火垂るの墓(スタジオジブリ公式)」は1988年に公開された高畑勲監督による劇場用アニメーション作品である。

今回は本編中に登場した個人的名言、名台詞を集めてみた。

また、名言や名台詞は通常とは異なる言い回しが用いられることも多く「英語でどう言ってるんだろう?」と疑問に思ったことがあったので、英語表現についても調べてみた。ちなみに「火垂るの墓」の英題は・・・

Grave of the Fireflies

となっている。

*以下の英語表現は市販のBlu-rayの字幕を参考にしています。

「火垂るの墓」 名言ピックアップ
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「火垂るの墓」のあらすじ(ネタバレ)・考察と解説・人物相関図
「火垂るの墓」のあらすじをネタバレありで詳細に解説。清太と節子の悲劇的な物語を追い、登場人物の相関図も紹介する。さらに「清太と叔母の対立...
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火垂るの墓」の名言、名台詞と英語表現

清太の名言、名台詞と英語表現

「昭和20年9月21日夜。僕は死んだ。」

英語表現

September 21, 1945. That was the night I died.

このセリフの考察・解説を読む

映画「火垂るの墓」のオープニングを飾った台詞。こんな事言われたらその後の展開を見届けるしかない(大変にキャッチーな台詞なので予告編の冒頭にあっても良かったかもしれない)。

ただ、映画を見終わるころにはこんな軽い気持ちが全く変わったものになっている。

つまり、清太が戦後1ヶ月生き延びただけでなく、妹の節子も戦後すぐまで生き残っていた(命日は8月22日)という事実が明らかとなる。

戦後は戦後で混乱していたのだからどうしようもないのだが、何かこう「節子が戦後に亡くなった」という事実を前にいたたまれない思いに包まれるのである。

そして、何より清太が終戦の事実に気がついていなかったということも判明する。

節子の栄養失調の兆候はだいぶ早い段階から来ていたので、全てを清太の責任にはできないのだが、もし清太が終戦そして連合艦隊の壊滅をその時に認識することができていたら彼のあり方は変わったかもしれない(変わらなかった可能性が高いと個人的には思うが)。

さらに、清太が節子の死から1ヶ月生き延び、そして1ヶ月後に亡くなったという事実も大事になってくるだろう。

あの死に方を見るに、彼は節子の死後も孤立を続けたということになる。

それはゆっくりとした自殺だったのかもしれないが、別の見方をすると「死ぬに死ねない」状態にあったということもうかがえる。

清太の死因も栄養失調からくる衰弱死だが、1ヶ月は生き延びたことになる。そのことについては以下の記事に考えたことをまとめてある:

【火垂るの墓】その考察-清太と節子はなぜ死なねばならなかったのか?
​『火垂るの墓』のあらすじを紹介し、清太と節子が死に至った理由を考察。​高畑勲監督の言葉や作品への姿勢、清太の行動、叔母との関係性など、...

節子の死後も生き延びたという事実を責めたいわけではないし、清太にはもっと長生きしてほしかったのだが、あの1ヶ月に人間の根本を感じてしまう

腹が減ればなんとか食い物にありつこうとするし、食ってさえいれば生き延びる。

昭和20年9月21日という日付は、その短い台詞だけでそういった人間の根本を表現しているということが出来るのではないだろうか。

「滋養なんて、どこにあるんですか!」

英語表現

But where can I get that?!

