「マレフィセント」は2014年7月5日に日本で公開されたロバート・ストロンバーグ監督による劇場用作品である(アメリカ公開は2014年5月30日)。制作はウォルト・ディズニー・ピクシャーズとなっている。
この作品は1959年に公開されたディズニーアニメ「眠れる森の美女(Sleeping Beauty)」のリメイク作品という事になっているが、アニメーションを忠実に実写化したものではなく、全く別物と考えるべき作品である。
元となっている「眠れる森の美女」は古いヨーロッパの民話・童話が元になっており、明確な主人公は存在していない(オーロラ姫が物語の「中心」ではあるが)。「マレフィセント」もきちんと童話の体裁を取っており、ナレーションで物語は始まるのだが、主人公は明確にマレフィセント(オーロラ姫に呪いをかける魔女)である。
今回はそんな「マレフィセント」を、「眠れる森の美女」と比較しながら考察し、その魅力を探っていこうと思う。ポイントとなるのは、マレフィセントを主人公にすることで、童話ならではのツッコミどころを補完しているということだと思う。
そのことについて考えるために、まずは「マレフィセント」と「眠れる森の美女」のあらすじを振り返っていこう。
この記事の内容を、AIが対話形式(ラジオ形式)で分かりやすく解説してくれます。
- 「マレフィセント」が補完する原作の「怒りすぎ問題」
原作「眠れる森の美女」では、マレフィセントが祝宴に招かれなかっただけでオーロラ姫に呪いをかける動機が不自然だった。本作では、恋人ステファンに裏切られ翼を奪われたという壮絶な過去を描くことで、彼女の深い復讐心に説得力を持たせている。 - 旧来の物語へのアンチテーゼとしての「真実の愛」
原作で会ったばかりの王子のキスが「真実の愛」とされる点への違和感を解消。本作では、オーロラ姫を陰から見守り育ててきたマレフィセントの母性愛こそが「真実の愛」として描かれ、従来の「王子様と結ばれる」物語とは異なる価値観を提示している。 - 物語の改変によって犠牲になった3人の妖精
原作で英雄的な活躍を見せた3人の妖精は、本作では間抜けで頼りない存在として描かれている。これは、マレフィセントのオーロラ姫への愛情を唯一無二のものとして際立たせるための構成上の都合であり、リメイクにおける「犠牲者」と言える。 - ステファン王の行動に見る人間的な弱さ
宿敵の力の源であるマレフィセントの翼を処分しなかったステファン王の行動は、単なる戦利品としてだけでなく、彼が純真だった頃の恋心を完全に断ち切れずにいたというアンバランスな内面の表れとして描かれている。
映画「マレフィセント」のあらすじ(ネタバレあり)
簡単なポイントまとめ、人物相関図と「眠れる森の美女」との違い
「マレフィセント」のあらすじのポイントは以下のようになる:
-
裏切りと復讐の呪い
純粋な妖精マレフィセントは、初恋の相手ステファンに裏切られ翼を奪われる。王となった彼への復讐に燃えるマレフィセントは、娘のオーロラ姫に「16歳の誕生日に眠りに落ち、真実の愛のキスのみが解く」という呪いをかけた。 -
監視の中で芽生えた母性愛
呪いを確実なものにするため、森で育つオーロラ姫を陰から監視していたマレフィセント。しかし、姫の純粋さに触れるうち、いつしか憎しみは母性にも似た深い愛情へと変わっていった。 -
本当の「真実の愛」
呪い通り眠りに落ちたオーロラ姫は、王子のキスでは目覚めなかった。絶望したマレフィセントが姫の額に贈った愛情のキスこそが呪いを解く「真実の愛」だった。和解した二人は国を統一し、平和を取り戻した。
人物相関図
物語の解説と「眠れる森の美女」との違い
映画「マレフィセント」は1959年に公開されたアニメーション作品「眠れる森の美女」のリメイク作品という位置づけであり、そのままの実写化ではない。
主な違いを列挙すると以下のようになる:
| ポイント | 眠れる森の美女 (1959年) | マレフィセント (2014年) |
|---|---|---|
