をやめてはならない)。

我々が想像すべきなのは、真琴が決めた未来の行く末である。彼女の懸命な「営み」によって「白梅ニ椿菊図」はどうなったのだろうか?

これをどのように考えるかは、その人の状況、年齢、など様々な要素に影響を受けると思われるが、ここがポイントになると思う。

私は思う、千昭の住む遠い未来の世界にも、「白梅ニ椿菊図」は残っているのだと。

未来で千昭が「白梅ニ椿菊図」を目にした瞬間を想像すればなんとも胸を打つものがあるのではないだろうか。実際に2人が再会することはありえない訳だから、単純に恋愛の成就ということを考えると残念な結果ということになるが、それでもなお、「誰かに何かを届けたい」という崇高な想いが結実したと思うことはできるのだと思う。

エンドロール後に「白梅ニ椿菊図」を眺める千昭の姿を一瞬見せてくれれば良いだけなのだが、ここは想像の余地を残してくれたということだろう。あなたなら、どのように考えるだろうか?

千昭は未来で「白梅ニ椿菊図」を見ることができたと思いますか?
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僅かな疑問点・ツッコミどころ

ここまでで解説・考察は終わっているのだが、「SFもの」特有の疑問点・ツッコミどころについてもまとめていこうと思う。

1つ目は、この作品における「タイムリープ」の仕様について。

重要なのは、真琴が川辺でジャンプして「タイムリープ」に成功するシーン。あのシーンで真琴は部屋着を着ていたが、「タイムリープ」のあと絵は制服を着ている。普通「タイムリープ」というと、本人の身体が時空を超えて移動していると思うものだが、それなら服装が変化しているのはおかしい。

となると、移動しているのは「身体」ではなく「精神」であると考えることもできる。しかし、そう考えると千昭が「タイムリープ」で現代に来ることができない。

いずれにせよ、あのクルミ型の「タイムマシン」の仕様は極めて不可解である。

そして2つ目は、千昭が姿を消した理由をどのように学校側が認識したのかという問題

一番最初の流れで、千昭が姿を消すと、その理由は「自主退学」となっており、最終的には「留学」を理由に学校を去ったことになっている。

学校側はそれをどのように認識したのだろうか?

状況として、千昭は突如姿を消しているわけだから、表面的には「行方不明」である。ところがそういうことには全くなっておらず、千昭が姿を消したことについてはきちんと理由を学校が把握している用に見える。

クルミ型の「タイムマシン」以外に未来の超科学が人間の認識を操作するデバイスを生み出していたのかも知れないが、それならそう言ってほしい。ご都合主義的にはなるが、1つ目の疑問にあるように、そもそもこの作品の「タイムリープ」は不可解なのだから、その程度のご都合主義は許容可能ではないだろうか。

これらのことは「タイムリープ」という「あり得ない現象」を前提に物語が作られていることによるもので、別にツッコミどころがあるのはこの作品だけではない。しかし・・・突っ込まずにはいられないところでもある。どうでもいいことでもあるのだけれど。


以上が私がまとめた「時をかける少女」のあらすじと、作品の考察・解説でございました。細田作品のなかでも人気のある作品のようなのだが、個人的には先に大林宣彦版を見ていたせいか、そこまでいい作品とは思いませんでした。個人的には「サマーウォーズ」のほうが好きです。

皆さんにとって「時をかける少女」はどのような作品でしたか?

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北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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