このセリフの考察・解説を読む

物語の終盤、著しく体調を崩した節子を医者に見せた際「滋養をとることですな」と言われた清太が激昂しながら放った台詞。

「栄養失調からくる衰弱」が診断結果なのだから医者としても「滋養をとれ」としか言いようがない。更に、節子の栄養失調を加速させたのはどう考えても清太なのだから、こちらとしても「お前のせいやないか!」とそろそろツッコミを入れたくなってきたタイミングでの発言である。

どう考えても清太が取るべき手段は「叔母さんに謝る」だったのだが、彼にはそれができなかった。というよりもそんなこと端から考えていない。

それどころか、節子も自分と同じ気持ちであると考えていたフシがある。したがって清太は、叔母のところになど帰りたくないし、帰らないほうが幸せなのだと心底思っていたと考えられる。

そんな清太の強烈なものの考え方がこの台詞から見て取れると思う。

英語表現について

このセリフの考察・解説を読む

この台詞の前に医者から「栄養失調からくる衰弱ですな(She’s weak from malnutrition.)」「滋養をとることですな(All she needs is nutrition.)」と言われているので、「that」は「nutrition(栄養)」を指している。

【火垂るの墓】登場人物&声優一覧とキャラクター考察そして人物相関図
『火垂るの墓』の登場人物と声優を紹介し、清太、節子、叔母の行動や心理を考察。戦時下の過酷な状況が彼らに与えた影響を分析し、作品のテーマ性...
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節子の名言、名台詞と英語表現

「兄ちゃん!」

英語表現

Seita.

このセリフの考察・解説を読む

この台詞は「火垂るの墓」という映画のいろんな場面で発せられた台詞である。

しかも、「ただ兄を呼ぶバージョン」、「兄を頼るバージョン」、「ひどく兄を心配するバージョン」と多岐にわたり、それが絶妙なニュアンスで実現されている。それを当時5歳(あるいは6歳)だった白石綾乃さんが実現したということが驚きである。

あの声は実に印象的であり、一度「火垂るの墓」を見ると数日節子の声が耳から離れてくれない。

野菜泥棒がバレた清太が警察に連れて行かれるシーンでの「兄ちゃん!兄ちゃん!」の連呼はもはや呪術の言葉にすら感じる。

高畑監督は極めて優れた声優を発見できたということだろう。

英語表現について

このセリフの考察・解説を読む

節子が清太を「兄ちゃん」と呼ぶシーンはたくさん存在しているが、私が確認したところでは全て字幕表記は「Seita」となっている。

「お家、焼けてしもたん?」

英語表現

Did our house burn down?

このセリフの考察・解説を読む

神戸大空襲のあと、焼け野原になった街の様子を見ながら節子が発した台詞。これは映画の予告編でも使われた台詞なので印象に残っている人も多いだろう。

節子は空襲そのものには大きな恐怖を示していたが、焼け野原そのものには特に感慨はないようで淡々と清太に語りかけていた。清太自身も「そうらしいな」とそっけない。

茫然自失ということだったかもしれないが、大人と子供の差が描かれているという見方もできるだろう。

焼け野原を前に大人が考えなければならないことはあまりにも多い。それ故にむしろ茫然自失になりそうなものではあるけれど、自分が行動しなければならないという切迫した問題がある。

一方子どもの方はどこか大人の従おうとする、あるいは大人がなんとかしてくれると思うものなのであの呑気さが出たのではないだろうか。

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物語の後半ではその対極としての「全部自分でやる!」になってしまったのだから、まことに皮肉なことであった。

「お母ちゃんのおべべあかん。お母ちゃんのおべべあかん!」

英語表現

They’re Mama’s! They’re Mama’s!

このセリフの考察・解説を読む

物語の中盤、叔母が清太と節子の母の衣服を売ってお米に替えるために持っていこうとした時に節子が発した台詞。

清太はすでに母の死をしって受け入れており、叔母から「米一斗(100合)」になると言われてむしろ交換することに前向きに見える。その一方で、未だ母の死を知らされていなかったと思われる節子はそれに反抗した。

この時点で我々映画を見ている側も母の死を知っているので、叔母の判断や清太の反応に一定の理解ができてしまうのだが、この節子の台詞にもう胸が詰まる思いがするのだよね。

最終的に節子は叔母から母の死をこっそり知らされていたことが明らかとなるが、もしかしたらこの直後くらいに叔母が母の死を告げたのかもしれない。

「何で蛍、すぐ死んでしまうん?」

英語表現

Why do fireflies have to die so soon?