| 主人公と敵対者 | 主人公はオーロラ姫。マレフィセントは純粋な悪役として描かれる。 | 主人公はマレフィセント。かつての恋人ステファン王が敵対者となる。 |
| マレフィセントの動機 | 祝賀会に招かれなかったことへの腹いせ。 | 恋人ステファンに裏切られ、翼を奪われたことへの深い憎しみと復讐心。 |
| オーロラ姫の養育 | 3人の善良な妖精が愛情を込めて育てる。 | 3人の妖精は頼りなく、マレフィセント自身が陰から姫を守り育てる。 |
| 真実の愛のキス | 森で出会ったフィリップ王子のキスによって呪いが解ける。 | 王子のキスは効かず、マレフィセントが贈った母性愛のキスによって目覚める。 |
| クライマックス | フィリップ王子がドラゴンに変身したマレフィセントを倒す。 | マレフィセントが翼を取り戻し、ステファン王と対決。王は城から転落して命を落とす。 |
| 結末 | 王子と姫が結ばれ、王国は幸せに包まれる「ハッピーエンド」。 | 人間と妖精の国が統一され、オーロラが女王になる。マレフィセントは後見人となり、和解する。 |
上記のように、割と決定的な差が存在しており、はっきり言って全く別物の作品である。
問題となるのは「このような改変が何故行われたのか?」ということになるが、もちろんひとつの理由は「王子様と結ばれて幸せになる」という旧来の物語のあり方へのアンチテーゼということになるだろう。そしてそれが最大の理由だろう。
ステファンという男によって「翼」を奪われたマレフィセントの姿は、「男社会によって力を奪われた女性の姿」をわかりやすく象徴している。
しかし、それを前提に、細かなプロットの部分での改変に目を向けてみると、「眠れる森の美女」が持つおとぎ話ならではのツッコミどころを見事に補完、修正していると見ることができる。
この記事の後半ではそのことについて細かく考えていこうと思うが、そのためにまず、「マレフィセント」のあらすじをもう少し詳しく振り返っていこうと思う。
出会いと裏切り
物語は、「皆さんがよく知っている物語を、私が新しくお話しましょう」というナレーションから始まる。昔々、人間が住む王国と、魔法の生き物たちが暮らすムーア国という、隣り合った仲の悪い二つの国があった。強欲な王が治める人間たちは、美しく豊かなムーア国を妬んでいた。一方、王や女王のいないムーア国では、すべての生き物が信頼で結ばれ、平和に暮らしていた。そんなムーア国に、大きな翼を持つ妖精の女の子、マレフィセントがいた。
ある日、マレフィセントはムーア国に迷い込んだ人間の少年ステファンと出会う。両親がおらず、いつか城で暮らすことを夢見るステファンに、同じく両親のいないマレフィセントは親近感を覚える。妖精が触れるとやけどをする鉄の指輪を、ステファンがためらいなく投げ捨てたことから二人は心を通わせ、やがて恋に落ちた。マレフィセントの16歳の誕生日、ステファンは彼女に「真実の愛のキス」を贈る。
しかし時が経つにつれ、ステファンの純粋な心は人間の醜い野心に飲み込まれていく。一方で、最強の妖精へと成長したマレフィセントは、ムーア国の守護者として国を守っていた。そんな中、人間のヘンリー王がムーア国へ進軍するが、マレフィセントの強大な力の前に敗れ、瀕死の重傷を負う。
王は「マレフィセントを討ち取った者に、王位と娘を与える」と宣言。王位を渇望するステファンは、マレフィセントを騙し討ちにしようと企てる。かつての想いから彼女を殺すことはできなかったものの、ステファンはマレフィセントの力の象徴である大きな翼を切り落とし、討伐の証として持ち帰った。愛する者に裏切られ、翼を失ったマレフィセントは、深い絶望に沈むのだった。
呪いと奇妙な子育て
ステファンは約束通り王位に就き、やがて娘が生まれる。オーロラと名付けられた姫の誕生祝賀会に、ムーア国から三人の妖精、ノットグラス、シスルウィット、フリットルが招かれた。二人の妖精が「美しさ」と「幸せ」の祝福を贈ったその時、祝賀会に招かれなかったマレフィセントが漆黒の姿で現れる。彼女は祝福ではなく、オーロラ姫に「16歳の誕生日の日没までに糸車の針で指を刺して死のような眠りにつき、その眠りは真実の愛のキスによってのみ覚まされる」という恐ろしい呪いをかけた。
ステファン王は呪いを恐れ、国中の糸車を焼き払い、三人の妖精にオーロラ姫を「16歳と1日」が過ぎるまで森の奥で匿うよう命じた。人間の姿になった妖精たちは子育てを始めるが、その様子はどうにも不器用でおぼつかない。一方、マレフィセントはオーロラ姫の隠れ家をすぐに見つけ出し、呪いが成就する日まで監視を始める。しかし、あまりの妖精たちの子育ての下手さに、呪いを成就させるためには姫に死なれては困ると、陰ながらオーロラ姫の成長を助けるという奇妙な日々が始まった。
芽生える愛情と呪いの成就
月日は流れ、オーロラ姫は美しく心優しい娘に成長した。ある日、偶然ムーア国に足を踏み入れたオーロラ姫は、その世界の美しさに魅了される。そして、ずっと自分を見守ってくれていた不思議な存在「フェアリーゴッドマザー」がマレフィセントであると知り、彼女を心から慕うようになった。長い年月をかけてオーロラ姫を見守り続けるうちに、マレフィセントの心にも姫への愛情が芽生えていた。彼女は自らかけた呪いを解こうと試みるが、あまりに強力な呪いは解くことができなかった。
そんな中、オーロラ姫は森で隣国のフィリップ王子と出会い、互いに惹かれ合う。ムーア国でマレフィセントと暮らすことを決意したオーロラ姫だったが、三人の妖精から自らの出生の秘密と、マレフィセントが呪いをかけた張本人であることを聞かされ、絶望する。ショックを受けたオーロラ姫は、一人、実の両親が待つ城へと向かった。
城に戻ったオーロラ姫は父ステファン王と再会するも、呪いの力が働き、導かれるように地下牢に眠る糸車の針で指を刺し、深い眠りに落ちてしまう。オーロラ姫の危機を知ったマレフィセントは、呪いを解く鍵となるかもしれないフィリップ王子を魔法で城へと連れて行くのだった。
真実の愛のキスと二つの国の統一
マレフィセントに連れられてきたフィリップ王子は、眠るオーロラ姫にキスをする。しかし、姫が目覚めることはなかった。その光景を目の当たりにしたマレフィセントは、深い悲しみと後悔の念に駆られ、眠るオーロラ姫の額にそっとキスを落とす。すると、奇跡が起こった。オーロラ姫がゆっくりと目を開けたのだ。それは、母性にも似たマレフィセントの愛こそが「真実の愛」であった証だった。
目覚めたオーロラ姫は、マレフィセントと共にムーア国へ帰ることを決意する。しかし、二人の前にステファン王と兵士たちが立ちはだかり、マレフィセントは鉄の網で捕らえられ絶体絶命のピンチに陥る。その時、オーロラ姫が城に保管されていたマレフィセントの翼を見つけ、解き放つ。翼はマレフィセントの背中に戻り、完全な力を取り戻した彼女は兵士たちを圧倒するが、戦いの末、ステファン王は城から転落し命を落とした。
こうして長きにわたる争いは終わり、マレフィセントによって二つの国は一つに統一され、オーロラ姫が女王として国を治めることとなった。そして、この物語を語り続けてきたのは、オーロラ姫自身だったのである。
映画「マレフィセント」の考察-「眠れる森の美女」との比較-
「マレフィセント怒りすぎ問題」へのアンサー
映画「マレフィセント」の重要な特徴は、オーロラ姫が生まれるまでの前日譚を詳しく描いているところである。
現代的には、そういうディティールを描かなくては映画として持たないという理由もあるだろうが、「眠れる森の美女」における「マレフィセント怒りすぎ問題」へのアンサーと見ることもできる。
「眠れる森の美女」はオーロラ姫が生まれるところから始まる。長く子どものいなかった王と妃は盛大な祝宴を開くのだが、マレフィセントはその祝宴に呼ばれなかった。それに怒ったマレフィセントが「16歳の誕生日の日没までに、糸車の針で指を刺して死ぬ」という呪いをかける。
おとぎ話的にはそれほど無茶な展開とは言えないが、どう考えてもマレフィセントの怒りは大きすぎないだろうか?