このセリフの考察・解説を読む

横穴生活を始めた清太が節子のために蛍を集めて夜の蚊帳で見せてあげた翌日、大量の蛍の死骸を自分で掘った穴に埋めてあげている時に節子が放った台詞。

この台詞も映画の予告で使われた象徴的な台詞で、覚えている人も多いと思う。

節子が蛍を埋める姿を見た清太は、自分の母も同じような扱いで穴に埋められた他の遺体と共に火葬された事実を思い出す(あの光景も忘れられないよね)。

この台詞とシーンによって、「火垂るの墓」における「蛍」は「火の雨」のように降り注いだ「焼夷弾」とそのためになくなっていった人々の「命の儚さ」の両方を象徴する存在であったことが分かる。

そして、あの時代、日本の国土全てが「火垂るの墓」となっていた。この映画はそれを伝える物語ともなっている。

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叔母の名言、名台詞と英語表現

「勝手なことばっかりして、ほんまにあの子らには、可愛げゆうもんがないんやから」

英語表現

Doing as they please. Those brats are so annoying!

このセリフの考察・解説を読む

物語の中盤、叔母の家で家庭内別居のような生活を始めた清太と節子だが、清太は流しの桶の中に食器を突っ込んだまま寝てしまっていた。その食器を洗いながら叔母が放った台詞。

何やらこの「可愛げ」が「火垂るの墓」という物語の重要なキーワードであるような気もしてくる。

清太が叔母と食事を別にするようになったのも「うちとあんたらと、御飯別々にしましょ。」という叔母の言葉を受けてのことだし、横穴生活に入ったのも「そんなに命惜しいねんやったら横穴に住んどったらええのに」と言われた直後のことだった。

叔母の言うところの「可愛げ」とは、こういうことを言われた時に「叔母さんごめんなさい」と一言いう姿勢のことであろう。清太の姿勢というのは「やる気がないなら帰れ!」と言われて帰るのと同じことで、現代的には「言うほうが悪い」という状況に変化していると思うが、あの戦時中にやられたら叔母としてもしんどかろう。

では、この悲劇に学びがあるとすればどうなるのだろうか?

やはり「具体的な指示をだす」ということに落ち着くのではないだろうか。叔母のきつい小言の裏には「何かしら状況に貢献しなさい!」という思いがあるわけで、それを直接言わないことがかつての流儀ではあったと思うのだが、現代的にはその「貢献」を具体的に指示しなければならない。

とはいえそれはそれで難しいことである。現代人が出世する気がなくなったのは、その困難さに気がついてしまっているという側面もあるのかもしれない。

英語表現について

このセリフの考察・解説を読む

英語表現として面白いのは「brats」だろう。「brat」はいわゆる「悪ガキ」を意味する単語になる。学校で学ぶような単語ではないかもしれないし、自分で使うような単語ではないが覚えておくと良いかもしれない。また「annoying」は「迷惑な、うっとうしい」という意味になる。

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以上が私が個人的に集めてみた「火垂るの墓」の名言・名台詞でございました。私自身が思う「火垂るの墓」の3大名言、名台詞を挙げておくと、

  • 昭和20年9月21日夜。僕は死んだ。」
  • 滋養なんて、どこにあるんですか!」
  • 兄ちゃん!」

となっています。皆さんはどの名言・名台詞がお好きですか?

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この記事を書いた人

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Sifr(シフル)
北国出身横浜在住の30代独り身。日頃は教育関連の仕事をしていますが、暇な時間を使って好きな映画やアニメーションについての記事を書いています。利用したサービスや家電についても少し書いていますが・・・もう崖っぷちです。孤独で死にそうです。でもまだ生きてます。だからもう少しだけ生きてみます。
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