気に食わないのは分かるのだが、生まれたばかりの赤子を呪う理由としては小さすぎるような気もしなくはない(これまでの人生で、呼ばれるべき祝宴に呼ばれないという経験を一度でもしたことがある人なら考えは違うかもしれないが)。
ところが、映画「マレフィセント」においては、幼いマレフィセントとステファンとの恋が描かれるとともに、ステファンのあまりにも酷い裏切りが描かれる。
あそこまで酷い裏切り、利己的な行為を描かれれば「それでもなお生易しい」と思えるほどである。
このように、呪いの前日譚をきちんと描くことで、「眠れる森の美女」にあった「マレフィセント怒りすぎ問題」を見事に回避しているのである。
あまり「真実の愛」とは思えないフィリップ王子のあり方の修正
「眠れる森の美女」においては、16歳になったオーロラ姫が森で偶然出会ったフィリップ王子のキスによって目覚めることになっている。
「実は許嫁でした!」という「運命の二人演出」はあるものの、どうにも我々が考えるところの「真実の愛」とはかけ離れているように見える。
フィリップ王子の様子を見るに、彼にとってのオーロラ姫は、「将来王として責任ある立場に立たねばならないことへの重圧」とか「よくわからない相手と政略結婚することへの不満」といったものを一時忘れさせてくれた都合の良い存在となっているように見える。
しかも、「眠れる森の美女」においては、3人の妖精が16年にわたってオーロラ姫を大切に、そして愛情込めて育てており、フィリップ王子の「ぽっと出感」がどうしても付きまとう。
「眠れる森の美女」を見ていても、3人の妖精たちのオーロラ姫に対する思いの方がよっぽど「真実の愛」であるように見える。
「マレフィセント」においては、その思いを育む存在がマレフィセントとなっている。
このように、「眠れる森の美女」にあった「真実の愛」についての違和感も、見事「親の愛」として見事に改善され、フィリップ王子の立ち位置も十分に自然なものとなっている。まあ、フィリップ王子とオーロラ姫はお互いに惹かれ合っているようなので、十分な時間をかけて「真実の愛」を見つけてほしいとも思う。
さて、このように「マレフィセント」では、「眠れる森の美女」にあった違和感が見事に修正されているのだが、そのために、3人の妖精たちが「犠牲者」といえる状況に陥っている。
犠牲になった3人の妖精たち-間抜けにさせられた英雄-
「眠れる森の美女」において、3人の妖精たちの活躍は目覚ましいものだった。彼女たちは、
- 「死ぬ」という呪いを「眠る」という呪いに弱め、
- 16年間にわたりオーロラ姫を大切に育て上げ、
- マレフィセントに幽閉されたフィリップ王子を救出
している。オーロラ姫がフィリップ王子に出会ったのも妖精たちがオーロラ姫にいちごを摘みにいかせたことに起因している。「眠れる森の美女」は、3人の妖精たちの英雄譚と言って過言ではない。そして、妖精たちのオーロラ姫に対する思いには胸を打たれるものがあった。
ところが・・・「マレフィセント」において妖精たちは間抜けの集まりであり、オーロラ姫がマレフィセントと接触していることにも気づかないし、使いのカラスが来ていることにも気づかない。それどころか、少々オーロラ姫のことをめんどくさく思っているフシすらある。
そもそも、「マレフィセント」においては3人の妖精はどう考えても必要ない。あれほど間抜けで気が利かないなら人間で十分である。しかし、人間が16年もオーロラ姫を育てたらそりゃあ情が湧くわけで、マレフィセントのオーロラ姫に対する愛情が唯一無二のものではなくなってしまう。「真実の愛のキス」はその人間がすれば済む話である。
したがって、「眠れる森の美女」にあった3人の妖精がオーロラ姫を育てるというアイディアを踏襲しつつ、オーロラ姫に特段の愛情を持たない特異な存在として妖精が利用されていることになる。
3人の妖精はリメイクの犠牲になったと言って差し支えないだろう。
妖精の名前が、フローラ、フォーナ、メリーウェザーから、ノットグラス、シスルウィット、フリットルに変更されたのは、英雄たちを地に落とした罪悪感の現れだったのかもしれない。
マレフィセントの翼を処分できなかったステファン王の不合理
最後に、「マレフィセント」という映画独自のツッコミどころについて考えていこうと思う。つまり「ステファン王はマレフィセントの翼を処分しておけばよかった問題」について考えていこう。
ステファン王がマレフィセントの翼を処分しなかったことについてはある程度の合理化ができる。ステファン王は平民の出であり、マレフィセントを退治した英雄であるからこそ王となったわけで、マレフィセントの翼はステファン王の英雄譚の象徴である。本人が処分しようとしたとしても、周りが許さなかったということも考えられる。
基本的にはこのように考えれば、ステファン王がマレフィセントの翼を処分しなかった理由は説明できる。
しかしだ、映画を見るに、もう少し別の意味合いも持たせられているようにも見える。
つまり、ステファン王にとってもマレフィセントとの恋は、自分が純真だった頃の美しき思い出であり、あの翼にその日々を見ていたということではないだろうか。
実際、ステファンはマレフィセントの命を奪う寸前まで行っているのに、翼を奪うことしか出来なかった。「元カノ」を完全に振り切れてはいないのである。しかもその思いはひどく滑稽で、情けないものであり、人に話せるようなものではない。
そういうある種の「アンバランスな思い」を抱えていたが故に、ラストで自らの「負け」を認めることが出来ず、死を迎えてしまったのではないだろうか。
以上が映画「マレフィセント」について個人的に考えたことでございます。「眠れる森の美女」という古い作品をうまいこと修正、補完していくと、割と自然に「マレフィセント」になるのだと思います。
皆さんは映画「マレフィセント」をどのように見たでしょうか。
この記事を書いた人
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